ep.120 焔の足跡
「はははははっ!!!そうか、カミル君、君も襲われかけたか」
ニックスと村を出た後、昨夜起きた出来事について話してみたら、盛大に笑われてしまった。
「いや、笑いごとじゃなかったんだが」
ジト目で睨みつけると「ごめんごめん」笑みを隠せないままに謝罪の言葉を口にする。
「いやさ、あの村ではよくあることなんだ」
「なんだよ、それ……」
そんな物騒な村、住むどころか旅行すらしたくないぞ。
「ナユタの影響なのか、村では生まれてくる男女の比率が異様に開いてしまっていたんですよ。男児一人に対して、女児は五人。それがリタミア村の実情なんです」
「そんなに偏ってるのか」
確かに、村で見かけた子供は女児が多かった。でも、大人の女性の数はそこまで多かった記憶がない。
「ええ。犠牲に捧げさせる為に、何らかの力が働いていたと考えるのが自然かと思います。なので、女性は男性の奪い合い状態なんです。その結果、女性が夜這いを仕掛けて男性をものにする傾向が強くなってしまいました」
村から出て行くという選択肢がないのであれば、男が少ない状況に危機感を抱いていても不思議ではない、のかもしれない。
「犠牲はどうやって選ばれていたと思います?」
「どこかの家族に偏らないように、予め捧げる家を決められていたんじゃ?」
ニックスは首を振る。
「男性が少ないと言ったでしょう?だから、結婚できなかった年長者から選ばれていくんです。村の存続には子どもがいなくてはなりません。だからこの村の女性も必死なんですよ。好いた相手と結婚できれば良いのですが、必ずしもそうとは限りません。生を繋ぐためなら――という方も少なからずいたでしょう。誰だって死にたくなんてありませんから……」
ニックスの表情に憂いが帯びる。
「だから大人の女性が少なかったのか」
歪な村の体系に終止符を打つことが出来て、本当に良かったと思う。
ニックスの顔に笑みが戻った。
「それも昨日までです。これから村は少しずつ変わっていきます。カミルさんのお陰ですよ」
「リタミアの皆の想いが、俺を呼び寄せたんでしょうよ。そうじゃなきゃ、あの場面に出会すなんて偶然があるわけない」
想いは偶然を呼び寄せる。そう思った方が救いがあるだろ?
霊峰の低地を進み、山の反対側を進んでいくと、切り立った山が見えてきた。それはまるで来る者を拒絶するかの如く絶壁部分が多く、足場はあるにせよその幅は人一人分ほどだ。踏み外そうものなら助かる見込みは薄い。標高が高くなるにつれ、緩やかな傾斜と緑に覆われ、絶壁部分が大昔に削り取られたような印象を受ける。
海沿いの道を進み、林の中を突破すると、絶壁の根元にぽっかりと空いた洞穴が見えてきた。おそらくはあれがリタミア村の住民しか知らないという港町ミストラークへと繋がる道なのだろう。入口はかなり狭く、縦3m、横2mほどしかない。人があまり通らないせいか、緑が洞穴の中に侵食し始めている。
「ここを抜ければ、ミストラークは目と鼻の先にあります」
「あぁ、世話になったな」
「それはこちらのセリフですよ。道中、お気を付けください」
差し出された手にを取り、別れの悪手をする。ニックスの姿が見えなくなるまで見送ると、カミルは洞穴の中へと踏み出した。
中はひんやりとし、どこか重たい空気だった。空気が滞留しているのかもしれない。
聞いた通りだな。
壁一面が綺羅綺羅と輝きを放ち、洞穴の中だというのに光源を必要としない。これは、山の中に埋蔵されている聖石と呼ばれる石の影響である。常に浄化の光を放ち続ける性質を持ち、世界的に見ても産出地はこの山だけという話だ。日常生活ではあまり使いどころはないが、洞窟などの暗所では重宝される鉱石の一種でもある。採掘が行われていないことを鑑みると、採れることが知られていないのか、山が崩れるのを恐れたか、意図的に流通量を減らして価値を高めているかだろう。
珍しい光景に目を奪われながら歩いていく。
リアは王国に来たことがないって言ってたな。この景色、見せてあげたいな……。
未来からリアを取り戻した後の行きたい場所リストをまとめ始めたのだった。
駿動走駆を駆使しながら丸一日走り続けると、視線の先に青い海と広がる雲が見えてきた。洞穴を完全に抜けきると、眼下に広がる林の先に形成された町並みを一望することができる。大型の船が停泊し、その周囲には小さな船がいくつも並んでいる。その周りを海鳥が飛び交い、風が潮の香りを運んでくる。
「あれが、ミストラークか」
見知らぬ町への期待と不安を抱えながら、カミルは一歩を踏み出した。
「身分証を見せろ」
ミストラークに辿り着き、町の入口で身分の確認をされている。
鞄の中からギルドカードを手に取り逡巡する。
未来の世界で作ったギルドカードなんて何の役にも立たないか。表示される情報はおかしいし、偽造を疑われかねない。
鞄の奥深く。未来の世界で使うことの無かったセルヴィナ学園の学生証を警備兵へと提示した。
途端に警備兵は怪訝な顔を浮かべた。
「なんで帝国の学生がこんなところにいるんだ?わざわざ海を渡ったところで、この辺にあるのはこの町程度だろうに」
港町ミストラーク周辺は、エンディス大陸において異質な地である。険しい山のせいか、陸路で町まで来る者なんてほぼいない。ましてや観光地もない漁業の町に異国の学生がいるのだから疑いたくもなる。
「トランドランに居たんですけど、街道で大型の鳥の魔物に襲われたんですよ。鋭い爪で肩を掴まれ、気づけば遥か沖の海まで連れ去られて……、命からがら足の指を断ち斬ったのは良かったんですけど、そのまま海の中に落とされちゃいましてね」
咄嗟に出た嘘にしては言い方だろう。
「波に飲まれて気づいたら砂浜ってわけ。とりあえず、最寄りの町まで来てみた次第ですよ」
信用していないのか、頭からつま先までジロジロと観察されている。
「海に落とされたにしちゃあ、身綺麗じゃねーか」
「これでも学園に通っているんですよ?魔法で洗って乾かしたに決まってるじゃないですか。王国では俺くらいの歳のヤツは魔法が使えないんですか?」
肩を竦め自己弁護をする。
「そんなことはねーが……。まあいい、通れ。くれぐれも問題は起こさねーようにな。下手に拗れたら国際問題になりかねん」
「心得てますって」
警備兵は鼻を鳴らしてシッシッと虫でも追い払うような素振りでカミルを追い払った。あまり教養が高くはなさそうな雰囲気だったが、村の守り手ならあれくらい懐疑的で圧を掛けられる人の方が良いのだろう。
町を進んでいくと、露店商が通りの端に店を広げ、異国の服や貴金属などを販売している。その奥からは芳ばしい匂いを放つイカ焼きや焼き魚の店舗が並び、鼻孔を擽り、腹の虫を鳴らせた。食べたい衝動に駆られたが、本来の時代に戻って来てから得た王国の通貨は、リタミア村を出発する際にいただいた船賃くらいなものである。帝国領まで戻ればある程度持ち合わせはあるものの、王国内では極貧生活を送る必要があった。
旅の醍醐味は食べ歩きだろうに……。この生殺し感よ……。
自分を律し、脇目も振らずに船着き場へと歩いていく。
港へ出ると、行き交う人々で活気が溢れていた。採れた魚を船から下ろし、町の中へと運搬されていく。それを狙う鳥たちと漁師が睨み合いを続けるのを脇目に、乗船場へと足を運んでいく。
「すまない、次に港町フィースへ向けて出港するのは何時か教えてくれないか?」
船乗りであろう男性は、
「なら、今すぐ桟橋の先へ行け。もう15分もしない内に船が出る。こいつを逃すと次は15時になっちまうぞ」
「ありがとう」
慌てて桟橋の先にいる船員に向かって駆け出した。
船員に船賃の銀貨50枚を払い、渡し板の上を歩き船へと進んでいく。デッキに降り立つと、足を伝い、波の上を揺らめく振動が感じられた。
人生で2度目の船旅である。1度目は未来の世界のジスタークでシクロッサから受けた依頼で乗った小舟。今回はそれよりも大きい船のお陰か、身体に感じる揺れは大きくはない。
これなら船酔いは大丈夫かもしれない。最初に乗ったあの舟の時は酷かったな……。
そう遠くない出来事にも関わらず、妙にノスタルジーを感じていた。現代と未来、それは隔絶した時の流れの影響なのかもしれない。手の届かぬ時の彼方。物理的な距離よりも、精神的な距離感を生み出している。頬を撫でる風にさえ、優しさを感じずにはいられなかった。この場からでは、山に遮られ霊峰すら拝めない。本来の場所に帰るはずなのに、故郷からどんどん遠ざかる、そんな気がしてならない。
ブォーッ ブォーッ ブォーッ
町に汽笛を響かせ、船は陸を離れていく。
遠ざかる町を瞳に焼き付け、船内へと入っていくのだった。
船旅はあっという間に過ぎ去ってしまった。というのも、この船には青との親和性が高いネブラ族が三人常駐しているらしい。海流を操り波に乗ることで、いわゆる高速船のような移動速度を可能にしているらしい。その影響もあってか、船は大きく揺れ、カミルの身体もまた揺さぶられ続けたのだ。その結果―――。
「ゔぉ゙ぇ゙ぇ゙ぇ゙ぇ゙ぇ゙ぇ゙ッ」
陸に上がったというのに、カミルは吐き続けていた。
その姿を見かねたのか、男性船員が「あんちゃん大丈夫かぁ?」優しく背中を摩ってくれる。
「すんません……。船の揺れ、苦手――ッ!?うっ、ゔぉ゙ぇ゙ぇ゙ぇ゙ぇ゙ぇ゙ぇ゙ッ」
涙を滲ませ吐き続けた。もはや出る胃液すら存在しない。口の中の酸っぱい感覚と、胃液が焼いた喉が熱くヒリヒリと痛みを訴えてくる。
「こりゃ、重症だな」
それから暫く船員に背中を摩られ続けた。
やっとのことで落ち着き、何度も頭を下げ感謝の言葉を送る。
「セルヴィナ学園の学生なんだろ?聖なる焔みたいに、強くなってくれよ」
「なんで王国の人が聖なる焔の名を知っているんだ?」
いくら海を渡り外国とのやり取りがある船員だとしても、冒険者の名前なんて早々覚えない。そもそも面識すらない方が多い。
「もう1年以上前になるかな。フィースの近くにカオティックヒュドラが出たことがあるんだよ」
「カオティックヒュドラ?」
ヒュドラの一種なんだろうけど、知識の中にそんなヒュドラは存在しない。
「ヒュドラの特異種とかなんとか言ってたな。ま、簡単に言えば、強いヒュドラって思ってくれればいい。偶々フィースにいた聖なる焔が討伐に動いてくれたお陰で大きな被害は受けずに済んだんだよ」
「そんなことがあったのか」
たとえ過去の話でも、その中にリアが関係しているのが嬉しかった。会えずとも、リアが歩いた道がそこにある。繋がりがあることが、カミルの心を落ち着かせてくれる。
「そんなとこでへばってないで、しっかり身体を鍛えろよ」
船員は手を挙げ仕事へと戻って行った。
「三半規管なんて鍛えられるのかよ」
カミルは三半規管の鍛え方を知らなかった。日本でなら研究されているのだろうが、生憎と廉は三半規管が強い方だった。その類の知識を得る機会などなかったのだ。
町を歩いていくと、中央にある広場へと辿り着いた。
広場の中央には白い炎を模ったモニュメントが設置されている。船員の話から、それが何を表しているのか察するのは容易なことだった。町を守ってくれた冒険者パーティー、聖なる焔への感謝の気持ちなのだろう。恩を忘れないように、町の中央に設置し、偉業を称えているのだ。
モニュメントに近づいていく。すると、遠目ではわからなかった細部が目に飛び込んで来た。5つの白い火が集い、1つの焔を形成している。それだけではない。一つひとつの火が、人の形を模っているのだ。
「聖なる焔」
自然と口からその名が零れた。
一人ひとりが武器を構え、躍動感のある姿で表されている。
これをデザインした人のセンスを賞賛したい。これほどまでに聖なる焔そのものを表すことができる人がいるなんて、純粋に嬉しかった。
短い間とはいえ一緒に旅をした仲である。エジック山脈で川に落ちてしまい、その旅も結果として終わらせてしまったのは勿体ないことだった。
「兄ちゃんも、聖なる焔に憧れてんのか?」
振り返れば、ベレー帽に煙管を咥えた爺さんがいた。年老いてなお背筋が伸びているあたり、若い頃から身体を使う仕事をしてきたであろうことが窺える。口元から煙管を離し、ふぅーッと煙を吐き出しモニュメントを眺めている。
「知り合いなんだ」
モニュメントに視線を戻し「憧れの対象には変わりねえけどな」誰もが一癖ある人達だが、実力は確かなものである。駆け出しの冒険者にとって目標にするべき対象だろう。
「そうかい。なら、心配だろう?前衛の片翼を務めていたリアスターナ・フィブロが行方不明なんだ。他のメンバーは帰りを信じて四人で活動している。早く戻って来てくれればいいんだがなぁ」
胸が締め付けられる想いだった。リアを残して自分一人戻ってきてしまったことを責められているような気がしたんだ。当然、この爺さんは俺達の関係性など知らないだろうが、後ろめたさが故、言葉をネガティブに受け取ってしまう。
「俺も、そう思うよ。どうか無事であってほしい」
あの時、リアはどんな気持ちで俺を送り出したのか。今、どうしているのか。心配の種は尽きない。
「そうだ。なあ、爺さん。馬車を手配したいんだが、どこへ行けば手続きができるんだ?」
悩んでる暇なんてない。立ち止まってる余裕なんかない。今はただ一歩一歩を踏みしめるしかないんだ。
「馬車なら、ほれ」
煙管で指し示すと、
「赤い屋根の家、煙突がある家んとこの角を右に曲がってすぐの所に冒険者組合がある。そこに併設されている建物で受付をしておる」
「助かるよ。ついさっき船で来たばかりで右も左もわからなかったんだ」
「てことは、外国から来た口か。行き先は帝都か?ザントガルツか?」
「俺、これでもセルヴィナ学園の学生なんだよ。訳あって王国に行ってたんだ」
爺さんはにこやかに「そうかい」頷いた。
「最近、魔族の数が増えてきているから、兄ちゃんも気を付けるんだよ」
「あぁ、ありがとう。聖なる焔に負けないくらい強くなってみせるさ」
手を挙げ挨拶をすると、煙突の家を目指し歩き始めた。
魔族の数が増えてきている、か。思ったよりも元素の乱れが酷いのかもしれない。帝都の魔導兵器の実験が行われてる可能性すらある。
アルフに着いたらクヴァと連絡を取ってみよう。俺の話を信じてくれるかわからないけど、ガナード・ラウ騎士団長なら耳を傾けてくれるかもしれない。あとは、出たとこ勝負ってところだな。
馬車に乗り、フィースから北上して行く。エジック山脈の中を貫通するトンネルを潜れば、アルフまではそう遠くない。
エジック山脈手前、麓に広がるエジカロス大森林が見えてきた。
「おい見ろよ。あそこだぜ、聖なる焔がカオティックヒュドラと戦ったって場所はよぉ」
聞こえてきた言葉に、思わず外を眺めた。
大地は抉れ、その周辺には地が割れている。幾つかのクレーターも確認することができた。
あそこでリア達は戦ったのか。
「五人で倒しちまったんだろ?すげぇもんだよな。俺達なんてまだまだワイルドベアにさえ手古摺ってんだもんな。まだまだその背中も見えねぇよな……」
「それはあんたがへっぴり腰だからでしょ?もっとしっかり引き付けてくれないと、こっちもオチオチ矢も射れないわよ」
駆け出し冒険者であろう四人組が楽しげな会話を繰り広げている。剣士一人に、斧使い一人、弓士一人、魔導師一人という、それなりにバランスの取れたパーティー編成だ。だが、心配になるのが女性が一人だけ交っていることだ。男女の縺れでパーティーが瓦解することもある。
「おい、言い争ってないでしっかりあの場所を目に焼き付けておけよ。山脈越えすればすぐにアルフに辿り着けたものを、わざわざ回り込んでまで見に来てるんだから」
「わかってますって」
「はぁ~、私達もあんな風にちやほやされたいわねぇ~」
「そんなのが目的で冒険者をやってるわけじゃないだろ」
「だってぇ~、どうせなら有名になりたいじゃない」
見る限り、癖のありそうな女性だというのがわかる。パーティー内の姫ってところか。行く末が怖いな。
別の同乗者さえも冷ややかな視線を送っているが、気づかないのか、気にしてないのかわからないが、態度を改めることはなかった。
面倒ごとは勘弁だ。なるべく関わり合いにならないようにしないとな。
それから4日後、馬車はトンネル内にある宿へと辿り着いた。トンネルの先はまだ長く、2週間ほどの道程である。その為、定期的にトンネルの外へと繋がる宿が設けられている。長期間、太陽を浴びないと肉体に影響を及ぼすことから、トンネルの利用者は馬車の利用とトンネル内の宿の利用が義務付けられている。宿は騎士団が経営しており、違反者を取り締まる役割も担っている。今日訪れたのは、トンネルに入って1つ目の宿である。同じような宿が後2ヵ所存在している。
「やっとまともなベッドで寝られるわ!!」
駆け出し冒険者パーティーの弓士の女性が駆けて行く。
「お、おい!!勝手な行動するんじゃねぇ!!」
制する為にリーダーらしき斧使いの男が後を追うも、既に遅かった。女性が宿の扉を開こうと手を伸ばした瞬間、宿の扉が勢いよく開かれたのだ。当然、目の前にいた女性は扉に押され、顔に直撃したのか顔を歪めながら倒れ込んでいく。
中から現れたのは、麻の衣服に身を包んだ千草色の短髪パーマの男だった。黒縁眼鏡の奥には、目つきの悪い瞳が輝いている。大きく浮き出た喉仏も相俟って、第一印象は無骨な男だった。
男は馬車で訪れた一行を一瞥していき、目の前で転がる女へと視線が落ちた。だが、特に気にする様子はない。
「元素の揺らぎを感じて出てみりゃあ、騒がしいガキばかりじゃねぇか」
後頭部を掻くと、溜息を一つついた。
「さっさと入れ。部屋は好きに使っていいからよぉ」
それだけ告げると、宿の中へと消えていく。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!!女の顔に傷付けといて謝罪の一つもないわけ!?」
ゆらゆらと立ち上がった女性は、鼻血を垂れ流しながら男の後を追う。
御者の方に「いつもあんな感じなんですか?」問うと、ゆっくりと頷いた。
癖があるのは同乗者だけじゃなさそうだな……。
面倒くさい二人の後を追い、カミル達馬車一行は宿の中へと入って行った。
中に入ると、カウンター越しに女性が一方的に男に詰め寄っていた。
「女に対して手を挙げるなんて男としてどうなのよ!!」
「俺は任されている宿の扉を開けただけだ。てめぇが扉の前に立っていたのが悪い」
対照的に冷めた雰囲気の男は、テーブルの上にある宿泊者名簿をトントンッと人差し指で叩いている。
「いいからさっさとてめぇの名を記入しやがれ」
「何様のつもりよ!!」
男はにやついた。
「この宿の主だよ。嫌なら泊まらなくてもいいんだぜ?とっとと引き返せばいい」
女性の目が吊り上がり、表情がより険しいものへと変わっていく。
「なら、さっさと次の宿に向かわせてもらうわ」
その瞬間、男の眼光が鋭く光る。
「トンネルを通過する者は、必ず宿に泊まり、太陽光を2時間以上浴びることが義務付けられている。それを犯すのであれば、騎士カドゥス・テュオンの名において取り締まることになるが、それでも行くってのか?」
そのことは、馬車で契約を結ぶ際に説明されているはずである。聞いていないということはありえない。
睨み合いを続ける二人の間に、リーダーらしき男性が仲裁する為に入っていく。
「すみません。うちのメンバーがご迷惑をおかけしました」
女性の代わりに男性が平謝りを繰り返す。
女性はというと、悪びれることなくそっぽを向いてしまった。
世の中にはいろんな性格の人がいる。わかっていることだが、受け入れがたいものはある。
「貴様に免じて許してやる。速やかに名前の記入をせよ。身分を詐称すれば、もれなく牢行きだ。変なことは考えるなよ」
威圧的な態度ながら、任務には忠実らしい。全然騎士らしくはないが、法を順守するタイプなのかもしれない。
次々に名を記入していき、カミルもそれに倣い、綺麗とは言えない字で名を記した。
「カミル・クレスト、か」
ボソッとカドゥスの口から零れた言葉をカミルは聞き取れず「えっ?なにか?」問い質すも、「何でもねぇよ」軽くあしらわれてしまった。
カドゥスは宿泊者名簿を閉じると、親指を立てた拳で2階を指し示す。
「2階ならどの部屋を使ってもらっても構わない。ただし、男女で寝ることは許さない。その事実が確認された者は、即刻帝都送りになる。覚悟しておけ」
こうして、不穏な空気が渦巻く宿での一泊が始まるのであった。
カドゥスは自室の机の前に腰を落ち着かせると、羊皮紙にペンを走らせた。
まさか、こんなところで出会すとはねぇ……。これでラウの野郎も忙しくなるだろうな。
帝都で消えたはずのカミル・クレストがトンネル内の宿に現れた。その事実は、カドゥスの手紙を通じて騎士団長ガナード・ラウの知る所となる。
カミルを取り巻く歯車が、静かに噛み合い、ゆっくりと動き出していた。




