1-1 岩山の出会い
バネッサは、気が付くと森の中に倒れていた。
どこかの山の中にいるようだった。
薄暗い。夕方だろうか。
上半身を起こす。
頭が少しぼんやりしている。
海辺を歩いていたような気もする。
けれど、それがいつのことだったのか、よく思い出せない。
愛用の槍を、右手の<倉庫空間>から途中まで引き抜いていた。
戦闘中だったのだろうか。
分からない。
何も、はっきりしない。
よろよろと立ち上がる。
槍を完全に取り出し、軽く振ってみた。
手に馴染んだ重みがある。
その直後、<倉庫空間>の異常に気付いた。
空になっていた。
食料。
水。
薬。
貴重ながらくた類。
すべてが消えている。
野外で、物資がない。
血の気が引いた。
焦って周囲を見渡す。
物資が落ちている様子はない。
森はただ、自然の、あるがままの姿で、バネッサを囲んでいた。
途方に暮れそうになる。
けれど、完全に暗くなる前に、安全な場所を見つけなければならない。
バネッサは、木の間を縫うように歩き出した。
植生に、少し違和感がある。
見慣れた地域ではないのだろうか。
遠くに、水の流れる音がした。
ありがたい。
行ってみよう。
音の方向へ足を向けた、その時だった。
手にしていた槍に、異常が発生した。
槍の輪郭が透き通り始める。
柄が、穂先が、砂のように崩れて――
消えた。
ベーコン・ドリーム。
そう名付けた、自分で打った自慢の槍。
見た目は少し派手だが、実はただの二流品。
その槍が、消えた。
バネッサの心臓が、早鐘を打ち始めた。
自分でも理由が分からない。
なのに、動揺が止まらない。
まるで、長年の友人を失ったような喪失感だった。
ただの二流品の槍なのに。
おかしい。
どうして。
頭の片隅では分かっている。
こんなのは、いつもの自分ではない。
それでも、涙が止まらなかった。
『ベーコン・ドリームが消えちゃった!』
立っていられなくなり、その場にうずくまる。
バネッサは動けなくなった。
森の中で、ただ泣き続けた。
気分が落ち着くまで、一時間近くかかった。
戦闘職として最悪だ。
丸腰で、無警戒に泣き続けるなんて。
日は完全に落ちていた。
ただ、月明かりはある。
バネッサは先ほど聞こえた水音の方へ向かった。
小さな川が流れていた。
水質は良さそうだ。
兜を外し、手で水をすくって顔を洗う。
口に含んで、少しだけ確認する。
大丈夫そうだ。
飲んでしまおう。
月明かりを頼りに、川下へ歩いた。
下流に行けば、何か見つかるかもしれない。
それにしても、さっきのパニックは何だったのだろう。
自分でも分からない。
しばらく歩いたが、街明かりどころか、人工物も見つからなかった。
仕方ない。
今日は木の上で寝るしかない。
バネッサは木に登り、ベルトで幹と体を結んで眠った。
◇ ◇ ◇
空が明るくなってきた。
夜中、何度も目が覚めてしまい、十分な睡眠はとれなかった。
それでも、夜通し歩いて体力を削るよりはましだ。
川で顔を洗う。
先輩たちは、どうしているだろう。
ギルドの中でも最弱だったバネッサの面倒を見てくれた皆が恋しい。
ふと、<倉庫空間>を見る。
ベーコン・ドリームが戻っていた。
大喜びで取り出す。
元のままだ。
昨日は砂のように崩れて消えたのに。
なんだったんだろう。
消えたり、戻ったりするなんて、初めてのことだ。
身体をほぐすため、素振りをする。
いつもと変わらない。
やっぱり、手に馴染んだ槍が一番だ。
しかし、十数分後。
ベーコン・ドリームは、昨夕と同じように消滅した。
バネッサは、またパニックに陥った。
悲しくて、寂しくて、仕方がない。
どうして、こんなに心が震えるのだろう。
バネッサは、うずくまって号泣した。
今回は三十分ほどで、何とか立ち直ることができた。
泣いて消耗した体力が気になる。
何か食べるものはないかと、よろよろ歩き出す。
木の実や草のことを、もっと勉強しておけばよかった。
◇ ◇ ◇
三日間、山の中をさまよった。
川は途中から滝になっており、下流へ直接進むことはできなかった。
見つけた小魚を数匹、生で食べた。
木の実も試したが、苦くて吐いてしまった。
時折、遠くの空に、見たことのないものが飛んでいくのが見えた。
鳥のようだが、羽ばたいていない。
人工物のように見える。
ならば、この世界には文明があるのだろう。
ロープがないので、崖を下りることができない。
川から離れすぎるのも怖い。
日中、尾根から周囲を見渡しても、木と岩しか見えなかった。
一定時間が経つと、ベーコン・ドリームが戻ることには気付いた。
槍の異常性も、だいたい分かってきた。
けれど、心が折れそうになると、どうしても槍を握りたくなる。
パニックになると分かっていても、だ。
体力も、精神も、限界に近かった。
こんな知らない場所で、たった一人で死んでしまうのだろうか。
木に寄りかかるように座り込む。
……カーン、カーン。
遠くから、何かが聞こえた。
バネッサは目を開いた。
半分、気を失っていたようだ。
太陽の位置からすると、まだ昼過ぎだろうか。
木を支えにして立ち上がる。
遠くに聞こえる音は、何だろう。
音に向かって、森の中をゆっくり進んだ。
足場が悪い。
体力も限界に近い。
相手が何者か分からない以上、声を上げて助けを求めるのは怖かった。
やがて、森の端についた。
木の陰から、音のする方向を覗く。
岩山の壁に向かって、ハンマーを振っている人物の背中が見えた。
太い首。
太い腕。
厚い背中。
大柄な男性だ。
帽子をかぶっている。
腰から下は、ごろごろした岩に隠れてよく見えない。
男は大汗をかきながら、力強くハンマーを振り、タガネを岩に打ち込んでいた。
採掘をしている。
そう見て間違いなかった。
時折、手を止めて、掘り出した石を観察している。
「……!」
一瞬、こちらを見た気がした。
けれど男は、すぐにまた岩を打ち始めた。
ひやりとする。
男が、リズムに合わせて歌を歌い始めた。
聞いたことのない歌。
いや、知らない言葉だ。
外国人だろうか。
どうしたものかと観察していたが、急にめまいがした。
まずい。
木に寄りかかり、そのまま座り込む。
意識が、暗く沈んでいった。
◇ ◇ ◇
目を開くと、周囲は暗くなっていた。
どのくらい、気を失っていたのだろう。
岩を打つ音は消えていた。
森の木々の間に、光が見える。
焚火だろうか。
バネッサはよろよろと立ち上がり、木につかまりながら近づいた。
先ほどの男がいた。
焚火の前に座り、何かをしている。
見つからないように、ぎりぎりまで近づく。
その時、食べ物の匂いがした。
男は鍋で、何か食事を作っているようだった。
「ぐぐー」
バネッサの腹の音が、静かな岩山に響き渡った。




