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トラギエーディヤと恋  作者: 鍋谷葵
出会いの夏
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12/41

11

「それで、榊。何か僕に用があるの?」


 肝に銘じて後はよろしで、済ましたかったけど流石に榊のことを無視して会話を終わらせる訳にはいかない。きっと、何か話したいことがあったから話しかけたんだろうし。でも、やっぱり今は帰りたい。それでも、無視する訳にはいかない。

 僕が自分の欲を抑えながら、なるべく変わらない声で言った言葉に榊はキョトンと首を傾げた。目は、相変わらずゴミを見る目のようだけど。どうして、僕はそんな目で見られなきゃならないんだ? また、何か悪いことを言ったのか? いや、ここまで来たら榊がかなり気難しい奴っていう可能性の方が高い気がする。友達っていう友達も、僕と陽太くらいしか居ないし。

 うん、失礼だな。言っていいことと悪いことがあるし、思っていいことと思っちゃいけないことがある。反省だ。


「用が無きゃ話しかけちゃいけないわけ? 大体、あんたは人付き合いをよく分かってないの。人付き合いっていうのは、用があるから声を掛けるとかそんな割り切った関係じゃない。もっと、気楽で、自由奔放で、変わり続けるもの。だから、あんこは友達が少ないのよ。私と陽太と先輩二人くらいでしょ? もっと、気楽に生きた方が良いわよ。斜に構えないでね」


「……そう言うものかい?」


「そう言うものよ。私の経験則だけど」


 心の中で反省をする僕に、榊は少しぶっきら棒で冷たい声を掛けてきた。最初は、僕を突き放すような言葉だったけれど、徐々にそれが人との関係をあまり知らない僕を諭す言葉だって分かった。

 全部、榊の言う通りだ。確かに、僕は人と話す時色々なことを考えすぎてるのかもしれない。そして、きっとこんなややこしい考えが、僕のネガティブを生んでいるんだろうと思う。今日という一日は、そんなわずらわしさをずっと感じてきたし。朝の榊、放課後の先輩、茜色の岸先生、それに今も。

 こんな面倒臭い性分を僕も、どうにかしたい。けれど、中々直せない。でも、まあ気にすることくらいはできる。ようは、意識の転換だ。さっきも陽太みたいに能天気なれば良いって思ったけど、ハードルはそんなに高くなくて良いんだ。低めでいいんだ。所詮、人の意識なんて言うのはそう簡単に変わるものじゃないから。

 僕を気遣ってくれる友人桃山榊は、冷たくとも良い奴だ。本当、そう思える。でも、友達が空くなっていことは、言わないでもらいたい。僕も結構、気にしているところだから。クラスの人たちが、色んな人と予定を組んで、それぞれの休日を楽しもうとしているところを見ると、嫉妬で胸が焼ける。とてつもなく、惨めな気分になる。休日のほとんどを一人家に籠って本を読んだり、一人で料理したり、一人で散歩したりする自分の休日を鑑みるとね。いや、寂しい休日は全部自分が悪いんだけどさ。でも、最近は先輩と出かけることも合ったり、無かったりするから、悲惨な休日を過ごしているわけじゃない。

 ただ、そんな輝く日常もしばらくは戻ってこないと思う。あと、友達は多さじゃなくて、いかに親密になれるかだと思う。多くてわることは無いけど、浅い交友関係を結ぶくらいならガッチリと強固な関係の方がよっぽど美しい。

 とにかく、榊も僕とほとんど似たり寄ったりな人なんだから、あんまりデリケートなところにツッコまないでほしい。でも、それくらい自分の意見を言ってくれる榊になら、先輩のことが言えるかもしれない。こいつになら、秘め事を話せるかもしれない。僕と一緒に、秘密の重さを背負ってくれるのかもしれない。


「まあ、こんな偉そうなこと言ってなんだけど、私も特にあんたと話したいことも無いだけど。たまたま、帰ろうとしたら、暗そうなあんこを見つけたから何か気の紛らわしにならないかと思って話しかけただけ。気遣い? 心遣い? そんなものよ」


「榊にも、そんな人を気遣ってくれる気概があるもんだね」


「いやいや、友達が暗そうな顔をしてたら誰だって声を掛けるもんでしょ。それも、若干女々しい友達だったらなおさらね。大概、そういう奴が暗い顔をしている時は、本当に何か重たいものを心に抱えてる時だから。これも私の経験則。それに、最初も言ったけど友達だったら、友達の悩みを聞きたいものでしょ? あんこが私の恋を聞いてくれるのと同じようにね」


「そうかい……」


 ああ、多分僕は榊にだったら先輩のことを全部言えると思う。ことの経緯から何からなにまで、全部言えると思う。

 でも、本当に言っていいのか?

 榊にも僕と同じ、重りを背負わせて良いのか?

 僕と先輩の出来事に、榊を入れ込んで良いのか?

 それを決めるのは、僕で良いのか?

 疑問は尽きない。それに、もし、万が一、榊が他の人に口外してしまったら僕はどうすれば良い。先輩の人生を滅茶苦茶してしまう。ただでさえ、目立つことを嫌う先輩がそんな超常的な現象の張本人として矢面に立たされたら、きっと先輩の精神はおかしくてなってしまう。人を信頼することの出来ない先輩は、二度と人を接することが出来なくなってしまう。全部、僕の憶測だけど、でも、きっとそんな真っ暗な現実が巻き起こる気がする。

 けど、それは榊を、友達を、親友を、信頼を、全て疑う義からあまりに離れたものだ。でも、やっぱり義から離れていてもそんな不幸になるかもしれない可能性があるんだったら、僕は榊に言えない。僕一人で背負うことが、今一番の方法だ。

 なら、僕は榊に特に問題ないってことを伝えなきゃだ。ここまで親切をしてくれた恩を仇で返す様な返事をしなきゃならない。緊張で口は開かないけど、喉が渇いて仕方ないけど、言わなきゃだ。いつの間にか、また生まれた重苦しい感情に封をして。


「でも、あんこが言いたくなかったら言わなくても良い。誰にだって隠したいことの一つや二つくらいあるから。だから、もし言いたくなったら私に言いな。その時は、私も相談に乗ってあげるからさ」


 僕の緊張と不安を察したのか、榊は水色と緑色の乾いた絵の具が着く人差し指をビシッと僕の眉間に指した。それから、ちょっとだけ恥ずかしそうな声で言うと、ニカッと笑った。ボーイッシュな榊に、良く似合う可愛らしい表情だ。それに、僕の心の重荷少しだけ軽くさせてくれる。封をした重苦しさも、若干軽くなった。

 強張っていた僕の表情も、緩んだ。緊張で開かなかった口も今ならゆっくりと開くし、乾いた喉でも言葉を紡げる。


「ありがとう」


 榊には、本当に頭が上がらない。


「いいえ、大したことじゃないわ。だって、友達でしょ? まあでも、タダで相談には乗ってあげられない。私だって、対価が欲しいわ」


「何が、欲しいんだい? 高価な画材とかは止してくれよ、僕の家計はいつでもキツキツだからさ」


 確かに家計は辛い。親父からの仕送りは、いつもいつもバラバラな金額で通帳に振り込まれるから、月はじめにならないと色々な費用を考えられないのは滅茶苦茶辛い。けど、榊にだったら高価なものじゃなかったら買ってあげられる。多少、無理をしてもだ。

 本心としては、何もいらないって言ってくれることが一番だ。精々、お菓子くらいにしてほしい。侘しさをどうか、榊に。


「高価なモノじゃないわよ。ただ、私の絵の被写体になって欲しいってだけ。それだけでいいの。あんたみたいな中性的な人は、珍しいからさ。それに、あんこみたいな、両性を感じさせる人を描くっていうのは難しいことだからね」


 若干呆れたように榊は、僕が望んだとおりの提案をしてくれた。今、心の底から僕は榊に感謝をしたい。言葉を発したい。でも、そんなことをしたら絶対にこいつは、僕が耐えられない結構な悪口を言ってくると思う。だから、この溢れそうな感謝の気持ちは心の内に秘めておこう。

 ただ、秘め事として感謝の気持ちを言わないのも違う。とりあえず、ほんのりとこぼれそうな感謝を込めた言葉を挑戦的な榊に告げよう。あと、一度も僕らに見せてくれてない榊の絵も見てみたい。流石に、描いてるときなら見せてくれるだろうし。そうなると、僕のメリットの方が大きい気がする。


「お安い御用さ。何時か都合が着いた時、伝えてくれよ。その時は、喜んで手伝わせてもらうよ。それに、僕としても榊の描いた僕の肖像画を見てみたいしね」


「よろしく頼むわ。それじゃあ、相談待ってるわよ。私のためにも、あんこのためにもね」


 公平性を少しだけ欠いたような気がする約束を僕らは結んだ。約束に満足した榊は、足元に落ちた鞄を手に取ると、僕の方を向いて計略的な笑みを浮かべた。

 黒い短い髪が、風に揺れる。賢そうなカラスの様な瞳が、僕を捉える。そして、榊はずる賢さを感じられる言葉を紡ぐと、僕の横を通り去って行った。ほんのりと榊の甘酸っぱい匂いがする。それに、茜色に染まる空に榊の黒は良く映える。綺麗だ。


「バイバイ、また明日。あんこちゃん」


「忘れてたけど、僕の名前は杏子だよ」


 完全に忘れてた。

 けど、まあ、いいや。僕の言葉なんてどうせ意味が無いんだから。

 なら、帰ろう。早く帰ろう。とりあえず、榊の背中が見えなくなってからだけど。こんなドラマティックな別れなんだから、興醒めするようなことをしたくない。

 茜色の光の中に照らされる道を、郊外の自然と素朴な街に消えていく榊の姿はどことなく大きかった。身長は僕より小さいけど、その背中は巨人のように大きい。きっと、影が伸びているからだと思う。黒々とした影は、彼女を大きく見せているんだと思う。


 暮れる光の中、榊が消えて行くのを見ると僕はいよいよオアシスへと足を延ばしていく。やっと、帰れる。空は、いつの間にか紫がかっていた。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 紫がかった道を三十分歩くと、すっかり空は暗くなっていた。空には、一番星がキラキラと輝いている。今日の不思議な出来事を象徴するみたいだ。周りが暗くても、一際目立つっていうのはね。ただ、今はそんなことより、愛しのま(・)つ(・)う(・)ら(・)荘(・)に着けたことを喜ぼう。月日を感じさせる白を基調とした汚いコンクリート壁、三台の車とシルバーの原付が置かれた狭めの舗装された駐車場、何の特徴も無い二階建ての共同住宅、ホッとするよ。


「それにしても、静かだ。平日だから仕方ないこともあるだろうけど。でも、それにしても静かだなぁ。まあ、いつものことだけどさ」


 大した都会じゃない長森市街の郊外は、街灯だとか、商店の明かりだとか、戸建ての生活の明かりだとか、そんな灯りしかない。西側の繁華街は、もっと煌びやかな明かりで満ちているけど、東側にはそんな煌びやかさは無い。静けさが目立つ。

 けれど、家は連なっている。俗にいう住宅街だ。閑散としてるわけでも無いし、煩雑してるわけででも無い。そんな何とも言えない住宅街が、この長森市街を支えている。ベットタウンってやつだ。だけど、このくらいの静けさと、暗がりが丁度良いと思う。人が一杯溢れていて良いこともあれば悪いこともあるし、あまりにも明るすぎたら綺麗な夜空が見えないだろうし。

 いや、こんな擁護をするのはきっと僕が、この静かな住宅街に愛着を持ってるからだと思う。じゃなかったら、僕は住宅街を非難したと思う。何の特徴も無ければ、奇抜な建物も無い、量産された建物群を見たら非難の言葉が漏れたと思う。全部、妄想に過ぎないことだけど。

 とにかく、僕はこのまつうら荘と住宅街に愛着があるんだ。じゃなかったら、僕は母さんの実家に帰ってる。あっちの方が、住み慣れているし、婆ちゃんもいるし。


「愚痴は止めよう。こんな薄汚れた部屋でも、住めば都だし、寂れた住宅街でも意外と味はあるもんだからね」


 虚しく一人で愚痴を言うのは止そう。でも、どうやら遅かったみたいだ。

 ある人が、あの人が、死ぬほど面倒くさい人が、一階角部屋から扉を思いっきり蹴飛ばして出て来た。それも、最低なことに片手には缶チューハイが握られている。それが無かったら、美人なんですから。だから、せめて生活感のある酒を飲まないでください。いくら不労所得があるからって、それは良くないですよ。それに、せめて着替えて下さい。会社帰りのOL姿でそれをやられると、社会に対して幻滅しますから。


「あんた、さっきから独り言が大きいよ。若いんだからしゃっきっとしなさいな」


「こんばんは大家さん。でも、大家さんも若いでしょ」


 大家さんこと、松浦百合(まつうらゆり)さんは短く切りそろえた明るいボブの髪の毛を、その可愛らしい顔立ちから考えられないほど荒々しい手つきでかき上げながら、ドスの効いた声色で失礼なことを僕に言ってきた。一応、世間から見ればそこそこ若い方なんだから、そんな残念なことを言わないでください。それにあんた、稼ぎは良いんですから。

 顔が良くて、稼ぎも良くて、スタイルもそこそこ良い。けど、性格と酒癖が絶望的に悪い松浦さんを刺激しない気をたっぷり利かせた一言を掛ける。どうか、良い方向に働いてほしい。


「嬉しいこと言ってくれるじゃないの! でも、家賃は変えないからね。もっとも、払ってるのはアンタ親父さんだから関係ないけどね。けど、不思議なもんね。あんな弱虫ちゃんが、あんたみたいなイイ子を産んだなんてねえ。意外と活きが、良かったのね。いや、アンタのお母さんと付き合うまで童貞だったからかしら? 音楽一辺倒だったことが、良く働いたのかもね。それに比べて、私は結婚も出来ないし、行きおくれで……。もう、そろっと四十……」


 気を利かせた僕の言葉は、良い方向にも悪い方向にも働いたらしい。松浦さんは、男らしくガハハと笑って陽気になったと思いきや、急に落ち込み始めた。結婚できないのが、そんなに辛いのか……。というか、良く親父はこんな人と友達で居られたな。多分、僕からした椿さんみたいな人だったんだろな。

 いや、今はこんな面倒臭い人にかまけていられない。これ以上面倒臭い展開は、ごめんだ。腹も減ってるし、疲れているし。


「変なこと言わないでください。とりあえず、僕は自分の部屋に行きますから。おやすみなさい」


「ええ、おやすみ。あと、夜の事はしっかりとやるのよ。眠ってる時に出ちゃったら、後片付けが大変よ」


「余計なお世話ですよ。それでは」


 落ち込んだと思ったらまた復活した松浦さんは、最低な一言を別れの挨拶に付け加えて、自室へと帰って行った。本当に、何なんだあの人は……。

 これでやっと僕は、家に帰れる……。汚れたプラスチックを感じさせる階段を上って、二階の角部屋へと、二○三号室にやっと行けるんだ……。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「ただいま。誰も居ないけど、一応ね」


 僕はようやく自分のオアシスへと着いた。

 畳の匂い香る僕の部屋へと。

 玄関先のキッチン、五畳一間の和室、風呂トイレ別で家賃四万八千円の僕の部屋へと。


「疲れた……」


 そして、僕の体はドッと疲れを感じた。立っていられるけど、手からは学生鞄が落ちた。軽い音が、耳に入る。こんなことで、安心できる自分だけの空間に辿り着いたからだと思う。けれど、疲れを感じられるのは良いことだ。それだけリラックスできている証拠なんだから。そう、だから今はこの疲労を感じよう。

 ただ、とりあえず洗濯と料理と色々と済ませてから、疲労を堪能しようかな。うん、そうなると日常の疲れも加わるから……、はあ。


「はあ」


 溜息をついてもしょうがない。だから、早いこと色々と済ませよう。

 僕は靴を脱いで、土間から上がった。それから、まあ、色々と仕事をしないとだ……。

ご覧いただきありがとうございます。

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