165 謎の貴人
戸惑うデルフィーナの気持ちを置き去りに、イルミナートは淡々と問いを重ねる。
「その方は、こちらから招待状を送った客か?」
「いえ、テイクアウトのご利用頻度が高いお客様の、お連れ様としていらした方です」
「そのテイクアウトの常連客の名は?」
「お待ちください、ええと、バルトロ・フィオーレ様です」
「…………」
何か問題でもあるのだろうか。悪い意味でドキドキしながらデルフィーナが問いかける前に、イルミナートが口を開いた。
「その方のお名前は分かるか?」
「はい。ガレアッツォ様です」
途端、イルミナートが片手で額を覆った。
見れば、イルミナートの従者もソファの後ろで引きつった顔をしている。
「あの、何か……」
そんなまずいお客様だったのだろうか。
デルフィーナにとって危険なのか。それともパスクウィーニ家かヴォルテッラ家と対立する派閥の方だったのか。
それにしてはジェラルディーナに警戒心や緊張感は見られなかったが。
「いや、不都合があるわけではない。非常に――そう、非常に驚き、頭を抱えたくなることではあるが、差し障りは――ない」
珍しく自信がなさそうながら、それでも言い切るイルミナートに、内心首を傾げつつデルフィーナは頷いた。
「それならいいのですが。私の対応に失礼がなかったのか不安になりますわ」
「公女閣下が咎めなかったのなら問題ないはずだ」
(本当に大丈夫かしら?)
思い返しても、目立った失敗はしなかったし、店長と客としては至って普通の、しかし至極丁寧な応対ができていたとは思うが。
「気になるなら、礼状を送る時に何か添えておけ」
「そういたしますわ」
イルミナートのアドバイスにデルフィーナは頷いた。
「それで、あの方はどういった身分のお方なのでしょう?」
何かを贈るにしても、これまた相手の身分による。
デルフィーナからすれば当然の疑問だったのだが、イルミナートの渋面は再び濃くなる。
「それは、今は聞かない方がいい。エスポスティ子爵と相談後、君にも教えるべきと判断したら、彼から聞くといい」
(ええ?)
よほどの人物、とはジェラルディーナの接し方とイルミナートの反応から分かっていたが、知るにも父の許可が必要とは。一体どんな正体なのやら。
訝しむ気持ちで一杯のデルフィーナに反して、イルミナートは重く長い溜め息をひとつ吐いた。
「まだ上に居られるのか?」
「私が降りてくる時には居られましたが」
「見て参りましょうか」
従者の申し出にイルミナートは頷きながら立ち上がった。
「私も一階のバックヤードまで行こう」
そうなるとデルフィーナも休んではいられない。合わせて立ち上がる。
一階のバックヤードは地下からの階段を上がるとまず入る部屋で、客室となるメインルームに顔を出すことなく待機できる。
営業中は茶器や作り置きの菓子を一時的に置いている部屋だ。
三人はそこまで上がり、従者一人が二階まで見に行き、デルフィーナはショーケース前まで足を運んだ。
結果として、件の紳士は、既にお帰りだった。
戻ってきたデルフィーナと入れ違いくらいの、寸前のお帰りだったと。
お土産用の臨時カウンターになっているショーケース前にいたスタッフによると、デルフィーナが地下へ降りてそう間を開けることなく降りてこられたそうだ。
イルミナートの従者が二階のスタッフに聞いたところでは。
チョコレートを満喫した三人は、これ以上は具合が悪くなる可能性がある、とスタッフによる声かけがあったため、食べるのを終わりにしたらしい。
フォーチュンクッキーのくじの結果も気になっていたようだった。
紳士二人は元々、長居はするつもりがなかったのかもしれない。
ジェラルディーナは一階まで見送りに来ておりまだ一階にいたが、デルフィーナの姿にちらりと笑みを零すと、二階へ戻っていった。
公女様はまだまだ堪能が足りないのか。もしくは貴人のお相手で疲れた心をチョコレート以外の菓子で、改めて癒やすつもりか。
口直し用として、セイボリーだけでなく、チョコレートを使わない菓子も出してある。
この後もお楽しみいただけるみたいで、店側としては何よりであるが。
一階の客への対応はアロイスに任せてあるため、デルフィーナは捕まる前にとバックヤードへ引っ込む。
そのままイルミナートと共に、休憩室へと戻った。
改めて湯を沸かし、従者が淹れてくれた紅茶を飲みながら、イルミナートとデルフィーナは息を吐いた。
イルミナートの従者にも休憩をとってもらうことにして、厨房へと移ってもらった。
主と同じテーブルには着けないから、厨房のスタッフ休憩用に用意してあった軽食を摘まんでもらっている。
チョコレートの菓子も多くはないが置いてある。
パウンドケーキの端っこや、コーティングが綺麗にいかなかった果物や、いびつに焼き上がってしまったクッキーなどだ。
見栄えが悪くても味は同じなので、好きなだけ食べていってほしい。
明かり取りの窓とドアが全開のため、傍を離れていても主の様子は窺える。心配はない。
デルフィーナはセイボリーとして置いてあった一口ミートパイに齧り付く。
大人にはちょうどいいサイズでも、デルフィーナにはちょっと大きい。
もぐもぐと咀嚼しながら、対面のイルミナートを盗み見れば、彼はココアクッキーを食べていた。
少し腹に入れて落ち着いた二人は、ポットからカップへ二杯目を注ぐ。
濃くなった紅茶にそれぞれが差し湯をした。
イルミナートは濃いめの紅茶が好きなのか、差し湯は控え目だった。
デルフィーナはミルクを入れないつもりで多めに注いだ。
「それにしても、アバティーノの公女閣下と君が親しいとは知らなかったな」
件の紳士については、もうこれ以上話すつもりはないらしい。
イルミナートは話を逸らすかのように、ジェラルディーナについて振ってきた。
デルフィーナが公爵家にしばらく滞在したことは、イルミナートも知っている。
彼の家が後ろ盾に加わった事実を、当然、経緯と共に伝えてあった。
「親しいというと語弊がありますね。お屋敷でお目にかかったのは一度きりでしたから」
デルフィーナがヴォルテッラ家の館に滞在中、公爵閣下のご家族は不在だった。
晩餐に同席するのが連日閣下とお抱え医師の男爵だけで、一度も他のご家族の姿が見えず、疑問をミーナに伝えたところ、公爵閣下に代わる形で領地へ赴いたから不在なのだと教えられた。
さすがに公爵領ともなれば、代わりのないまま最高責任者が不在なのはまずいのか、と感心したのに。
公女閣下は、デルフィーナが帰る前日、王都へ戻っていらしたのだ。
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