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トラギエーディヤと恋  作者: 鍋谷葵
発見の夏休み
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28

 見覚えのある人影、というか、そんな回りくどい言い方をせずに言うならあいつは僕らの下へ駆け寄ってきた。その姿は何だか、元気で可愛らしい大型犬みたいだ。性格も犬みたいに従順だし、ホントにそっくりだ。

 ただ、一つイラつくところがある。それは、人が居ないにしても、一応公の場で周囲に響き渡る大声を出したことだ。そう言うところへの気配りは是非して欲しい。あと、もう一つ。顔が良いのが腹立つ。どうして、あいつはあんなに顔が良いんだろう?

 まあ、こんな変わりようないことと変わった方が良いことに苛立っていようとも、あいつは駆け寄ってくるんだから、僕らの下に着いた時、それを全部吐き出せばいいや。いや、それは無粋だな。せっかくの恋人になるかもしれない朝の二人の出会いを邪魔するなんて、僕はそこまで堕ちた訳じゃないからね。

 なら、どうしようか?

 対あいつの場合、何もしないのが正解だ。変に噛みついたところで、あの鈍感だ。気付くはずがない。適当な皮肉を漏らしたって、あいつはそのままの意味で受け取るから全く持って僕の反発の反応はくじかれるんだからさ。それなら、無意味なことはしないに越したことはないね。

 キザったらしく、痛々しい心持ちの僕だけれど隣の榊は違う。大体、榊だけじゃなくても大体の女性だったら、きっと心があいつになびいて仕方が無いはずだと思う。だけれど、榊は特別なびいている。僕の想像を超える恋愛的暴風が心に吹きすさんでいるはずだ。それだから、榊は顔を真っ赤にしているんだ。トキメキってやつだ。流石に僕が言うと気持ちが悪いな。というより、こんな言葉が出て来るなんて僕も、もうろくしちまったかしら? この暑さのせいでね。

 責任を自然に追いやって、目を瞑って溜息を吐く僕だ。けれど、到着したからにはあいつの調子に合わせて、この場を整えなきゃならない。いや、そんな大層な任務が僕に勤まる訳がないから、この場合、空気を合わせるっていうことに限られるな。精々、僕の影響力はその程度だからね。

 だから、僕は溜息もそここに顔を上げる。目を開けたその瞬間、あいつの顔が僕じゃなくて榊に向かってることを祈るよ。


「どうした杏子? もしかして、何か俺に言いたいことがあるの?」


「無いよ」


 でも、そんな僕の心配事を他所に陽太は僕に問いかけてきた。汗を顎先まで滴らせ、伊達男の色気を感じさせる自然な表情は僕でも見惚れる。例えそれが、オレンジ色のタンクトップに白い短パンとパチ臭い青いビーチサンダルを履いた奴でもだ。流石は青春の男だ。

 あまりにも残念な朴念仁に、僕は再び溜息を吐きそうになった。でも、そこを何とか押せえた。これ以上、どうでも良い会話を恋の間に挟む意味は何もないし、これ以上僕と会話しても何も生まれない。

 こんな非生産的で、せっかく榊の機会をぶち壊すようなことになるんだったら昨日の夜、こいつからのメール返さなきゃ良かった。何なら、今から過去に戻ってその時の僕に、『一本遅い電車に乗って来いって』言ってやりたい。ただ、残念ながら過去は変えられない。だから、どれだけ悔やんでも仕方が無いことだ。時間を無駄にするだけのくだらないことだ。それなら、今をより良くしよう。

 僕は身に纏っていたであろう退屈と呆れの雰囲気を朝風に乗せながら、あいつの目を見る。曇りの無い美しい瞳だ。僕も自分の目に自信があるけど、こいつはそれ以上に美しい気がする。


「それで、陽太はどうしてここに来たのさ?」


「俺? 二人を迎えに来ようと思ってさ。ほら、昨日のメールで三本目の電車に乗ってくるって言ってくれたじゃん? だからこうして、ここに居る訳だよ」


「そう。よくもまあ、この暑いに三十分もかけて歩いて来ようと思えたね」


「そりゃあ、友達と会えるんだから当たり前じゃん。なあ、榊?」


 瞳の美しさを僕は忘れて、陽太との会話に励んだ。本当はこの役割も榊の役割だ。けれど、今はどうしたって真っ赤に染まる榊にこの役が務まるとは思えない。だから、僕は自然に陽太の会話の矛先を榊へと誘導した。

 ところが、そんな風に体裁を整えたところで、榊が上手く会話を紡ぐことが出来るかどうかは分からない。榊からしてみれば、自意識に全集中力が向いている時にいきなり好きな人に話しかけられるんだから、それは当たり前だ。疑う余地はなにも無い。

 でも、そこを何とか乗り越えて欲しい。そして、できればこの短い夏の間で恋を紡いで欲しいとも思うよ。そんな期待を込めて、僕はチラリと榊の方に顔を向ける。


「え、ええ、そっそうよね……」


「榊? 大丈夫?」


「大丈夫! 大丈夫よ……」


 駄目みたいだ。

 いや、これは榊が駄目というよりこれは陽太が悪い。こいつがこんなに扇情的な格好をしてるから駄目なんだ。榊もきっと、こいつがもっとまともな格好をしていればなんてことは無かったはずだ。暴論かもしれないけど、全部全部こいつが悪い。

 とりあえず、これ以上陽太を榊に任せるのは僕の良心が痛む。唐突な想い人の声の結果、恥を当人の目の前で晒してしまった。そんなコメディチックな悲劇は、あんまりだ。大体、僕が好きじゃないんだ。だから、これは僕の名の下における行動だ。決して、榊に対する憐憫なんかじゃない。


「二人とも、とりあえず行こうよ。こんな場所でダラダラしてても、何にもならないからさ。それに、段々日が昇ってきた。風も熱くなってきたしさ」


「ええ、行きましょう。行きましょう!」


 一方が強烈な心配の視線を向け、一方が強烈な恥のためにその視線から逃れようとする関係を無理やり分断する言葉を僕は二人に掛けた。そして、僕の言葉はすんなりと二人の関係に効いた。多分、それは榊の方の一刻も早く逃れたい気分に強く作用したからだと思う。

 そんなことだから、榊は僕の言葉を最後に普段のテンションと大きく外れた調子で道も分からないのにずんずんと前に進んで行った。それも早足でだ。自暴自棄な調子が少し僕の心を痛めると同時に、少し笑わせてくれた。

 ただ、そんな調子で居ても置いて行かれるだけだ。榊の代わり様に呆気にとられている陽太の手を僕は、取りたくないけれど取った。


「行こう。榊、あのまま行くと迷うだろうからさ」


「一本道だけどな」


「そう言うことじゃないんだよ。陽太は建前を知らないのか? だから、陽太は女子にモテそうでモテないんだよ。建前は時として、本音より価値があるんだよ」


「そう言うもんか?」


 話が分からない鈍感な陽太の手を無理やり引っ張って、僕は走り出そうとした。けれど、こいつの身体は重かった。筋肉質な身体は、僕のひ弱な力じゃとても動かせなかった。


「杏子?」


「うっさい」


 だから、僕はこいつの手から手を離して、並んで歩くことにした。結局、人の手に頼るんじゃなくて、自分の足で歩く方が実地的なんだ。決して、これは僕の弱さを肯定する悲しく弁明なんかじゃない。本当にそうだ。

 自己弁論の虚しさを抱えながら、僕は腹立たしい鈍化な陽太と共に榊を追いかけていく。足はもちろん僕の方が遅い。だから、陽太は僕の足並みに揃えて走ってくれる。

 過ぎ去って行く駅前の景色は虚しかった。僕に吹いてくる風も何故か虚しい。これはきっと僕の内面のせいだ。間違いない。本来、この形式は夏の美しさを孕んでいて、風も爽やかなはずなんだ。けれど、僕の内面はこれを残念な灰色に汚してしまう。悲しいことだ。

 それに、ああ、僕はこれから自分にとって、先輩にとって大切な謎を解きに行かなきゃなんだ。これも僕の心持ちを汚している一つの要因かもしれない……。


ご覧いただきありがとうございます。

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