1-2 異世界生活のはじまり
焚火の前。
商人のギルは、先ほど出会った若い娘の前に座っていた。
白い甲冑をまとった娘は、ギルの夕食だったシチューを、がつがつ食べている。
戦闘職だろう。
小柄だが、身体はしなやかそうだ。
武装は腰の短剣だけ。
白い甲冑は軽甲冑の類か。守っているのは、必要最低限の部位だけだった。
転生者だ。
間違いない。
リュックなどの荷物は持っていない。
どこかに置いてきたのか。
それとも、転生時から持っていなかったのか。
娘はシチューを食べながら、緑色の瞳でこちらを警戒しているようだ。
消耗の度合いから見て、数日はまともに食事をしていない。
心細かっただろう。
日本語は、まったく通じない。
ギルは身振り手振りで、あっちにもっと飯がある、と伝えた。
娘はじっとこちらを見てから、こくりとうなずいた。
ロープを伝って崖を下り、道路まで歩く。
娘は舗装された道路を見て、不思議そうにアスファルトをかかとで蹴っていた。
街中では、白い甲冑は目立つ。
それに、娘の消耗具合も気になった。
ギルは公衆電話でスタッフに連絡し、森の入口まで車で迎えに来てもらった。
自動車を怖がる娘を何とか落ち着かせ、後部座席に座らせる。
◇ ◇ ◇
商人ギルドで正会員になるには、転生者を三名保護し、生活能力を与えるという条件がある。
正会員になることを目指していたギルだが、商人として独立してから間もない。
こんなに早く最初の転生者と出会えた幸運に、内心震えていた。
だが、同時に困惑もしていた。
何の用意もしていない。
これから、どうしたものか。
自宅兼事務所に到着すると、途中で買った弁当と牛乳を娘に与えた。
ひとまず、応接室のソファーに寝かせる。
翌日、娘の名がバネッサだと分かった。
新しく部屋を借りる金はない。
物置部屋を片づけ、彼女の部屋にすることにした。
殺風景な部屋だったが、バネッサは素直に中古の二段ベッドに丸まった。
問題は、そこからだった。
日本語学習も必要だ。
衣服や生活用品も必要だ。
ギルも、商会のスタッフ二名も、全員男。
しかも全員、体育会系で女っ気がない。
知り合いの商人の女性スタッフに、飯を奢るからと頼み込み、外出用の服、部屋着、寝間着、下着、靴などを見繕ってもらった。
歯ブラシやタオルといった小物も買う。
想像していたよりも、細かな出費が続いた。
ギルは、転生者の保護が想像以上に大変なものだと痛感した。
◇ ◇ ◇
食卓で、バネッサがチャーハンを食べている。
ギルが炒めたものだ。
ギルの好物だが、彼女も気に入ったらしい。
ぱくぱくと、よく食べる。
日本語は話せない。
今のバネッサは、ただ日々、飯を食って生きているだけだった。
このままじゃ、なあ。
ギルは腕を組んだ。
通常、転生者を保護した後は、まず日本語教育を行う。
だが、ギルは商会を立ち上げたばかりで、専門の日本語講師を雇う金銭的余裕がない。
自分が昔、日本語学習で使っていたテキストを引っ張り出し、バネッサに教えてみた。
しかし、ギルにはそういう方面の才能がなかった。
なかなか成果が出ない。
仕方なく、今は物の名前を教えて過ごしている。
これは茶碗。
これは箸。
これは机。
これはチャーハン。
バネッサは、チャーハンという単語だけ、妙に早く覚えた。
◇ ◇ ◇
与えられた部屋の中で、バネッサは夜な夜なベーコン・ドリームの謎について調べていた。
分かったのは、主に二つ。
・槍は十五分以内に<倉庫空間>へ戻せば崩壊しない
・槍は消滅した後、六時間ほどで復活する
槍が崩壊して消えると、なぜパニックになるのか。
その原因は分からない。
何かの呪いなのかもしれない。
ひとまず、そう考えておくことにした。
ある晩、槍の収納に失敗した。
ベーコン・ドリームが砂のように崩れて消えた瞬間、バネッサはまた号泣してしまった。
ギルが慌てて部屋に飛び込んでくる。
けれど、事情を説明することはできない。
言葉が通じないのだ。
ギルは困ったように頭を掻き、何も分からないまま部屋を出ていった。
心配をかけてしまった。
調査は、彼が日中外出している時にしよう。
ギルや彼の仲間たちを観察しているが、彼らは<倉庫空間>を持っていないようだった。
この世界の人間は、全員持っていないのだろうか。
槍のことは、ギルには黙っていた。
気味悪がられて、嫌われてしまうのも嫌だった。
それに、言葉が通じない以上、説明のしようがない。
窓から見える風景。
テレビという機械。
ギルが持っている本。
どうやらここは、バネッサが知っている世界ではない。
まるで異世界だ。
文字はどことなく似ている。
けれど、技術体系も、魔法体系も違う。
いつか、元の世界に戻れるのだろうか。
バネッサは、そんなことを考えながら過ごしていた。
◇ ◇ ◇
バネッサがチャーハンを食べ終わり、皿を洗っている。
まだ言葉は通じない。
それでも、知能は高いようだった。
美味しいものを食べれば、にこにこ笑う。
風呂に入れば、異国の歌を歌っている。
何となくだが、馬が合う気がした。
たまに部屋で大きな声を上げて泣き叫ぶことがある。
ホームシックだろうか。
だが、三十分もすればケロリとしている。
切り替えが早いのかもしれない。
ギルは女性と暮らすのは初めてだったが、思っていたよりも気楽に過ごしていた。
「なんか、女っていうか、野生動物を保護してる感じなんだよなあ」
ギルはスタッフに、苦笑いしながらそう言った。




