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トラギエーディヤと恋  作者: 鍋谷葵
発見の夏休み
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26/41

25

 語り終えたあいつの雰囲気は儚い。吹けば消えそう、触れれば崩れそう、また吹いてきた風ですらあいつには強すぎるんじゃないかと思う。脆くて、寂しげな雰囲気は定まらない理性に惑わされる僕の心持ちを定めた。矛盾していることだ。あれだけ、こいつにイラつかされて、惑わされていたのに、今はこいつの儚い雰囲気のおかげで、冷静さを取り戻したんだから。

 いや、そんなのは、矛盾の中でもほんの小さな一部だけだ。他の多くを占めているのは、僕の気持ち悪い収集家の様な矛盾だ。僕はこいつの儚さを、心の中に閉じ込めておきたいとすら思っているんだ。消えて欲しいと願う憎悪の対象とすべき霊魂を、何の因果で憑き物にされたのか分からないこの魂を、ふとした瞬間に見せる月の輝きの様な美しさを持っていたいんだ。瞬きの美しさのために、何時までもこの魂を現世に縛り付けておきたいんだ。こいつの天へと繋がる階段を壊したいとすら思う。僕の双眸に余る美しさのために……。


「杏子、あまり気持ちの悪いことを考えるな。儂とて自分を知り、この世から離れたいよ。いや、この浮世の楽しみを酸いも甘いも体験してからだな。とかく、儂とて自分を知りたい。けれど、自分を知るには無知が過ぎる。こと知識おいては、それなり開けているのに、自分のこととなると驚くほど分からない。思い出せない」


 聡明で狡猾なあいつは、反吐が出るほど気持ちの悪い僕の心を読むと微笑みながら語りかけた。僕のことを嫌悪する様子は無かった。ただ、あいつは僕を面白い人間だとしか思わずに微笑んだだけだった。けれど、やっぱり、あいつの言葉の端々には儚さが含まれている。人を狂わせるような美しい光が、差し込んでいるんだ。今、爛々と輝く陽光とは真逆の冷たい月光が。

 僕を引き込む魅力的な光の言葉を発するあいつだけれど、本心としては成仏したいみたいだ。一度も死んでいなければ、記憶も奪われたことの無い僕にしてみれば分かるはずの無いことだけれど、僕らが生きる時代の歓楽を体験したらこの世を去りたいらしい。そして、きっと、これがあいつの儚さの原因だ。多分、自殺願望に似ているんだと思う。あくまで仮定に過ぎないけれど、僕から見ればあいつは自らの命を捨てたい様に見える。もう、一度の人生を長く過ごしたくないって言う欲求がある様に見えて仕方が無いんだ。人として最期を迎えたいんだと思う。悲しい欲求だ。

 ただの人間、それも一生の過程の内の僅かしか歩んでいない僕には到底、理解できない。それに、僕と同じ年頃でこいつの欲求を、仮定の欲求を理解できる人は誰も居ない。居たとしたら、そいつは真っ赤な嘘つきだ。地獄で舌を抜かれる人間だ。じゃないとしたら、きっとそいつも二度の人生を過ごしている奴に違いない。きっと、目の前で微笑むあいつと馬が合うと思う。いいや、こいつと馬が合うなんて言うのよ戯れ言だ。やっぱり、誰も居ない。居ちゃいけないんだ。そんな孤独で、孤独から解放されるために月並みの死を望む願望なんて分かっちゃいけないんだ。

 だから、僕はこいつの願望を無視しよう。理解しているふりすらしない。僕にとって大切なことは、こいつの願望じゃない。僕にとって一番大切なことは、先輩をこいつから解放することだ。それだけが、大切なことだ。あと、蛇足だけれどもう一つ大切なことは、どうしてこいつの口から婆ちゃんの名前と古暮貌の名前が出て来たかってことだ。それだけ、知って、後はご自由に他界してくれたらこっちは喜ばしいこと限りない。もっとも、そんなことを口に出す程、僕も冷たい男じゃない。せめてもの慰みくらいは言ってやろう。


「過去を思い出せないないんだったら、探せばいいじゃないですか。あなたの頭は空っぽです。けれど、手掛かりはある。僕に嫌な予感を纏わせたあの雰囲気だったり、僕にとって大切な人たちの名前が出てきたことだったり、色々とある。あなたは無知だ。事実を知らない。でも、知ることはできる。なら、それをやれば良い。どうせ、映画も退屈だろうし、読書もあなたからしたら暇つぶしの一言だ。なら、僕との時間を、黄昏時を使えば良い」


 臭いセリフを真面目腐った面持ちで、僕は右手をあいつにビシッと向けた。ただ、そのせいで、美しい月の輝きは失われた。あいつは、口を半開きに、大きく開いた赤い瞳を光らせながら、似合わない気の抜けた驚き方をした。

 けれど、いつもの調子は失わず、すぐさま元の余裕ぶった表情に戻った。


「ほう、儂の記憶探しを手伝ってくれるのか? ふふふ、中々殊勝な心がけだ。ようやく、儂の魅力に気づいてくれたのか。嬉しいことだよ」


「頭湧いてるんですか? 今の僕の言葉の何処に、あなたを慕う感情が見えたんですか? やっぱり、あなたは人間じゃない。鳥ですよ。梟ですよ。だって、その頭なんですから」


「ふふふ、随分と強く言葉を発するようになったじゃないか。儂は嬉しいよ。いや、もしかして、その髪型のおかげか? やっぱり、男なら額を出した方が覇気があって良い。もっとも、少年には似合ってないがね」


「余計です。とかく、僕とあなたは利害が一致している。だから、探りましょう」


「ああ、喜んで。自分を知るほど以上の心踊る喜びなんて無いからな。手を組もう」


 笑えない冗談を言いながらも、それに僕が苛立ちながらも、あいつは僕に向かって満面の笑みを浮かべる。僕ばかりが、つっけんどんな態度をとってばかりいて恥ずかしくなる。

 本当なら、僕のせいだ。いいや、本当ならって言うよりも、マジで僕のせいで僕のこの態度は生まれている。こいつみたいに、関係性を割り切って飲み下せばそれで良いだけの話なんだから。

 けれど、こいつのせいで自分の態度が女々しいことになっているなんて言うのは認めたくない。意地っ張りな僕の強情だ。ああ、もう、まただ。また、榊に言われたような女々しさが戻ってきた。畜生、その一言だ。


「ふふ、杏子。お前がそんな風な悩むのも、若さゆえだよ。今はそうして、自分を悩めよ。それが少年たるお前の仕事だよ」


 僕の内面をあいつは読むと、クスリと笑いながら年長者の言葉を掛けた。きっと、これは金言なんだと思う。だけれど、僕はそれを素直に受け取ることは出来ない。

 ついつい顔を背けて、強情のままに対応してしまう。こいつの言葉を聞いた方が良いのは、間違いない。でも、やっぱり、僕のちっぽけなプライドがそれを許してくれない。

 ああ、短い草むらから飛び立って、僕の足元を通った白い蝶の方が、立派だ。自分の羽で、自分の思うままに飛んでいるだから。自分にプライドの重りばかりを着けて、嫌な態度ばっかり取っている僕は情けない。

 一体、僕は、どうして、こんな正直になれない人なんだろう? いや、そんなのは明確に分かってる。けれど、僕はそれから目を逸らしたいんだ。ほんの数時間前まで酷く憎んでいた奴が、自分と同じ人間だって分かったら途端にダメになった。僕も人の子だ。人を怪異と同じように憎むことは、出来ないんだ。それだから、僕はこんな感情になってるんだ。憎む者を失った人間は、矛先を失って、露頭に迷うんだ。


「迷えよ少年。それじゃあ、儂は先に帰るとするよ。そうだな、夏季休暇中、会えたらその時はよろしく頼むよ」


 再びクスリと笑ったあいつは、下向く僕の頭に軽く手を乗せると傍らを通って、過ぎ去ろうとした。先輩とは違う甘い匂いが、青い風の中に含まれて鼻腔をくすぐる。

 けれど、あいつは言葉通り去ることは無く、僕の僅か後ろで足を止めた。草を踏む音が、そこで止まった。


「ああ、忘れてたけど儂がここに来た理由は特にない。ただ、気が惹かれたから、というよりも部屋の中で本だとか活動写真、じゃなくて映画だとかに飽きたからだよ。深い理由は無い。それと、さっきも言ったような気がするけど儂はお前の家族を知らないよ。本当に、儂の口からたまたま言葉が出ただけだよ。それじゃ」


 そう言って再び別れを告げると、あいつは今度こそ去っていた。

 僕は一人、ぐちゃぐちゃな心を抱えたまま、青い風の中で佇む。情けない。結局、先輩とも話せなかったし。

 今はまだ帰りたく無い。もう少し、時間が経ってから帰ろう。それなら、お社を少し見ておこう。暇つぶしくらいには、なると思うからね。

 自分から目を逸らしたいがために、僕はやらなくても良いことをやろうと足を動かす。


「はあ、もっと男らしくなりたいな」


 つまらない言葉を吐きながら。

ご覧いただきありがとうございます。

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