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爽やかな田舎の香りを含む風が、陰る細道を通って僕の身体を通り抜ける。自然の涼しさを含んだ風は、汗ばむ僕の身体を十分に涼ませる。瓦屋根の軒先が両脇に立ち並んで、圧迫する様な道もこういう晴れ渡った夏なら、涼のをもたらして心地よい夏にしてくれる。ひび割れて雑草の生えるアスファルトも、日に当たっていないからひんやりと湿ったように平生の熱だ。きっと、この狭い坂道が涼しいのは陰っているだけじゃなくて、熱を帯びていないからだ。建物も長森の街と違って木造が多いから、熱い陽光を存分に浴びても建物が熱源となることは無い。こうしてみると、僕はこっちに住んでいた方が性分に合っているのかもしれない。夏の暑さには弱くて、騒がしさをあんまり好かない僕にとってはね。
過ぎたことだけど、若干の後悔だ。けれど、僕は向こうに住んで初めて自分の生活を得たから、僕が今歩きながら抱いた後悔は後悔じゃないのかもしれない。曖昧なことだ。細く入り組んだ後悔だ。まるで、この道のように。昔っから歩きなれた道のはずのなのに、今でも迷いそうになるほど入り組んだ片山町の道だ。知っている癖に、知らない僕らの道だ。どことなく僕が明確に表せない後悔に似ているような気がする。
ただ、このノスタルジックな気分は心地が良い。いや、心地が良いって言うよりも昔に戻れて楽しいって言うべきかもしれない。中学生の時からずっと理想に入り組んだ感情のまま生きてきて、そして今もずっと理想を求めて入り組んだ道を行く僕に、昔の僕を思い出せてくれる。そんな懐古さ。それに、僕の持ち合わせている重大な問題をほんのりと和らげてくれる。瞬きの安らぎだけれど、それだけでも僕にとっては嬉しいことだ。現実から逃げずに、向き合わなきゃいけないことは知っている。でも、少しくらいは逃げたい気持ちはある。決して抱いちゃいけない気分をこの懐古は、僕にもたらしてくれる。僕自身の軟弱な部分を肯定してくれるような気がするから。
「ねえ、杏子。さっきから、ずっと黙っているけどどうして?」
「いや、少し思い出に浸っていただけですよ。この道、中学に行くまでの登下校路でしたからね。色んな思い出があるんですよ」
けれど、僕自身の軟弱な部分を肯定してくれようとも、ノスタルジアは僕の現状を好転させてはくれない。むしろ、今の恋愛感情と昔の思い出が混じり合って変な気分だ。この首を傾げて可愛らしく僕の前に立ちはだかる先輩との問題を解決するためにこの道を歩いている僕とって、こんな中途半端に混じり合った感覚は要らないんだ。僕に必要なのは、一切合財を投げ捨てて、真相に至るための度胸だ。もっとも、恋愛感情をどうしようもなく持て余している今の僕には無理な話だってことは分かっているさ。
僕の歩みを止めて、嘘を含んだ答えを聞いた先輩は陽太の家では見せてくれなかった自然な笑みをこぼした。僕と椿さんの目の前でしか見せない純粋な笑みを。それから、また疑問が浮かんできたらしい好奇心旺盛な先輩は顎先に右人差し指を当てた。ついつい目を奪われる仕草に、僕の目は僕の本心に従ってつられてしまう。
「そう言えば、杏子ってずっとこっちに住んでたんだっけ?」
「中学まではこっちの婆ちゃんの家に住んでましたよ。親父が仕事で海外に行くのと、僕が高校に進学する時期が重なって、今年から向こうに住んでます。冬、大雪が降ると車でも無い限り学校に行けなくなりますからね」
「真面目ね。でも、お母様が居るんじゃないの?」
ただ、僕の本心がつられた先に待っていたのは重苦しい話題であった。もっとも、僕にとってはそんなに重くないことだし、物心ついた時にはもう居なかったからそんなに重い話題じゃないんだけど。それでも、人の死を人に伝えるって言うのは中々心苦しいものがある。けど、誤魔化しても仕方が無いからはっきりと言おうか。
「母さんなら僕が産まれると同時期に死んじゃいました。元々、身体が弱かったらしいですからね。少なくとも親父からはそう聞いてますよ」
「そう……。暗いことを聞いちゃったわね」
ほら、せっかく好奇心に満ち溢れていた先輩もしょげてしまう。だから人の死の話題は嫌いなんだ。
「けど、私と同じね。忌むべき共通点だけどね。それと父親がこっちに居ないのも」
「……」
「呆気にとられた顔。ふふ、面白いわ。けど、あんまり気にしないで。私も杏子と同じようにそんなに気にしてないから」
「そう言われても気にしちゃいますよ」
本当に気にしてしまうことだ。
確かに先輩の口から先輩の両親の話題は聞いたことがない。まあ、先輩とまともに話せるようになってから、まだ半年も経ってない若輩者が言うことじゃない。それに僕も先輩に、家族のことを話したことなんて数える程度しかないし。
ただ、それを差し引いたとしても先輩の口から家庭の話題が出ることは一切無かった。それに、先輩、口では気にして無いって言っているけど、そんな悲しげな笑みを浮かべられたら嫌でも気になりますよ。
「ふふ、ありがとう」
「何の感謝ですか? まあ、良いですよ。せっかくの楽しい夏休みです。変に気を遣う話題はやめにしましょう。そっちの方が僕らの青春のためです。それに、こんな道の途中で油を売っていたらいつまで経っても婆ちゃんの家に着きませんよ。だから行きましょ」
けれど、きっとこの先輩の家庭に関する話題は先輩にとって詮索されたくないデリケートな話題だと思う。だから僕は分かりきったことをわざと、とぼけて先に進む。そして、僕の歩みに従って先輩も歩み出す。
こんな日常で、僕は良いんだ。僕が欲しているのは、こう言う変わらない日々だ。
「ああ、そうそうきっと杏子が気になってることだと思うから一つだけ教えてあげる」
僕と並んで歩いていた先輩は、ふとしたタイミングで僕を追い越した。そして、数メートル離れた路地の終わり、夏の盛る朝の太陽が燦々と輝く通りに出ると背中を向けたまま、それなりに大きな朗らかな声で、僕に言ってきた。
「いつか杏子は、自分のお父様がドイツに居るって事を教えてくれたわね。そして、音楽の仕事をしてるってことも。だから、教えてあげる。私の父親は東京に居るの。そして、議員さんをしているの。国政のね」
僕はその事実に、どう反応すれば良いのか分からなかった。けれど、ある一つのことが僕の頭の中で繋がった。何気ない朝のニュースとね。だから、そんなどうでも良いことを言葉にしよう。
「結構ニュースに出てる人ですか?」
「さあね。テレビなんてほとんど見ないから分からない。けど、きっとテレビには映ってるんじゃない? あの人、それなりに偉い立場に居るって言っていたから」
「そうですか。まあ、とりあえず行きましょう」
「ええ、行きましょ。居ない親の話なんて私たちには要らないわ」
少し曇った声で僕の言葉に反応した先輩は、やっぱり僕よりも先に陽にあたる灼熱の道を進んで行った。僕は何か嫌な予感を先輩の言動に感じた。漠然とした感覚でしかなく、これを言葉に表すにはあまりにも証拠が足りない。もしかしたら、僕の偏執なのかもしれない。あまりにも先輩を意識しすぎて生活を営んでいることの弊害かも知れない。
分からない。
それなら、分からないままで良い。きっといつしかこの分からないことも解ける日が来るだろうから。なら、僕は今僕にできる最良の行動を取ろう。
「待ってくださいよ、先輩。大体、婆ちゃんの家までの道しらないでしょ?」
僕は先行く先輩に待ったをかけて、陽のあたる道へと陰る路地から出て行く。ほんの一時間もたっていないのにもかかわらず、太陽の熱は強烈になっていた。白い陽光が僕のひ弱な身体を焼こうと照り付け、薄暗さに慣れきった目を眩ませる。
けれど、僕はそれに耐え忍んで先輩を追いかける。軒並みから外れ、両脇を雑草畑で彩られる緑で飾られたアスファルトの坂道を歩く先輩を追いかけていく。
さて、真相まで、婆ちゃんの家まではもう少しだ。
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