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トラギエーディヤと恋  作者: 鍋谷葵
発見の夏休み
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26

 時間は流れた。

 結局のところ僕は、あそこに居残った僕はぼうっとするだけだった。時間の無駄。人生の浪費だった。けれど、少しくらい自分の感情を考えることが出来た。恥ずかしげも無くあいつに向かって言ったことを履行し、溜飲を下して、現状を解決するということを僕は僕なりに理解した。いや、僕が言ったんだから理解するも何もない。実際に言ったのは僕で、僕もそれを望んでいたんだから。

 記憶が曖昧なのか? いや、違う。ただ、今でも僕はあいつの言ったことから目を逸らしたいだけなんだ。だから、僕はこうして自分の中でさえ、論点をずらして自分を安置に置こうとしているんだ。あさましく、女々しい。もはや、逃れられないことなのにもかかわらず、それから目を逸らして、自分を知らんふりしたいなんて言うのは、我が儘な貴婦人だ。置かれた状況から目を逸らしちゃいけない。

 ああ、目を向けよう。そう、僕は、ただ人間に無愛想で突き放すような態度をとれないって言うことだ。それを僕は飲み下したんだ。それで、僕はアレを人として扱わないって決めたんだ。アレは人じゃない。やっぱり、僕ら現世に生きる生者を惑わす亡霊だ。だから、僕はあいつを人とは思わない。例え、本来の姿が人間だとしても、あいつは化け物だ。

 ゆえに、僕はあいつを嫌悪する。拒絶する。本能だ。いや、本能か? 理性の決め付けを本能に押し付けてるだけか? 分からない。違う、分かっているんだ。僕はあいつを徹頭徹尾嫌悪することも出来ないし、一切話をしないということも出来ない。だから、取り繕った拒絶の衣を纏っているんだ。

 所詮、こんなの屁理屈だ。結局のところ僕は、自分の決めきれない感情を無理やり押さえつけて嫌悪と拒絶を見せているんだから。まあ、でも、何も決めきれないって言うのよりかは随分良い気がする。蔑ろにしたまま、何も決めずに、中途半端な心持ちで居ることが一番良くない。どんな形でも良いから、白黒はっきりさせた方が良いんだから。


 そんな過去の自分に対する適当な屁理屈を頭の中でこねながら、僕は今、長森駅発の片山行きの電車に乗っている。三両編成の電車の二両目、その中央に位置する対面座席の進行方向とは逆方向の窓側の席に座っている。隣には陽太の家に止まるために持って来た、持ち手付きのダッフルバッグを置いて。ほとんど人が乗っていないんだから、これくらいは許して欲しい。

 誰に向かって許しを請っているのか分からない僕に、夏の太陽光線は窓越しにも突き刺さってくる。朝八時五分の鋭さじゃない。いくら車内の冷房が利いているとはいえ、直で日光を浴びるのは暑い。

 ただ、そんな暑すぎる日光に対する不平なんてどうでも良い。今は自然に対する敵意よりも、自然に対する好意の方が強いんだから。

 延々と続く潤された田園の若々しく力強い鮮緑と、真っ平らな田んぼ鏡に映る雲一つない快晴の澄み切った青空は、僕の鬱々としていた心を癒してくれる。反射する光と差し込んでくる二つの光がまぶし過ぎるけれど、少し眩むくらいが僕には丁度良い。そちらの方が、現実から目を背けられるから。いや、背けちゃいけないんだけどさ。けれど、瞬きの間、現実を忘れられるっていうは随分と良いことだと思う。地域の学校はどこもかしこも夏休みに入って、登校のため電車に乗る人も居なくてガラガラの車内だし、騒音も無いこんな状況は滅多に無い貴重なことだしね。ナーバスじゃなくとも、この揺れる落ち着き払った静かさに満ちた電車に身を任せるって言うのは、何をするよりもリラックスできる。気に悩むことも無くて良いんだ。目を閉じて、全ては無に、あらゆるものは沈黙の中に潮流の中に落とし込んで……。


「黄昏てるところ申し訳ないんだけど、あと一駅で着くから寝るのだけは止めて。寝過ごしても知らないわよ」


「起こしてくれれば、それで良いと思うんだけど?」


 けれど、僕の心地よい沈黙への逃避は正面に座る美少女? によって阻まれてしまった。カジュアルかつシンプルな白のノースリーブ、黒いスキニ―パンツ、足は黒いシンプルな女性物のサンダルで身を固めた榊は、その服装に良く似合った、白黒はっきりした素っ気ない口ぶりで、随分と酷いことを言ってきた。


「嫌よ、面倒臭い」


「ええ……」


 そして、僕のいわゆる一般的な友人関係の問いかけにも傲然と答えてくれた。こうなったら、答えてくれるだけでも嬉しい。無視されるのが一番堪えることだしね。

 段々、自分の幸せのハードルが下がって行くのをひしひしと感じる。榊との間のハードル限定だけれど。そんな変わりゆく自分の幸福の程度のせいで、いや、榊にあまりにも素っ気ない反応をされた溜息も含まれて、僕は情けない言葉にならない声を漏らした。

 僕のそんな様を見た榊も、僕と同じような息を漏らす。けれど、それは僕と違った呆れだ。そして、榊は吐き終えると窓に寄り掛かる様に頬杖をついた。それから、僕を見下すような視線でこっちを見つめる。


「というよりも、辛気臭いあんたに話しかけたくないだけ。それだけよ。男ならもっとシャキッとしなさいよ、昨日も白銀の姫と話せなかったんだし。今くらいはシャキッとして、男らしい堂々とした雰囲気を見せないさいよ。そんな調子だと、何時まで経ってもあの人を振り向かせることは出来ないわよ」


 榊は僕に向かってごもっともなことを投げ掛けた。当たり前のことを僕に突き付けてくれた。ありがたいことだ。けれど、しんみりとした僕の心には効きすぎる。もう少しだけ優しい言葉を僕に下さい。お願いします。

 下らないないモノねだりの意味なんて意味が無い。甘えに過ぎないんだ。ゴミだ。芥だ。榊の言う通りなんだから、素直に飲み込もう。あいつのことをグダグダと引きずってロクでも無い感傷的な女々しい態度になるくらいだったら、痛くて辛い言葉を真に受けて、自分を律した方がよっぽど良い。


「ああ、そうだね。榊の言う通りだ。もう少し前を向いてみるよ。まあ、少し前も前向きになったけど、点で駄目だったけどさ」


「今のその言葉自体が駄目。後ろ向きに過去を振り返らずに、先を見なさい。これからあんたが歩んで行くのは、そこなんだから」


「結構、詩的なことを言うね。リアリストなのに」


「私だって言いたいときは言うわよ」


「そっか」


「そうよ」


 僕に言いたいことを一しきり言い終えた榊は、溜息を吐くと、軽蔑の雰囲気を鞘に納めて、その視線を外へと向けた。見渡す限りの瑞々しい田園風景の中に、家々の茶焦げた纏まりが近づいてきた。それまでは送電用の鉄塔とカントリーエレベーターくらいしか建造物が見えなかった光景の中に、人の営みが宿っている建物群が見え始めた。いつの間にか、信濃川は通り過ぎていたらしい。あの古ぼけた鉄橋の上を通る時けたたましく僕らの耳をつんざく音、身体を襲う振動に気付けなかった。僕らにとって、さっきの会話はよっぽど集中を使ってたらしい。普段通りの会話だと思ってたのに。

 何気ない中に、僕らは集中しすぎていた。悪いことじゃない。きっと、これもまた青春だとかそんな一ページなんだから。

 さて、そろそろ降りる時間だ。川を越えたらすぐなんだ。あいつの家までは、それなりに遠いけれど。ひとまずは片山町へと着くんだ。降りる準備をしよう。

 そんなことを思っていると、機械音が次の停車駅を告げた。片山町へ、僕の疑問を失くせるかもしれない地、榊にとっては恋の想いを紡ぐ土地へと着くんだ。

 なんだか、嫌な胸騒ぎがするようなしない様な。

ご覧いただきありがとうございます。

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