2-5 美也子・5「安直な解決法」
バネッサと出会って、二年が経とうとしていた。
美也子は、バネッサの異様な「人見知り」が気になっていた。
ギルの自宅では、屈託なく笑っている。
事務所や山でも同じらしい。
けれど、街を歩くと笑顔が消える。
目線は常に下。
口数も極端に少なくなる。
人目が嫌なのだろうか。
美也子は今、法然という採取師とコーヒーを飲んでいた。
彼はギルの商会に所属する採取師で、バネッサの後輩らしい。
仕事の成績は、バネッサより良いと聞いている。
以前、彼がバネッサに変な日本語を教えたと誤解し、美也子がギルの事務所へ猛抗議に行ったことがあった。
その件については美也子が謝罪し、それ以来、妙な縁が続いている。
「うまく言えないんですけど。バネッサ先輩、『見た目』に引け目でもあるのかなって、俺は思ってるんですよね」
「えっ。あんなに可愛らしいのに?」
「バネッサ先輩、周囲の雰囲気をすごく読むんですよ。目が良いから」
「そういう評判とは聞いています」
「街中に入ると、すごく落ち込むんです。なんでかなーって見てたら、周囲の目が怖いっぽい。まあ、あの金髪と瞳の色は、この田舎町では目立ちますよね」
「……」
「あの人、『目立つのが嫌』なんじゃないですかね」
美也子は、色々なことを思い返した。
バネッサは、不思議と鏡を使わなかった。
使っても、すぐに目をそらしていた気がする。
うかつだった。
単なる強い人見知りだと思っていた。
だが、もっと根の深い問題なのかもしれない。
何かしら、対策を考えなければならない。
美也子は法然に礼を言い、席を立った。
それから、ギルに電話を入れる。
今日、バネッサの部屋に泊まる許可をもらい、電話を切った。
なぜか最近、ギルさんは私との電話でおろおろしている気がする。
まあ、それはどうでもいい。
ギルから聞いていた「転生者」というバネッサの事情を、自分は甘く見ていたのかもしれない。
ギルの泰然自若とした雰囲気に、惑わされていた。
転生者には、「遭難者」という隠喩があると聞いている。
元の世界へ戻る方法も分からないのだ、とも。
つまり、彼らは望まない形でこの世界――異邦に連れてこられ、日々をあがいている。
美也子の想像の外にある悩みを持っていて当然なのだ。
バネッサはギルの庇護のもと、普段は笑って過ごしている。
けれど街中では、知らない人々から、外国人のような風貌の自分が「異物」として見られている。
察しの良い彼女は、それを感じ取ってしまうのだろうか。
これは、バネッサの認識の問題だ。
美也子には、この問題の落としどころが分からなかった。
何らかの支援をしたい。
けれど、バネッサの日本語理解力はまだ十分ではない。
言葉でどこまで伝えられるのかも分からない。
とりあえず、まずは一緒に夕飯を食べよう。
美也子は商店街で食材を買った。
店員の女性が、髪を金色に染めているのを見て、複雑な気持ちになる。
この世界では、望んで金色にする人もいる。
けれど、バネッサにとっては。
美也子は、胸の奥が少し痛くなった。
◇ ◇ ◇
ギルの自宅の呼び鈴を鳴らす。
すぐに扉が開いた。
バネッサは、飛び切りの笑顔だった。
「美也子先生。どう、しました」
「今日は、お泊まりに、きました。お邪魔します」
いやっふー。
バネッサが小躍りした。
可愛すぎる。
「バネッサちゃん。今日の、晩御飯は、何ですか?」
「ギルさん、仕事です。だから、わたしは、ちゃーはん、です」
ギルさん、相変わらず適当。
野菜を食べさせてくださいと、何度も言っているのに。
美也子は買ってきたスパゲッティを茹でた。
バネッサと一緒に野菜をちぎり、サラダを作る。
食後は、一緒に本を読んだ。
交代でお風呂に入り、小さなベッドに二人で横になる。
バネッサが、美也子の手を握った。
美也子は、焦っていた。
だめだ。
何も言い出せないまま、ベッドに入ってしまった。
何のために来たのか。
考えをまとめないまま押しかけた自分を、美也子は責めた。
◇ ◇ ◇
元々物置だった部屋なので、窓はない。
組み立て式の二段ベッド。
上段は、バネッサの装備を入れる木箱を置く棚として使われている。
ベッドの脇に置いた小さな室内灯が、ほのかに灯っていた。
美也子は、その淡い光に照らされたバネッサの横顔を眺めていた。
「美也子先生。今日、なぜ、きましたか」
目をつむったまま、バネッサがぽつりと聞いた。
美也子は、どきりとする。
忘れがちだが、バネッサは日本語がつたないだけで、知能は高い。
何かを察しているのだろう。
「バネッサちゃんと、お話を、したかったのです」
「たくさん、おはなし、できました」
「そうですね。私も、楽しかった、です」
違う。
そうじゃない。
美也子は、次の言葉を探した。
バネッサに投げるべき言葉を、必死に探した。
◇ ◇ ◇
どんな言葉を伝えればいいのだろう。
転生者の絶望を知らない自分が、何を言っても説得力がない気がした。
経験も、力も足りない。
何が先生だ。
バネッサちゃんを守れない。
悔しくてたまらなかった。
思わず涙が浮かぶ。
美也子は唇を噛みしめた。
それでも、鼻をすすってしまう。
「美也子先生?」
バネッサが異変に気付き、緑の瞳を向けた。
「どうしました。どこか、痛い、ですか」
もう、だめだった。
美也子の感情が決壊した。
バネッサはしばらく、黙って泣く美也子を見ていた。
やがて、そっとベッドを降り、部屋を出ていく。
美也子は、バネッサを心配させてしまった自分が情けなかった。
しばらくして、バネッサが戻ってきた。
「先生。お水、どうぞ」
マグカップを差し出すバネッサ。
小さな室内灯が、その優しい横顔を照らしていた。
◇ ◇ ◇
美也子は、しゃくり上げながら状況を説明した。
先生として取り繕うのは、もうやめた。
色々な思いをバネッサに抱いていた。
教え子として。
守りたい女の子として。
大事な友達として。
街に出た時のバネッサの様子が心配なのだと、言葉を選びながら伝えた。
バネッサは、ベッドの端で体育座りをして、黙って聞いていた。
一通り説明した。
どこまで伝わったかは分からない。
二人は、ベッドの端と端で体育座りをして向き合っていた。
いい年をして、こんなにぼろぼろ泣いてしまった。
美也子は、今さら恥ずかしくなる。
バネッサは、話を聞いている間も、今も、無表情だった。
無表情な彼女は、美少女感が増す。
可愛すぎる。
しばらく沈黙が続いた。
やがて、バネッサがぽつりとつぶやいた。
「美也子先生の、髪の色が、よかった」
自分の髪を、指でくるくると巻き取りながら。
「え?」
「みんなと、同じ、黒なら……珍しくない」
美也子は、はっとする。
それで良いのか。
あまりにも安直な解決法ではないのか。
いや、解決法でも何でもない。
何も根本的には変わらない。
それでも。
バネッサが、自分で言った。
珍しくない自分になりたい、と。
それなら、何かしらの一歩は踏み出せるかもしれない。
「……バネッサちゃん。髪の色を、変えてみますか」
「ええっ。変えられる、のですか?」
「……私と、同じ色にできますよ」
「えええ。できるのですか。すごいです」
その時のバネッサは、久しぶりに心から驚いた顔をしていた。
◇ ◇ ◇
ギルに、バネッサの髪の色を変える許可をもらった。
そして、バネッサの髪を黒く染めた晩。
仕事から帰ってきたギルに、二人で披露する。
「……悪くないです」
「ギルさん。『悪くない』じゃないです。可愛いでしょう」
「あ、はい。可愛くて綺麗です」
ギルさんは、相変わらずデリカシーがない。
悪い人ではないのだが。
バネッサが、心配そうにギルへ問う。
「日本人に、みえますか」
その言葉で、ギルが何かに気付いた。
美也子は、静かにうなずく。
ギルはバネッサに向き直り、大きく笑った。
「見える。日本人に見えるぞ。バネッサ、良かったじゃねえか」
バネッサは、少しだけ目を見開いた。
それから、黒くなった自分の髪をそっと撫でた。




