2-1 美也子・1「悩める正論女史」
美也子は、学校――旧制女専を卒業した後、兄の会社で事務の仕事をしていた。
在学中、教師になろうと考えた時期もある。
だが、地元では教師の採用枠が少なかった。
どうしても先生になりたかった、というわけでもない。
今後の相談をした兄から、
「じゃあ、俺の会社を手伝ってくれ」
と言われ、卒業後、そのまま兄の会社に就職した。
美也子の祖父は材木商だった。
それを引き継いだ父が、事業を建築業、不動産業へと広げた。
年の離れた兄は、その一部を引き継ぎ、若いが有能な跡継ぎとして評価されている。
地元では、名士とされる家だ。
美也子も、二十歳を越えた今でもご近所さんから
「美也子お嬢さん」
と呼ばれている。
在学中、美也子は「正論女史」と揶揄された。
頑固で、正義感が強い。
友人への指摘も手厳しく、距離を取られがちだった。
美人で、スタイルも良い。
けれど、その生真面目すぎる性格のためか、男性と付き合ったこともなかった。
面白味のない人生だなあ。
美也子は、自分自身を振り返って、そう思う。
人生の目標を、まだ見つけられずにいた。
◇ ◇ ◇
ある日、美也子は父に呼び出された。
なにやら、大事な話があるらしい。
お嫁に出されるとか……なのかな。
だったら嫌だな。
憂鬱な気分で会社から帰宅すると、母が、応接間で客が待っていると言った。
客。
まさか、本当にお嫁に?
しゅんとしながら、応接間に入る。
父と兄。
そして、来客の男性が一人。
客間に座っていたのは、日本人離れした風貌の大男だった。
男は、太いバリトンの声で挨拶した。
差し出された名刺を受け取る。
イシノさん。
物産関連の商売をしているらしい。
三十歳くらいだろうか。
やはり、結婚とか、そういう――。
まいったな。
「美也子。ちょっと突拍子もない話かと思うが、聞いてくれ」
「突拍子もない?」
「ああ。何と言うか、うーん。どこから話したものか」
「……お父さん?」
父はしばらく唸ってから、妙に深刻な顔で言った。
「えーとな。……このイシノさんは、異世界から来た人なんだ」
「……いせかい」
美也子は、少し考えた。
「伊勢の海、ですか?」
「いや、違う。ああ、気持ちは分かる。落ち着け。今説明する」
「落ち着いていますが、一体何の――」
見かねた兄が、助け舟を出した。
「父さん、俺から説明するよ。ええとだな」
イシノさんを見ると、彼はにこにこと微笑んでいる。
兄は咳払いをして、説明を始めた。
「話の始まりは、俺たちの爺ちゃんが――」
◇ ◇ ◇
祖父がまだ現役だった頃。
山道を走らせていたトラックが、側溝に脱輪したことがあった。
困っていた祖父に、一人の男が声をかけてきた。
男は、タイヤを側溝から出すのを手伝ってくれた。
そのまま二人は一緒に街へ向かい、祖父は礼にと男に酒を振舞った。
祖父は、男が身にまとっている山の空気が気に入ったらしい。
二人は、すぐに友人になった。
祖父が同じ山道をトラックで通ると、夕日の中を男が歩いている。
互いに手を上げて挨拶し、そのまま居酒屋で飲む。
祖父の家で雑魚寝する。
けれど男は、いつも早朝、そっと帰っていった。
祖父は、男の素性を聞かなかった。
何か事情があるのだろうとは、感じていたらしい。
ある大雨の日。
山林の確認をしていた祖父は、男が倒れているのを発見した。
「おい、おい。大丈夫か。お前、……足が折れてるじゃねえか」
「……ああ、あんたか。……問題ない」
「問題ないってことはねえだろう。病院に連れていくぞ」
「だめだ。病院は。……俺は行けない」
「行けねえって、何だよ」
祖父は、とにかく男をトラックに担ぎ込んだ。
幌を叩く大雨の音。
祖父は大声で説得したが、男は頑として病院を拒んだ。
あまりに強情なので、祖父は思わず、怪我人の男を殴った。
「この頑固野郎」
真剣な祖父の顔を見て、男は観念した。
自分は不法滞在者だから、病院には行けない。
男は、そう話した。
祖父は、実はそんな話なのだろうと思っていた。
だから、別段意外には思わなかった。
「なら、任せておけ」
祖父はそう言って、トラックを走らせた。
向かった先は、昔からの友人である接骨医の自宅だった。
祖父はそこで土下座し、
「何も聞かずに、こいつを診てやってくれ」
と頼み込んだ。
◇ ◇ ◇
「……で、爺ちゃんと、その男がもっと仲良くなって」
「お兄ちゃん、待って」
美也子は手を上げた。
「全然『いせかい』の話に結びつかないんですけど」
「待て、美也ちゃん。ここからが良いところなんだ」
「お前は話が長いんだよ。もっと簡潔にだな」
「父さんが説明下手だから、俺が代わりに話しているんでしょうが」
父と兄が、いつもの口喧嘩を始めた。
美也子は、ただ困惑していた。
兄の話が見えない。
不法滞在者ということは、『いせかい』とは外国の名前なのだろうか。
困って視線を動かすと、イシノさんと目が合った。
それまでの笑顔に、少しだけ苦笑が混じる。
イシノさんは父と兄の方をちらりと見て、ふうと息を吐いた。
「とりあえず、百聞は一見に如かず、ですな。美也子さん、ちょっといいですか」
イシノさんがソファーから立ち上がる。
「俺を見ていてくださいね。では、はい」
イシノさんが胸のあたりで何かした。
次の瞬間、彼の姿が消えた。
美也子は息を呑み、両手で口元をふさいだ。
数秒後、イシノさんが再び姿を現す。
「驚かせてすみません。これが俺たちの、えー……『魔法』ってやつです」
「……はぁ。……ありがとうございます」
「簡単に言うと、俺は魔法が使える別の世界からやってきた人間、という感じです。普段は身分を偽って生活しています、がね」
「……偽るのはいけませんね」
「はい。分かっています。ただ、元の世界に戻りたくても戻れないんです。帰る方法が分からない。生きるために、仕方なくやっているんです」
「……」
「ある意味、俺は。俺たちは……『遭難者』なんですよ」
イシノさんは、ゆっくりとソファーに座った。
話題の重さとは違い、顔はどこか、いたずらっ子のように笑っている。
「いせかい」とは、異なる世界という意味らしい。
異なる世界から、彼は自分の意思ではなく飛ばされてきたという。
飛ばされる、というのがよく分からない。
神隠しの逆のようなものだろうか。
イシノさんは、自分たちを「転生者」と呼んでいると言った。
そして日本には、自分のような転生者がそれなりに存在している、と。
美也子の家は、祖父から三代にわたり、彼らを支援してきた家なのだそうだ。
イシノさんは鞄から、古い写真を取り出した。
「先ほどの話に出ていた、足を折った男というのが、俺の師匠筋にあたる人でして。これは、その人とあなたのお爺さんの写真です」
居酒屋だろうか。
写真には、二人の男が写っていた。
片方は若い頃の祖父。
太い眉。大きな耳。面影がある。
隣には、祖父より一回り体格の良い大男。
二人とも、子供のように笑いながらグラスを掲げていた。
「経緯は分かりました」
美也子は、写真から顔を上げた。
「いせかい、についてはまだ理解できていませんが、先ほどの魔法で何となく」
「良かったです、美也子さん。まあ、違う国からやってきた隣人、程度に考えてもらう方が楽かもしれませんね。……ああ、それと」
イシノさんが立ち上がり、頭を下げた。
「イシノというのは、渡世を歩くための偽名です。本当はギルガメッシュ。通称、ギルと言います」
「ギルさんですね。分かりました。大丈夫です、お座りになってください」
ギルはもう一度軽く頭を下げ、席に戻った。
「で、今回は、美也子さんにお願いがあって参りました」
「私にですか。何でしょう?」
思わず、背筋が伸びる。
何を言い出すのだろう。
『いせかい』界隈で、私に何ができると言うのか。
「あなたの御父上とお兄さんは、あなたを俺たち転生者には関わらせないおつもりだったのですが」
「はい」
父と兄を見ると、二人は無言で頷いている。
「今回、俺の方で困ったことが発生しまして。いつもお世話になっているお二人に相談したところ、あなたが助けになるかもしれない、と」
「はあ」
「あなたに相談するにあたり、俺たちの事情を説明する必要がありました。それで、さっきの話をしました」
「『いせかい』の?」
「そうです。背景をご理解いただかないと、お願いの意味も分からないと思いまして」
美也子は身構えた。
何を切り出されるのだろう。
ギルは、少しだけ困ったように笑った。
「うちの女の子に、日本語を教えてやってほしいのです」




