166 ジェラルディーナとの出会い
初めての邂逅は、空き時間ができたといって公爵閣下が新しい温室――館のオランジュリーとは別の、こぢんまりとしたそれへ、案内してくれた直後だった。
温室を満喫した後、館へ戻るべく庭を歩いていたら、正面玄関に二台の馬車が留まっていたのだ。
その馬車から、荷物が流れ作業のように下ろされ、館へ運び込まれていた。
「戻ったのか」
小さな呟きには苦みが混じっていて、おや、とデルフィーナは公爵閣下を見上げた。
先ほどまで上機嫌で温室内の薬草類を披露してくれたのに。
彼の視線を辿れば、色味鮮やかな臙脂色のドレスを身にまとった女性がいる。
赤みのある波打つ金髪は結い上げてあるだけで飾り気はあまりないのに、それだけで豪華な雰囲気だ。
あちらも気づいた様子で、にっこり笑うと、静かに歩み寄ってきた。
「聞きましてよ? お父様。なにやら幼い令嬢を囲っていらっしゃるとか」
「なんだその風評被害は」
デルフィーナは吹き出しそうになるのを慌てて飲み込んだ。
そんなデルフィーナの動きが目に止まったのだろう、突然やってきた女性は、目を瞬いた。
「あら、本当にお小さい」
デルフィーナは許可を得ていないので発言できない。ゆったりと礼を取るだけで返事にかえる。
お父様ということは、この女性は公爵閣下のご息女だ。
瞳の色は閣下ほどではないが薄めの水色で、顔の造形も高位貴族らしく整っている。鼻筋の通った辺りは確かに閣下との血のつながりをうかがわせた。
「お父様、これはさすがに気が早いのではありませんこと?」
「人聞きの悪いことを申すな」
頭痛をこらえるような表情で、閣下は指先で額を押さえる。
「だいたい、どこでそのようなことを聞いたのだ」
「あら、若い侍女達が噂していましてよ? 青金の間へ入れて、副侍女長までつけて、下にも置かぬ扱いとか」
(えっ、副侍女長?!)
デルフィーナは驚いて後ろに控えていたミーナを振り返る。視線を受けて、ミーナはにこりと笑った。
メイドだと思っていたのに、違ったらしい。
落ち着きある振る舞いから母より年上かもしれない、とは推察していたものの、そこまで立場のある人物とは思っていなかった。
「おしゃべり雀どもめ」
閣下は悪態をついたが、デルフィーナの扱いに関してこの場では説明する気がない様子。
「まあ、冗談はこのくらいにして」
それを受けてか、ゴージャス美女は艶めく唇を笑みの形に変えて、ひたとデルフィーナに視線を定めた。
「私のドレスをお譲りしたのはこちらの令嬢でしょう? 随分昔のドレスを指定されるものですから、気になってしまって」
どうやらデルフィーナが滞在中借り受けたドレスは、この美女のものだったらしい。
譲ったとの言葉にひやりとするが、もらう気はない。もし帰る際に持ち帰れと言われたら、丁重にお断りしよう、と考える。
「さぁ、それで父上、こちらの令嬢はどなた?」
キラリと薄青の瞳を煌めかせた女性に、公爵閣下はひとつ嘆息した。
「デルフィーナ、これは娘のジェラルディーナだ。
ジェラルディーナ、こちらはデルフィーナ・エスポスティ。エスポスティ子爵の娘だ」
「デルフィーナ・エスポスティ……? それは、カフェテリアを運営する商会の、会長の名ではなくて?」
小首を傾げた娘に、父親は肯定する。
「そうだ、そのデルフィーナ・エスポスティだ」
「まぁ! まぁまぁまぁ! こんなところで会えるなんて!」
途端に喜色を顕にした美女――ジェラルディーナに、デルフィーナは一歩引きそうになる足を懸命に踏ん張った。
ここで下がっては失礼に当たるので。
「初めてお目にかかります、エスポスティ子爵が娘、デルフィーナにございます。
弊商会をご認識いただいているご様子、誠にありがとうございます」
既にコフィアをご利用いただいているのかもしれない。
まだだとしても、その存在が耳に入っているのは確実のため、デルフィーナは丁寧に礼をした。
「ええ、持ち帰りの商品のみですが、新しい菓子の数々、とても感銘を受けましてよ」
考えてみれば、見習い侍女達すら知っていたのだから、公女閣下がご存知で何ら不思議はなかった。
「過分なるお褒めのお言葉を賜りまして、誠に光栄でございます」
王家に次いで身分の高い方、国内の女性で上から何番目に当たるのか、片手の数におさまるかも、という立場の方に褒められて、デルフィーナは恐縮する。
深々と頭を下げた少女に満足したらしく、ジェラルディーナはいくつか気に入った菓子の名を挙げて更に称賛した後、荷物を運び終わって待っていた侍女達の方へと去っていった。
公爵閣下にはだいぶ慣れた気がするが、想定外に新たな貴人と相対するのは、かなり緊張した。
デルフィーナは、思わずほっと息を吐いてしまった。
それを見た公爵が、口元を隠しつつ苦笑していたことには、気づかぬままだった。
「と、まぁ、そんな感じでお会いした一度きりなのです」
その日の晩餐は、疲れて寝てしまわれたとかで、同席されなかった。
参加する気満々のご様子でしたが、と伝えに来た侍女が苦笑していたので、計画外の睡眠――いわゆる寝落ちだったのかもしれない。
領地からの移動なら四六時中馬車に揺られていたわけで。疲れて寝てしまっても不思議はない。
翌日のデルフィーナは、昼には迎えが来て帰ってしまったため、結局ご挨拶できずじまいだった。
一度でも顔を合わせて声をかけていただいたというのは、下位貴族の娘としては幸甚でしかない。なので、二度目がないことはなんとも思っていなかった。
「なるほどな」
語り終えたデルフィーナに、イルミナートは小さく嘆息した。
「君も分かっただろうが、公女閣下は、まさしく公爵家の総領娘といった方だ。非常に、そう、しっかりとしていらっしゃる。爵位を継がれるかは、まだ決まっていないらしいが」
「そうなのですか?」
「ああ。ご夫君とどちらが継ぐか、まだ競っているらしい。夫婦仲はいいと聞くがな」
「ご夫妻のどちらかが継がれるのですね」
そこが決まっているのなら、未定でも配下の混乱は起きないのかもしれない。
ヴォルテッラ家の家督継承について思わぬ形で知ってしまったが、デルフィーナには関わりのないことなので、知識のひとつとして頭の片隅に留め置く。
「私は十中八九、公女殿が継がれると思っている。あの方がお強いのもあるが、ご夫君がな、一歩引いた視点に立てる方で、補う能力が高いと聞く。公女閣下より補佐向きだろう」
ご夫君は包容力のある方なのか。
確かに、意思も押しも強そうなジェラルディーナは、トップに向いていそうだ。
クラリッサのような内助の功に長けた夫人もいれば、自身が前面に出るタイプの夫人もいる。
夫婦共に並び立ち、同じくらい働く夫婦も身近に一組いるが、とちらり思い出しながら、デルフィーナは頷いた。
「公爵閣下がご壮健でいらっしゃいますから、お継ぎになるのはまだ先の話で、ゆとりがおありなのですね」
「そうだな。当分、君の後見に問題は生じないということだ」
ふっと笑ったイルミナートは紅茶を口に含む。
カップを傾ける姿は白皙の貴公子なのに、話すと意外に苦労人っぽく見えるのは、アロイスとのやりとりを知っている弊害だろうか。
共に紅茶をいただき、たっぷり眼福を味わったデルフィーナは、二、三、他の客についての話をしてから、表の仕事へと戻ったのだった。
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(予想外に繁忙期への突入が早く、更新がままならずお待たせしてしまいました…)
先日、TOブックス様宛にお手紙をちょうだいいたしました。
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