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夏の一日は、随分と短い。楽しいことに満ち溢れているから? それとも、今日の放課後の苦悩についてずっと集中していたから? そのどちらも? はたまた違う何かのせいかもしれない。とにかく、今日という日は短かった。
僕は普段通りの日常を過ごしていたと思うと、あっという間に放課後が来た。本当に、いつも通り、授業中に本を読んで、時々居眠りして、時々勉強して、陽太と榊とお昼ご飯を食べて、午後は眠たさの中、厳しい先生の古典を受けた。ただ、いつも通りのはずなのに、やっぱり今日は短い。いつもの数倍の速さで、時間が回っているみたいだ。
けれど、今は違う。それはあくまで、日中の話。授業の話だ。今みたいに、授業なんていう呪縛から解放されて、がやがやとした放課後の時間の進みは普段と同じだ。なんたって、授業のつまらなさが時間として早く感じられただけで、昼休みと放課後は楽しいままだから。友人とだけ共有できる時間は、元からとても短いんだ。つまり、今日のつまらない授業時間の体感的な短さと今の楽観的な時間の短さは同じってことさ。
うん、論理的かこれ? まあ、いいや。とかく、時間は随分と短く感じれたんだ。そして、今も流れる時間間隔は、とてつもなく短く感じられる。
いつも通り、陽太と榊が部活に行くことを見送ると、僕はしばらく若干騒がしい教室に残っていた。結局、まともに行動に対する決着をつけられなかったんだ。朝、意気込んできたところで、その決意は簡単に萎びれる。びっくりするくらい脆い。自分が、一番驚いている。僕も、流石に事件解決への糸口の一歩手前まで来たら動くだろうって思ってたけれど、実際、足は動かないし、行動に移せるほどの決意も無い。朝、担任に手続きが要らないって言われたのに、昼休み、書庫に行かなかったのもそんな決意の脆さの現れだと思う。仮書庫は、一年教室の一階上にある生徒会室の隣にあるんだから、時間は十分あった。けど、行けなかった。いや、行かなかったんだ。波の立たない太平の時間を過ごしていたかったんだ。優しい時間を過ごしたかっただけなんだ。
「はあ……」
自分のやるせなさに、ため息が出る。どうして、こうも決意が脆いのかしら? 人間なんてそんなものかもしれないけど、いくら何でも僕は弱い。せめて、日の始まりに決めた決意くらいその日の内に達成しろ。僕自身、そう思う。
まず、そうだ。こんな頭の中で、とやかく物事をこねくり回している場合じゃない。足を動かせって話だ。席に座って、肘を立てて組んだ拳に顎を乗せている場合じゃない。そんな偉そうな態度を取っていた所で、何にもならない。
「行こ」
くよくよした弱虫は、ここで終わりだ。
いざ、行こう。とりあえず、書庫にだ。憑き物と会うのは、その後でも良い。本を探し出すことができれば、読むことなんて後でも出来るんだから。
勢いよく立ち上がった反動で、椅子はうるさい音を立てて後ろに下がった。倒れはしなかっただけ、マシだ。けれど、そこそこ大きな椅子の足が床に擦れる音が、騒がしい教室の中に響いた。
そしたら、どうなるか。簡単な話だ。とてつもなく簡単で、とてつもなく嫌なことが起こるってだけの話だ。雑談を決め込むクラスメイト達の視線は、僕に向く。注目は嫌いだ。心底、嫌いだ。騒がしいクラスが一瞬で静かになって、視線がこちらに向くのは気まずくて仕方が無い。
今現在もそうだ。僕の自意識でしかないけれど、針の筵の様な視線が僕を突き刺す。突発的な沈黙と、偶然の視線は僕にとって痛すぎる。まあ、一瞬の痛みに過ぎない。いや、そんな一瞬の痛みだからこそ僕は注目を嫌うんだ。瞬きの間に感じる痛みは、辛いんだ。長引く痛みは慣れる。辛さが当たり前になる。けれど、一瞬の痛みに慣れは無い。痛いだけだ。余韻は、もう一度痛むことを恐れるだけだ。楽を望むだけじゃない。もう一度を嫌悪する。それだけだ。
痛みの注目は、自意識が思うほど深刻では無い。他人から見れば、注意が逸れるだけの出来事に過ぎないんだから。だから、直ぐにクラスメイトは雑談に戻る。僕も、注目が終わって、痛みが終わる頃、教室を出る。右手には、重い学生鞄を持って。
とにかく下巻を探そう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
廊下は、暑い。
そんな中、僕は足早に階段を上がって、生徒会室の隣の仮書庫に着いた。まあ、仮書庫なんていう随分と体裁の良い名前が名づけられているけど、要は空き教室だ。生徒会が所有していることになっている文化祭の看板だとか、体育祭の小道具だとか、入学式卒業式の紅白幕だとか、色んなものが置かれている滅多に電気を灯すことも無い空き教室に過ぎない。埃臭いで有名だ。旧校舎の書庫を汚いとか言った椿さんだけど、こっちもそこそこ汚いと思います。いや、あの部屋よりよっぽどマシだ。埃も積もって無ければ、蜘蛛の巣も張ってないし。そう考えて見ると、良くあの部屋を僕と先輩は掃除しなかったな。
教室の扉から見える薄暗さは、少しだけ不気味だ。丁度、校舎の間にある挟まれた教室だから、あまり光が入らず、何時も暗めだ。そんな普段だったら何とも思わないこの暗さも、憑き物なんて言う存在がこの世に存在していることを知っているから不気味に思うんだ。ただ、知らなくて良い何かを知ったから僕は、少し肝を冷やしているんだ。
「まあ、そこまで怖くは無いよ。ただ、薄暗いだけなんだから」
ただ、そんなことに怖気付くほど僕も弱虫じゃない。肝を冷やしただけだ。全然、怖くなんてない。足がちょっと、ガクつくけどさ。
僕の現状何て心底どうでも良いんだ。僕がやるべきことは、この部屋からあの本の下巻とロシア語の辞書を探すことだ。さっさと部屋に入ってやることやって、部室に行こう。あまり時間は掛けてられない。憑き物の機嫌を崩すようなことがあったら、どうすることも出来ないから。超常的な存在を抑えられるほど僕は力を持っていない。
タイムリミットを感じながら僕は、教室の扉に手を掛ける。そして、思いっきり引く!
「開かない……」
けれど、残念なことに扉は開いてくれない。ガタッと虚しい音が鳴るだけで、書庫へと入る道は開かれなかった。反作用が、僕の手にかかる。衝撃は意外とあるらしい。それほど、僕の意気込みが強かったっていうことかもしれない。
いや、そんな開かなかったことに対して虚無ってる場合じゃない。冷静に物事を俯瞰するよりも、今は焦ることが重要だ。鍵を教務室まで取りに行かないとだ。面倒だし、時間がかかる。教務室は、一階の正面玄関前だ。階段を数回降りなきゃいけないし、廊下も歩かなきゃならない。時間の無駄だ。けれど、ここでジッとしている方がよっぽど時間の無駄だ。
それなら、早く鍵を取りに行こう。けど、何だろう、嫌な予感がする。何か、擦れ違いが起こっているような。もしそうだったのなら、僕の運はとことんついていない。朝の占い、確かおうし座が、一位だった気がするけど。やっぱり、人間様が適当にやった占いなんて言うのは信用に値しないのかもしれない。いやまあ、まだそれが証明されたことには、ならないんだけどさ。
「とりあえず、行かなきゃか……」
腰に手を当て、言葉を吐き捨てる。心底面倒くさい。けれど、行動しないことに何も始まらないし、何も達成できない。それに、ここで怠惰に任せて何もしなかったら最悪の結末が、巻き起こるかもしれない。憑き物により呪詛だとか。あまり考えたくないけれど、常に最悪のことを考えて行動しないと、僕は怠惰の上に寝そべる。堕落しないためには、肝に銘じて行動しよう。
名残惜しさをこの開かずの間に残して、鍵を取りに行こうと僕は、落胆しながら踵を翻す。決意が落ち込んで行くのが分かる。頭も心なしか垂れる。足元に落ちる埃が、僕の心持ちみたいだ。汚れた白い靴もそうだ。対となるもう一足の靴は、白いのに……。
うん? どうして、もう一足があるんだ? まさか、本当に幽霊!?
僕は、慌てて頭を挙げた。怖くは無い。ただ、ビックリしただけだ。うん、本当に怖くないんだ。
「大丈夫、宮内君? さっきから一人で面白い動きをしているけど」
驚き半分、慄き半分の心持ちで顔を上げると、そこにはトイレの花子さん?
いや、委員長が居た。相変わらず黒髪三つ編み黒縁眼鏡と長めのスカート。加えて、真面目そうなクールな顔も。僕より頭一つ低い委員長は、僕を不思議に見上げていた。
良かった、昨日見てたおかげで失礼な言葉がでなそうだ。これこそ失礼だけど、あんまり委員長の顔を覚えられていないからさ。遠目で見れば一発で分かるけどさ。失礼極まりないな。
「ああ、なんだ委員長か。驚かせないでよ」
「宮内君を驚かせようとは思ってないわ。用事があったけど、鍵がかかってたから教務室まで取りに行って戻って来たら、貴方がたまたま居ただけの話よ。もしかして貴方も、ここに用事があるの?」
ごもっともなことを、僕の望む鍵を持つ委員長に言われた。ぶっきら棒な言葉と表情は、少しだけ傷付く。しかも、それなりに整った顔をしてる委員長に言われたからなおさらだ。
けれど、委員長のそんな仏頂面もいつの間にか解れていた。紫色の大きな瞳と柔和な面持ちは、僕を見上げる。それから、委員長らしい凛とした、けれども僕を心配してくれる優しい声で問いかけてくれた。そんな問いに、僕は嘘を吐けない。いや、嘘を吐こうと思ったことは無いんだ。
ただ、本を貰おうとしているっていうこと委員長に言ったら、朝担任が言ってた何となく面倒臭い手続きをしろとかなんとか言ってくるかもしれない、そんなことが頭に過ぎっただけなんだ。だから、僕は決して嘘を吐こうとはしていないんだ。委員長の良い所をはぐらかそうとは、思ったけれど。
ともかく、真っ直ぐと僕を見て、それなりの心配を掛けてくれる委員長を無下にすることは出来ない。
「うん、そうだよ。昨日、旧校舎の書庫を片付けた時ちょっと欲しい本を見つけてね。それを貰おうとね企てるわけさ。あの時は、貰って良いかどうかも分からなかったから取れなかったけど、朝、担任が貰っても良いって言ったからさ。そこで、貰いに来たわけ」
言い訳染みた言い回しになってしまったけど、本当のことを僕は伝えた。少し、緊張する。もしも、ここで委員長が持ち前の真面目さを出して、なんだか面倒臭い手続きがどうとかを言われた僕は詰む。
「書庫の肥やしになるよりは宮内君みたいに読書好きな人に読まれた方が、本も喜ぶと思うわ。それに、私も本を頂戴しに来たのよ。一緒ね。それと、さっき鍵を取りに行ったとき生徒会の先生が、自由に持ってって言いっていってたから手続きは要らないわよ。取れるだけ取って行きましょ」
「そうなんだ」
「それじゃあ、開けるからちょっと退いてくれないかしら」
「分かった」
どうやら、占いは当たるらしい。鍵も開くし、面倒臭い手続きも無くなるし、良い方向に転がって行ってる。運は我に味方せりだ。
とりあえず運のことは置いておいて、委員長の言う通り扉から退こう。もしも、ここで委員長の機嫌を損ねたのなら、余計なステップを踏まなきゃならないからね。
僕がそそくさと扉の前から退くと、委員長は不思議に思う視線を僕に向けた。余計な詮索は、お互いのためにしない方が良いよ。僕からの一方的な要求でもあるんだけどさ。でも、流石の委員長。物分かりが良い。委員長は、僕から視線をすぐさま離した。何も言わずにだ。やっぱり、委員長は触れちゃいけない部分をよく分かってくれる。
いや、違うな。ただ、興味が無かっただけだ。じゃなかったら、何か言葉を掛けるだろうし、それなりの反応を見せてくれるはずだ。それすらも、うん、僕の自意識過剰なところが出た気がするよ。でも、けど?
ネガティブ何だかポジティブ何だかよく分からない混在した自意識に、僕が囚われていると委員長は手際よく書庫を開けてくれた。そして、そのまま失礼を思いながら我先にへと、埃臭さと真新しい古本の匂いが、鼻に付き、少し涼しい空気に身を包まれる仮書庫へと足を踏み入れて行った。やっぱり、僕から興味が失せたから視線を離したんだ。ネガティブに、僕は感情は振り切れた。それなら、その気持ちのままで仮書庫に入ろう。辛気臭い気持ちの方が、この部屋の雰囲気に合っているような気がするから。
「想像はしていたけど、予想以上に汚いわね」
「旧校舎の書庫より酷くないけど、それでも大分汚いね」
委員長の言葉通り、仮書庫は汚い。中央に置かれた長机とその上に乗せられた古本で満たされた数箱もの段ボール箱以外は、大体全部埃が被っている。それに、部屋の至る所に行事毎に使う道具が乱雑に置かれて、果てには、何に使うかもわからない埃かぶって、とても可愛らしいとは思えない安っぽい笑顔が描かれたひまわりの着ぐるみが窓の傍の段ボール箱の中に突っ込まれて、顔だけを僕らの方にのぞかせて放置されている。なんで、ひまわりなんだろう? というか誰が作ったんだろ?
色々ツッコミどころ満載の仮書庫だったけれど、今はそんなこと眼中にない。とにもかくにも、先輩を救うこと、そして憑き物を満足させることが現在においての至上命題なのだから。僕には、時間が惜しいんだ。
「今度、会長に掃除するように言っておくわ」
「会長よりも副会長に言った方が良いと思うよ。風の噂で聞いたけど会長は部活が忙しいらしいし、それにあの人は、どれだけふざけてても仕事をやるからさ」
「そう? それじゃあ、宮内君の言う通りそうさせてもらうわ。確かに、会長と違って茨木さんは誰に言われるわけでも無く仕事をしているわね。入学式の時は、あんな醜態晒した人だけれど。生徒会に入ったばかりの私にも、仕事を教えてくれた人当たりの良い人だし」
委員長に助言し終えると、僕は委員長が言い終える前に、その隣を通り過ぎて、早速、本が大量に詰められた段ボール箱へと向かった。何も言わずにそばを通り過ぎるのは、失礼だ。けれど、そこは助言の対価としてどうか許して欲しい。何から何まで察して欲しいっていうのは、おこがましいことだけれど……。
僕のおこがましさ、傲慢が委員長に通じたのか、失礼極まりない反応をした僕に対して委員長は何も言ってこなかった。いや、僕の内面が通じたっていうことは無いんだ。多分、委員長は呆れてものが言えなくなっただけなんだ。こっちを見てくる委員長の視線が、痛い。
けれど、今はそんなことにかまけてられない。僕は、探さなきゃいけない本があるんだから。この本だらけの段ボールの中から探さなきゃならないんだ。時間が無い。早く探そう。
僕は、意気込んで、長机の一番端にある入り口側の段ボールの中に詰められた本を取り出した。古本の濃い匂いが鼻腔をくすぐって、本の中々の重みが僕の手に加わる。これは、重労働だ。けれど、やらなきゃいけないことだ。やろう。どうせ、背表紙を見れば一発で分かるんだから、重労働と思わずにやろう。
うん、でも、せめてもう一人くらい人が欲しい。誰でも良いんだ……。
「宮内君。私も、手伝うわよ」
散々の失礼を犯してきた僕に、委員長は僕の顔を覗きながら救済の一言を掛けてくれた。自分に何の得もないのに、散々失礼な行動をしてきたのに、委員長は、彼女は、手伝ってくれる。
涙が出そうだ。感動この上ない。本当に、ありがたい。
「うん、よろしくお願いするよ」
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