167 貴人の正体は
「ではな」
「後は頼んだよ」
チョコレートのお披露目会が無事閉会し、スタッフ一同はコフィアの前に立っていた。
最後の客が帰るまで待機してくれていたイルミナートが一足先に帰るので、その見送りのためだ。
イルミナートはデルフィーナに声をかけると、馬車に乗り込む。
アロイスもそれに続いた。
店の後片付けは、閉会直前にコフィアへ来たネリオと共におこなうことになっている。
デルフィーナはたいして役に立たないが、一応監督者として最後までいる予定だ。
お昼寝をしていないが、まだ気が張っているためか、精神的高揚がおさまらないのか、眠気は全く来ていない。
一同が頭を下げて見送ったイルミナートの馬車が街中に溶け込むと、デルフィーナはくるりと振り返った。
「さ! さっさと片付けて、帰って打ち上げよ!」
不敵に笑ったデルフィーナに、待ってました! やった! とっとと片付けるぞ、と声があがる。
スタッフが増えた今は、打ち上げの参加人数も多いので、エスポスティ家へ場を移しておこなうことになっていた。
半数以上が屋敷の使用人部屋暮らしのため、酒を飲むなら先に移動の方が安心、となったのだ。
イェルドやリベリオは、状況によっては泊まっていけるように、準備もしてある。
ただし気兼ねしないよう、泊まる部屋はエスポスティ家用の客間ではなく、その使用人が使う方の部屋だ。
リベリオは客間でも、と思ったが「それなら泊まりません」と言われてしまい、夜更けに馬車を出すのも、と使用人用客室で落ち着いた。
臨時スタッフから侍女に戻ったエレナを伴って地下の休憩室に向かったデルフィーナには、この後、ネリオによる予約注文の確認と、材料の必要数の割り出し作業の補助が待っている。
ネリオが来てから、会計作業を自力でしたりアロイスに頼らなくてよくなったので、その点に関しての気は楽だが、注文者とその内容についてはちょっぴり怖くもある。
どんな方がどれだけご予約を希望されているのやら。
今日の全てを片付けて、早くエスポスティの屋敷へ帰りたい。
コフィアにいる全員が同じ気持ちでてきぱきと動いた結果。早々に始末は終わり、流れるように退店まで進んだのだった。
そんな、彼らが帰りたがっていたエスポスティ家の一室。
賓客をもてなす客間に、移動を済ませたイルミナートの姿があった。
「本日は誠にありがとうございました」
立ち上がって入室するイルミナートを迎えたドナートは、対面に相手が落ち着いてから頭を下げた。
ドナートの隣へ並んだアロイスも、ともに頭を下げる。
「よい。二人とも座ってくれ」
促されて二人はゆっくりと腰を下ろす。
静かに執事がワゴンを押してきて、ティーセットをローテーブル上にサーブすると、そのまま無言で壁際へと下がる。
イルミナートの従者と彼以外、三人しかいない部屋には、緊張感が漂っていた。
本来、イルミナートはエスポスティ家へ来る流れではなかった。
場を改めての御礼は後日、と決まっていたのに、急にドナートへ話があると言われ、アロイスが屋敷への使いを出したのもコフィアを出る少し前でしかなかった。
何かトラブルがあったのか。
コフィアへ行っていないドナートには分からず、アロイスへ視線を送ったが、弟は小さく首を振る。アロイスも把握していないらしい。
「問題ではないが、想定外のことがあった。さすがにこれは伝言できない。直接伝えるべく来た」
コフィアで散々飲んだから口を付けないかと思っていたのに、イルミナートはティーカップへ手を伸ばす。
同様にティーカップを手にした兄弟がそれをソーサーに戻すのを待ち、ひとつ深呼吸すると、口を開いた。
「王太子殿下が来店した」
「………………」
「……な……」
目を瞠った二人に、イルミナートは重く瞬きをひとつする。
「私は地下にいたのでご尊顔を拝していないが、十中八九、間違いない」
「……二階にいらした、と、いうこと?」
「そうだ。確認が必要なら、ヴォルテッラ家の公女閣下へ願うがいい」
それもそれでどうなのか。
公爵閣下とは今後密な連絡を取ることになっているが、公女閣下はそこに含まれない。
エスポスティ商会をご利用いただいたことはあっても、その利用頻度は低い。
あちらにはあちらの贔屓筋の商会があるためだ。
なんと返すべきか言い淀んだドナートに、イルミナートは小さく嘆息した。
「デルフィーナからの手紙なら差し障りない。既に知己のようだからな」
そう言われてさらにドナートは目を瞠る。
公爵家へ滞在中、交流があったとは聞いていない。
一度お目にかかった、とは報告を受けているが、手紙を出せるほどとは思っていなかった。
実のところ、デルフィーナもドナートと同じ考えだったのだが、それは今日の接遇で一歩進んだものになった、とイルミナートは判断していた。
「その、デルフィーナはなんと」
公女閣下とのやりとりも気になるところではあるが、それよりも殿下のことだ。
意識を切り替えてイルミナートへ問えば、年若い子爵は微かに眉根を寄せる。
「あれは気づいていない。気づかぬまま、接遇を終えた。公女閣下がお側におられたらしいが、何の苦言もなかったから、まず問題あるまい」
助言もなかったわけだが、その場でするには周囲の耳目もありできなかったのか、それとも試されたのか。そこはイルミナートには分からない。
イルミナートの言葉にドナートは胸をなで下ろしつつ、表情は苦いまま問いを重ねた。
「殿下の目的はお分かりになりますか」
「いや。それが不明なので急ぎ伝えに来たのだ」
イルミナートも難しい顔になる。
普通に考えれば、ご来臨は喜ばしいものだ。国のトップ、その一角どころか、次代の頂点である。
そんな立場の方に愛顧されているとなれば、商会自体が押しも押されぬ大手となる。
望めば王家御用達の看板にも手が届くのだ。
だが。
「単純に考えていいのか、それとも……」
裏があるのか。
あるとすればロイスフィーナ商会の急成長が気になったか、はたまたデルフィーナの存在が目にとまったか。
広く多角的に情報を集められる立場にいて、その情報を精査し読み取る能力があるならば察知されるのは、アバティーノ公爵の例で分かっている。
同じように王太子殿下が気づいた可能性は否めない。
稀人出現に際しなぜすぐに報告を上げなかったのか、と詰められれば困ることになる。
言い抜けできたとしても、印象は悪くなるだろう。
国のトップに睨まれるのは全くもってありがたくない。
「まぁ……そこら辺の懸念は、公爵閣下に丸投げしよう。公女どのは口止めされているかもしれないから、子爵の方からも念のため、ご来臨について伝えておくのがいいな」
高貴なる方の対応は自分達でするより同じく高位な人間に頼む、とイルミナートは堂々と言う。
下の者は、伝達漏れがないようにだけ努めればよいと。
「とはいえ、あまり深刻にとらえる必要はなさそうに思う。あくまでも私見だが」
「その根拠は?」
「そもそもコフィアから招待状を送った客なのだがな。殿下のお側付きなのだ」
「殿下の?」
「バルトロ・フィオーレ殿だ」
デルフィーナからその名を聞いたのが、彼女の言う高貴な客が王太子殿下だ、との答えに導いた。
ダメ押しで確信に至ったのは、件の客の名が、殿下のミドルネームと同じだったからだ。
国王の周囲を固める者達の名は広く知られているが、王太子殿下の側近は固まりきっておらず、あまり噂に上らない。しかし古参の者の名は、情報に明るい貴族ならば把握している。
そういった知識は、突っ込んで得ようとしない限り得ることはない。
当然、学びの途中であるデルフィーナは知らず。ドナートは把握していた。
「王太子殿下の最側近のお名前ですな。面識はありませんが」
エスポスティ商会の利用はなかったと記憶している。
国王陛下や王妃殿下にはご利用いただくエスポスティ商会だが、王太子殿下は側近の一人に伝統ある商会の近親者がいるらしく、専らそちらを使っているとか。
必然的に、王太子殿下の側仕え達も利用する商会はそちらとなっていた。
だからこそ、コフィアの顧客にその名があり、チョコレートのお披露目会に招待するほどご愛用だとは、想定外だった。
今後のことを考えて、デルフィーナに全て任せたのは失敗だったか。
招待客の名簿はアロイスだけでなくクラリッサも目を通したから大丈夫だと思っていたのだが、その二人も、社交に自身の名で出ることの少ない側近の名までは把握していなかった。
「つまり、普段からコフィアのご利用があったのは、もしかすると……?」
言葉を濁しつつアロイスが首を傾げると、肯定するようにイルミナートが頷いた。
「ああ。可能性は十分ある」
コフィアの菓子を側近が買っていたのは、殿下のためだったのかもしれない。
違うかもしれないが、わざわざ来店されるほどだ、一度ならずコフィアの菓子を口にされた可能性は高い。
「お忍びとはいえご自身で足を運ばれた、その意味を知りたいところだ」
「それはそうですが、問うことは叶いますまい」
「ああ、推察するしかできない」
知りたくとも本人に問うことは到底叶わないし、側近への質問も、できるかどうか。
「チョコレートの購入予約をされたようだから、受け取りにフィオーレ殿が来れば、あるいはと思うが」
ジェラルディーナにバレた以上、時間が経とうとも公爵伝いにロイスフィーナ商会が殿下の来臨を知るのは必須。
それは殿下側も分かっているため、チョコレートの受け取りに来店するのは、別の人物かもしれない。
しかし飲食物を扱うため、信頼のおける者しか使いには出さないだろう。そう考えると、フィオーレ自身が来店するかは五分五分。
「でも、ご本人がいらしたとしても、問うたところで素直にお教えくださるわけがないよねぇ?」
「読み合いをするしかないな」
「それ、誰がするの?」
コフィアの接客は当然スタッフがする。
ほぼ平民の彼らの中に、高位貴族の瞳や反応から気持ちを読む術を身につけている者などいない。
騙し合い読み合いが常の貴族の世界で、王太子の側仕えを務めるような人物だ。容易く読み取らせるわけがない。
「無理だな」
「無理だよねぇ」
学友二人は揃って肩をすくめた。
「殿下の目的が稀人であるのなら、既に動いていらっしゃるだろう。思い当たることは?」
「いえ、ありません」
殿下来臨を聞いてから、ドナートは目まぐるしく脳内で情報を引っ張り出していた。が、どこにも殿下に繋がる動きはなかった、と首を振る。
「ならば、普通に菓子と紅茶が目的と考えていいのではないか? 公爵閣下への確認をするまでは、断定できないが」
「……そうですな」
イルミナートの言にドナートも同意する。
まずはアバティーノ公爵へ連絡をして、早めに情報共有と、推測でもいいから閣下の意見を聞く必要がある。
王太子殿下に対してなんらかの動きを取るとしても、それからだ。
「せっかく庇護をいただいているのだ、こういう時に頼らねばな」
ニヤリと笑うイルミナートは、現在の自分ではまだまだ力不足と分かっているため、矜持が傷ついたとは思っていない。
デルフィーナを庇護する者の一人として不甲斐なさはあるが、上には上があることを識っているため、寄らば大樹の陰を地で行くつもりでいる。
使えるものは使うという強かさは、商人も貴族も同じなのかもしれない。
殿下であることの裏取りや、された予約注文内容の詳細確認など、すべきことをいくつか相談した後、数日後の来訪を約束して、イルミナートは帰っていった。
あの貴人が殿下だったと伝えるか否か。
その判断は、ドナートへと委ねられた。
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繁忙期が終わるまではあまり執筆時間が取れないため、いつも以上に遅くてすみません。
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