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「それで、あんこ。さっきからうな垂れて成績はどうだったの?」
通知表を返された僕に、肩に鞄を掛け帰る準備をした榊が声を掛けてきた。全く、こんな風に机に突っ伏しているのがどういうことだか分からないのかな? まさか、僕を馬鹿にして来ているのか? いや、実際馬鹿だから馬鹿にするっていうよりも、現実を突きつけられているって言う方が正しいんだけどさ。悲しいな。
けれど、このまま榊の言葉を放って置く訳にはいかない。酷く言いたくない醜態だけど言わなきゃならない。榊に通知表が渡されたとき、教壇の傍らで悪魔の紙と通知表を片手に持って呆然と立ち尽くす僕の視界に榊の持つ紙が入っちゃったから。そして、不幸なことにこの偶然の出来事を榊は勘付いてしまったから。なるほど、榊から言わせれば等価交換だ。もちろん僕もそれには、理解を示すさ。僕が榊の立場に立ったら、やられっぱなしっていうのは腹が立つからね。応酬ってやつさ。
だけどね榊。そんな五だらけの通知表と僕の通知表が、等しい価値を持っているとは思えないんだよね。アメリカドルと旧ジンバブエドルと同じくらいの差があると思うんだ。だからさ、後生だから、僕の背中を見てその言葉を撤回してくれないかな?
「ねえ、さっさと答えなさいよ。はぐらかしたって私は帰らないわよ。美術部も今日は無いもの。あんこが自分で吐くまで、私は帰らないわよ。陽太は帰っちゃったけどね」
ああ、駄目ですか。僕の希望は、風の前の塵の如く吹き飛ばされた。栄華を極めた平家の没落と同じくらいあっという間だ。まあ、平家の頂点はそれなりに長く続いたと思うけど。あと、清盛さんは結構良い人だと思うし。あの人、宋との貿易のために港を整えたり、人柱を無駄って言ったり、結構開けている人だったし。ただ、後継者が悪かったね。あれは本当に運が無いと思うよ。可哀そう。それと、あの血を血で洗う野蛮な世の中で情を掛けすぎたって言うのも敗因だと思うんだよね。
いや、こんなことはどうだって良い。どうでも良すぎるし、話が飛び過ぎだ。今僕がやらなきゃいけないことは、この悪魔染みた榊に自身の真実を告白することだ。異端審問の信仰告白並に無意味な気がするけど。まあ、異端審問官よりも数億倍優しいから良いや。言ってしまえば終わることだ。
さあ顔を上げて、榊を見よう。
おっと、その意地悪な笑みは止めてもらえますかね。こっちにも恥って言うものがあるんでね。だけど、恥を忍んで僕は告白しよう。というか、どうして僕は成績一つでこんな緊張しているのかしら? 教室には僕と榊だけだ。陽太は誇らしげな榊の顔を見ると、弄られまいと、とんずらこいたからホントに教室に残っているのは僕らだけなんだ。静かだ。なあに、恥じるべきことなんて何にもないじゃないか。他人も誰も彼も居ないんだからね。
さっさと言っちゃおう! それも胸を張って、自信満々にね!
「ああ、赤は無かったさ! ただね、数学のあの先生から課題プリントを渡されちゃってね! これ出さないと問答無用で成績に赤点けるってさ!」
「ちなみにどのくらいの量のプリント?」
ただ、僕の空元気は無理があったのか空ぶったみたいで榊はそれまだ浮かべていた悪戯っぽい笑みを隠すと、冷然としたこちらを侮蔑するような視線で現実を突き付けてきた。
駄目だ、ここでこの冷たさに屈しちゃ男が廃る。ただでさえ榊は、僕が女々しい奴って思われてるしね。空元気が、ぽっきりと折られるまで言葉を濁しちゃ駄目だ。ただ残念なことながら、現実を直視すると僕の心がぽっきりと折れてしまう。だからこれが最後の元気の出力だ。
「両面印刷十五枚さ! 頭が狂ってるとしか思えないですけどねえ!?」
「あんたが数学出来ないのに、真面目に勉強しなかったせいでしょ?」
「それを言われたら、何も言えないよ……」
呆れたような榊の声は、僕の心を縮ませた。さっきまで無理の伸ばしていた気力もとうに失われて、なけなしの煙草の吸い殻みたいに押しつぶされてしまった。
だから、言うのが嫌だったんだ。現実は辛い。先輩とも気まずいし、課題は山積しているし……。嘆きが止まらないよ。
「けど、チャンスじゃないの」
ガクッとうな垂れる僕に向かって、榊はとんでもないことを言ってきた。赤点回避の課題にチャンスなんてないよ。あるのは絶望的な量だけだ。あと、僕の数学に対する絶望的な無理解だね。
「なんのさ? 情けで赤を助けてもらった僕の課題にチャンスがあるのさ?」
「あんたの課題にチャンスなんてないわよ。精々、数学の苦手意識がさらに強まるくらいよ」
ほら、絶望だ。大体、人に苦手教科を潰して欲しかったらその教科の魅力を教えればいいんだ。それが何に役立っていて、どんなところに応用されているから教えてくれればいいんだ。そしたら、少しは世のため人のためって言う認識が生まれて勉強する気になるんだろうからさ。
実際、数学の良さを教えられても僕が数学が好きになることは無いから、建前に過ぎなんだけどさ。そんな勉強のことよりも、こいつにはどんなチャンスが見えているんだろう。僕にとって得なことだろうけど、僕にはそれが見えない。なら、この冷めた人に教えてもらおう。心底嫌だけど。
「じゃあ、何なのさ? 教えてくれよ」
「簡単な話よ。あんた、白銀の姫に勉強を教えてもらえばいいじゃない。あの人、頭良いでしょ? 確か二年の首席だし」
「なるほど。榊、君、頭良いね。ノーベル賞取れるぜ」
「あんたにはその男らしい語尾、ホントに似合わないから止めた方が良いわよ。そう言った語尾が似合う男は、陽太とかのザ・男ってやつだけよ。だから、もしあんたがその語尾を使いたいんだったら、その綺麗な髪をさっぱり切り落として、筋肉をつけた方が良いわよ。じゃなかったら、そんな毒にしかならない語尾を使うのは今後一切止めて」
天才的頭脳、神の意志、それを宿す人の子榊を褒めたつもりが、どうやら酷く不評だったらしい。心なしか冷房が止まってるはずの教室のなのにもかかわらず、身体が冷える。人の感情がもたらす感覚って言うのは、想像を絶するときがあるんだなあ……。
底冷えする寒さと僕の予想の遥か上を行く蔑みの視線は、僕が冗談のためにこしらえたキメ顔を早急にしらけさせた。面と向かって表情と発言を批判されたら、誰だってこうなると思う。もし、そうならない人が居たら僕に連絡をしてくれないか。その術を是非学びたい。
さて、こんな饒舌な冗談はさて置いて、榊にも先輩にも馬鹿にされた僕の冗談は本当に面白くないんだな。これもまた現実だ。数学の課題と一緒のね。というか忘れてたけど、僕よりも陽太はマシだったんだな。成績。これから勉強教えるの止めようかな。
でも、まあ腐れ縁ってことでどの道教えることになるんだろうけどさ。
ともあれ、確かに榊の言うことは僕にとってのチャンスだ。僕からしたらマイナスでしかない、不名誉の産物をプラスに変えれることなんだから。
けどね、榊。それは一昔前までの僕だよ。今の僕にとっては、先輩と話すことすらままならないんだからね。いや、それは自分のヘタレ加減が原因っていうことはよく分かってるさ。残念なことに、僕のまだ純粋無垢な気心はどうしようもなく臆病なんだ。だから、先輩と面を合わせて会話することも出来ないんだ。逃げの言い訳だっていうことはよく分かっているさ。けれど、この憐れな子羊を見守れよ。主たる榊様。
「まっ、あんたがヘタレっていうことはよく分かってるから無理強いはしないわよ」
「そんなこと言わないでくれよ。お前だって、陽太に勉強教えてあげろよ。二人きりでさ。それが出来ないんだったら、僕と一緒のヘタレだよ」
「うっさいわね!」
「ええ……」
心の嘆きを勘付かれまいと適当に放った言葉は、榊に結構効いたみたいだ。素っ気ない僕の一言で、結構傷付いたらしい。いや、傷付いたというか図星を突かれたって言う方が正しいか。こいつ、自分のことと急に年頃の女の子になるんだ。全く、面倒な奴だ。
けれど、多分、この心強い榊を傷付けてしまったことは違いない。僕も自分で出来やしないことを榊に言ってしまったんだから。謝らないと。
「でも、あんたの言ってる通りだから怒ってもしょうがないわね。とりあえず、こんな暑い場所からさっさと出ましょ。そんで、あんたは自分の想う人に会いに行きなさいな。いやって言っても駄目よ」
榊は目頭を押さえながら天井を向くと、謝りたいんだか誤魔化したいんだが分からない酷く微妙な表情を浮かべている僕に榊は残酷な言葉を告げる。そして、さっきまで感情的で、何の捻りも無い真っ直ぐな怒りがどこ吹く風、冷静ですっきりとした表情で僕を見た。その雰囲気は有無を言わせない絶対零度の雰囲気だ。
葦のような僕は、それに逆らうことも出来ず、彼女の言葉に従う。椅子から立って、ほとんど勉強道具の入っていない軽い学生鞄を持って、僕は腕を組みながら立つ榊に従う。
「分かった、行くよ」
「分かってるじゃないの」
榊は僕に嗜虐的な笑みを浮かべながら、そんな言葉を向ける。
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