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トラギエーディヤと恋  作者: 鍋谷葵
発見の夏休み
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35

 じいちゃんと僕らは机を挟んで向かい合うようにして座った。僕の隣には先輩が背筋を律して正座をしている。緊張しているのかと思ったけど、先輩が見ず知らずの人と向き合うときはいつもこうだったから、これが自然な対応なんだ。けど、見ず知らずと言っても僕の親類だから信用して欲しいんだけどなあ。

 僕の願望をいざ知らず、先輩は笑みも何もかも忘れ去った真顔でじいちゃんに視線を合わせていた。無口なじいちゃんも、ジッと口を閉ざしたまま普段の目つきで先輩を見つめている。普段のじいちゃんの視線って言うのは、中々きついものだし、ほとんど口を開かないから初めてじいちゃんに会う人は大抵怯える。そんなじいちゃんの圧に負けずに先輩はじいちゃんに顔を向き合わせている。

 無言二人の間の空気は緊張しているように見えた。もっとも、二人とも話す話題が特別ないから黙っているだけで、実際は緊張というよりも気まずさが勝っているだけなのに。いや、二人共って言うよりは先輩に限っての話かもしれない。

 兎にも角にも向かい合って、視線も合っているって言うのに無言はいささかバツが悪すぎる。ここにばあちゃんが居れば話は変わるんだろうけど、残念ながらばあちゃんは今出払っているらしい。早く帰ってきてほしい。無い物ねだりだってことは分かってるさ。けれど、こんな気まずい状況に立ち会ってみろ、そう言ったこともしてみたくなるよ。誰だってね。

 居ない人の来訪を願いながら気まずさ故に口を開けない僕は、二人の様子をうかがっていた。雰囲気としては葬式に近いと思う。まあ、僕誰の葬式にも出たことが無いからはっきりとしたことは言えないんだけど、それくらい空気としては沈んでいる。じいちゃんもじいちゃんだ。さっきまで、それなりに話してたのに居間に来た瞬間、普段通りに戻るんだからさ。口を開けばただの好々爺だのに、どうして口を紡ぐんだよ。って、身内の僕は言いたい。そう言えば、親父もこんな調子のじいちゃんに何時も困らされていたな。いっつも無言の圧力を向けてくるじいちゃんに、親父はたじたじだった。そして、そんな無口なじいちゃんを嗜めるのがばあちゃんだ。黙りこくってなにも言わないじいちゃんに発破を掛けて、固い口を開かせることが出来たのは、ばあちゃんしか居なかった。だから、今ばあちゃんが来て欲しいんだ。けれど、それは無理な願いだってことは僕がさっき証明した。もう一度、こんな下らない無い物ねだりを繰り返しているのは切実に僕がばあちゃんが来てくれることを願っているからだ。蝉の鳴き声があんまりにも響く、緑を含んだ風が充満する居間は寂しいし、バツが悪いんだ。

 隣に座る先輩も段々と、じいちゃんの圧に負けはじめたのか視線をそっとじいちゃんから逸らして僕の方に困り眉を向けてきた。可愛らしい表情だ。そして、先輩はずっと見ていたくなるような僕を魅了する面持ちのままそっと口を開いた。


「ねえ、貴方のおじい様ってこういう人なの?」


「ええ、基本的に無口な人です。自分から口を開くことがあんまりないんですよ。ばあちゃんが居れば、ばあちゃんが発破を掛けて話してくれるんですがね」


「良かった。私に限っての話だったらって考えていたから」


「そんなことは無いですよ。じいちゃん、基本的にこんな感じですら。親戚の集まりの時もこんな感じですよ」


「それってかなりの問題なんじゃないのかしら?」


「まあ、でもじいちゃんが昔っからこういう人って全員知ってますからあんまり問題は起こりませんよ」


 先輩は小さな声で僕に声を掛け来た。

 僕も先輩の声と同じくらいの大きさで、こそこそと会話をする。けれど、これ、顔を見合わせて会話をしているからあんまり意味が無いと思う。じいちゃんの目もそこまで悪くない。というより、同年代の高齢者の中では滅茶苦茶に達者な方だからきっと僕らの会話も聞こえているはずだ。でも、僕は先輩との些細な会話も逃したくない。だから、僕は知られていることを知りながら少し背徳感のある会話を楽しもう。

 そう意気込んだ時、じいちゃんは咳ばらいをした。どうして、僕が楽しもうとした瞬間にこの人は邪魔するんだろう? まあ、目の前でこそこそ何か話し合われていたらそれは気になるだろうけどさ。

 間の悪いじいちゃんに不快感を抱きながらも僕は、先輩と話すことを止めてじいちゃんの方を見る。先輩は咳払いと自分たちの隠れた行動に勘付かれたことに相当焦っているようで、足の上で手をあたふたとせわしなく動かしている。ただ面白いことに先輩は、手元と内心を焦らせながらもそれを顔に出すことは無かった。


「立派な家ですね」


 冷然とした面持ちを保った先輩は、僕との会話の話題をじいちゃんが話す前に口早に別の話題を出した。けれど、その声は焦りのせいで調整が聞いていないせいか上ずった声だった。じいちゃんはさっきとはまるで違う先輩の声に驚いて、下唇を引っ込めた。じいちゃんの癖だ。


「そう言ってくれると嬉しいよ。まあ、この家を建てたのはおらじゃあないんだけどな。おらの父ちゃんが、こんな立派な家を建てたんだよ。良く働く父ちゃんだったよ」


「そうなんですね。ところでおじい様のお父様はどんな仕事をされていたんですか?」


「ああ、おらの父ちゃんか。おらの父ちゃんは天然ガスの事業を一から興した人だよ。この奥に道があるだろう? その道をずっと進んで行くとな、まあ見ての通り山に出る。そんで、そこにゃ日本でも有数のガス田があるんだよ。そんで、そのガス田がある山は偶然にも俺ん家の私有地でな、そこで事業を興したんだ。その前は土建屋兼農家をやってて、山の上に畑でも作ろうとも思って井戸を掘ってたらガスが出て来たんだとさ。それでおらの父ちゃんは見つけたガスを利用しようと町の技術屋とか、運送屋とか、土建屋とか掻き集めて、それでも足らねえ技術だのは東京から呼んできて、ガスの生成から流通まで全部やる会社を作ったんだよ。まあ、どんな仕事をやってたかって言ったら毎日毎日会社と都会を往復して、営業だとかしてたな」


「えっ、そうなの?」


 家族である僕ですら、初めて聞くことをじいちゃんは先輩に教えた。

 いや、ガス田が片山町の山にあるってことは知ってたし、そこでガスを生成していることも知ってたけど、それが僕の先祖が興した事業だとは知らなかった。時折、山から吹き上げる火をつけたのがまさか僕のひいじいちゃんだったなんてビックリだ。

 ただ、新事実に驚いて突飛な声を上げた僕にじいちゃんは首を傾げてる。


「杏子に言ってなかったか?」


「初耳だよ」


「そうか、言ってなかったか。それじゃあ、おらが二十年前まであの会社の社長だったってことも知らないのか?」


「それも初耳だよ。というか、じいちゃん社長やってたの?」


「ああ、一応社長をやってたよ。てっきりおら、親父さんから聞いてるもんだとばかり思ってたよ。まあ、でも今はどうでも良いことだよ。今は社長じゃないし、会社との関係もほとんどなくなってるからな」


 どうでも良いとは思えない事実を今さら言ってきたじいちゃんは、皺がありながらも若々しさを感じさせる顔に微笑を浮かべた。そして、何か昔を思い起こしているのか目を瞑って、小刻みに小さく頷く。

 まさか、じいちゃんにそんな過去があったとは思わなかった。というか、元社長のように全然見えない。服装もそうだし、性格もそうだ。こんな普通の人が、ガス開発なんて言う大事業の大黒柱だったなんて驚きだ。いや、普通の人だからこそ社長をこなせたのかもしれない。僕の憶測に過ぎないんだけどさ。


「そうなんですか。でも、どうして家業を杏子のお父様に継がせなかったんですか? 大抵の会社って、同族経営じゃないですか?」


「ああ、それかい。それは杏子の親父さんになって欲しくなかったからだよ。杏子の親父さんは、素敵なピアノの腕がある。おらは親父さんのピアノを聞いた瞬間、この人に経営を任せて、こんな田舎に縛り付けておくのはもったいないと思ったんだ。この選択は今でも間違ってないと思うよ。親父さんは世界に出て活躍しているしね。初めから出来上がったものよりも、自分で磨き上げたものの方がおらは素晴らしいと思うよ。だから、お嬢さんも自分のやりたいことをやって自分を磨いた方が良いよ」


「はい」


 僕なんかじゃ想像できないほどの社会経験を積んだじいちゃんは、閉じていた目を開けて、落ち着き払った表情と口ぶりで先輩の問いかけに答えた。確かにじいちゃんの言う通り、親父はピアノを弾いている時が一番輝いている。というか、あの人に楽器演奏以外をやらせても上手く行かないことは分かりきっている。寝坊するし、物をすぐ忘れるし、予定通り目的地に着けないし、勘定も雑だし、とことん経営者だとか社会人向いてない。そんな親父に神様が与えてくれたのが、ピアノの才能だ。そして、才能を奪わなかった良き理解者がじいちゃんだ。きっと、その理解力は社長だった時に磨かれたんだと思う。

 人の輝きが分かるじいちゃんの言葉に、先輩は焦った調子も無く凛とした声で返事をした。そして、微笑を浮かべた。良かった、先輩はじいちゃんを信頼に値する人間だと認めて、心を開いてくれたんだ。


「ただいま。おや、杏子が帰ってきてるのかい」


 僕が先輩の笑みを認めていると、玄関から聞きなれた芯のある若々しい声がした。じいちゃんは、その声を聞くと静かに口角を挙げて、楽しげな愛の雰囲気を纏った。じいちゃんが生涯を掛けて愛した人が帰って来たんだ。

 そう、ばあちゃんが帰ってきたんだ。

 ようやく僕らは、目的としていた人に会える。そして、僕の疑問を晴らすことが出来るはずだ。

ご覧いただきありがとうございます。

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