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トラギエーディヤと恋  作者: 鍋谷葵
発見の夏休み
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 じいちゃんは、普段の様子とは全く異なる調子を見せた。僕はこれに驚いたし、手を握られた先輩も鳩が豆鉄砲を喰らったみたいに驚いている。それにじいちゃんも驚いてるみたいだ。全員が驚いていて、誰も彼もが現状を把握できていないそんな現状だ。そして、そんな中で唯一正気を保っているのは僕だ。だから僕が二人の驚きから派生した困惑を解かなきゃだ。それが、今僕にできる仕事だ。

 僕は一目惚れして言葉を忘れたように立ち尽くしているじいちゃんの肩を軽く叩いて、それから同じように呆けている先輩の肩を叩いた。外部からの影響を受けた二人は、内面の衝撃による副作用から一挙に解放されて、正気に戻った。じいちゃんは握っていた先輩の手を離して頭を下げて、先輩はそんなじいちゃんを見てあたふたと身振り手振りで謝られることをやんわりと否定する動作を取っている。うん、こうして二人の様子を鑑みると先輩は正気に戻ってないな。先輩はまだじいちゃんの行動の意味が分かってないから、慌ててる。きっともう少し時間が経てば元に戻ると思う。だから、今はとりあえずじいちゃんに話を付けよう。じいちゃんは正気に戻ったみたいだし。


「ねえ、じいちゃん。とりあえず家に入らない? 外じゃ暑いしさ」


 年齢よりも若々しく凛とした姿勢で、頭を下げ続けるじいちゃんに僕は耳打ちをした。するとじいちゃんは、普段の無愛想な感じを取り戻して僕を凛然とした目で見つめた。もうそこにさっきまでのとぼけた雰囲気は無かった。ただ、いつも通りの堅苦しい僕が尊敬するじいちゃんの表情があった。

 けれど、そんな固い表情の中にも優しさがあることを僕は知っている。無愛想だけれど、じいちゃんは優しいんだ。誰よりも優しい。むしろ、他人に対して愛想が良いばあちゃんの方が怖い。


「ああ、そうしよう」


 無愛想な表情の中に微笑を浮かべながら、じいちゃんはそう言った。声色も優しい。やっぱり、外面よりも中身の方が大切だ。というよりも普段から無愛想だから時たま見せる優しい表情に惹きつけられるって言う話かもしれない。

 ともあれ、じいちゃんは元に戻ったし、先輩は慌ててるままだ。一方向的に見れば混乱した状況だけれど、一方向的に見れば安定した状況だ。それなら、良いんだ。一番の年長者が落ち着きを取り戻したから、混沌とした状況もいずれ落ち着くはずだ。だから、今は先輩の混乱が収まるまで待とう。きっと、その間にばあちゃんも来るだろうし。というか、家にいるかもしれないし。

 そんなことを考えている内にじいちゃんは、そそくさと来た道を戻って行く。相変わらず年齢を感じさせない気丈な歩きだ。まあ、そんなことに気を囚われていないで僕らも早く行こう。もう、僕らが、いや僕個人的な謎が解けるまであと少しなんだから。もっとも、これが分かったところで根本的な解決にはならない。僕の心を支配する暗雲が払われるだけだ。けれど、それだけでも僕の心持ちにゆとりは出来るはずだ。少なくともあの悪夢を見ないくらいには……。


「きゃっ」


「ほら、先輩。何時までもまごまごしてないで、早く行きましょう」


 僕は先輩の白くて、可憐な手を取った。すると、先輩は可愛らしい声を漏らして、混乱から解放されたらしく焦点の合った大きく見開いた赤い瞳で僕を見つめた。僕も先輩の双眸を見つめる。そう言えば、僕は、今この瞬間初めて先輩の手を握った。先輩の手は温かく、すべすべてしている。別に先輩の手を撫でまわしている訳じゃない。先輩の手は握っただけで、それが分かるんだ。きっと撫でたら、もっと違う、何か、そう耽美的な感覚を覚えると思う。

 不埒な考えはともあれ、僕は先輩の手を引っ張ってもう家に入って見えなくなったじいちゃんの後を早歩きで追いかけた。意識しちゃ駄目だ。意識すると、どうにも僕の調子は狂う。というか、先輩と繋がっていることを意識しながらだと、僕はまず間違いなく歩けなくなる。だから、今は僕の右手に握られている感覚を忘れながら早歩きしよう。


「意外と男らしい手なのね」


 だから、先輩。どうかそう言う熱っぽい言葉を吐くのは止めてもらえませんかね? 僕の脆い理性はあっという間に無くなりますから。

 外気の暑さか身体の暑さか、そのどちらかはっきりと僕の温度上昇に区別をつけることは今の僕にとって毒だ。ゆえに僕は曖昧なまま、早く歩いて行く。蝉の鳴き声に、僕は自意識を溶かしながら。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 入口の戸の大きさに反してかなり大きな土間を持つ玄関から僕らは家に入るとじいちゃんの声のする方、じいちゃんが普段から新聞を読んだり、テレビを見たりしている居間に向かった。

 居間は点いている冷房具が数十年前の扇風機だけなのにもかかわらず、案外涼しかった。それはきっと、無視が入ってくることを恐れずに家中の窓を全開にしてるからだと思う。そう言えば、ばあちゃんの家に住んでいた時は自分の部屋と親父の部屋以外、まともに冷房を点けたことが無かった。じいちゃんもばあちゃんも、よっぽど暑くならない限り、ずっと扇風機だったし。

 それとこの家が和風建築だってことも大きく影響されていると思う。陽太の家と一緒だ。床は木で敷かれた廊下以外、基本的に畳で作られていて、家の柱は木、壁は土壁で出来てる家だから熱が籠りにくいんだ。だから、僕が一人暮らしを始めた時、妙に借りた部屋が暑いって感じたんだ。ただ、夏は良いかも知れないけれど冬はやっぱり近現代的な建物の方が良い。この家、結構建ってから時間が経ってる家だから冬になると隙間風がびゅうびゅう入ってきて寒いからね。まあ、こたつに入っていればなんてことは無いんだけどさ。

 昔と今について比べながら僕らは居間の敷居を潜った。先輩は、というか初めて他人の家に入る人なら当たり前だけれどいつもより余所余所しかった。けれど、そんな普段の調子とは違う先輩でも育ちが良いのか、先輩は僕の家の家紋が刺繍されている敷居を踏まなかった。変なところに目が向いている僕だけれど、きっとこれはここが自分の家だからだと思う。そうじゃ無かったら、もっと家具とか家の作りとかに目が行くはずだ。もっとも、この家の居間に家具と呼べる家具は、随分と大きい檜の一枚板で作られた上等な木机と、薬だとか預金手帳だとか保険証だとか諸々大切なモノが入ってる年季が入って黒ずんだ階段箪笥、それからテレビデスクの上に乗っかった六十四インチのデカいテレビ、それから年季の入った扇風機くらいだ。これだけの調度品があっても、今の広さが二十四畳もあるから目立たない。調度品よりも、この家はこの居間が一番目立つ。玄関から入って東側にある居間は、縁側に沿って東に奥行きのある居間だ。古ぼけた畳の匂いに満ちている僕の好きな居間だ。

 そんな居間の中央の木机の傍で、ちょこんとあぐらをかいて座っているじいちゃんは何だか格好のせいもあってこの居間に似合っていなかった。というよりも、この家の主とは思えなかった。


「杏子、こっちだよ」


 そんな空間と不釣り合いなじいちゃんは、やっと聞こえる程度の声で僕らを手招いた。もちろん、僕らはそれに従ってじいちゃんの傍に歩み寄って行く。時折、吹いてくる畳の匂いを含んだ風が僕らを気持ちよく包み込む。

 さて、謎の種明かしまでもう一歩だ。

 

ご覧いただきありがとうございます。

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