33話
珍しくうっかり寝坊した。でもまだバイトの時間までには間に合うはず。僕は急いで着替えてカバンを持ち家を出る。
9時55分。走りながらチラリと確認した時計にはそう表示されていた。このまま走れば余裕で間に合いそうだった。
なんとか到着して店に入る。バックヤードまで行くとマヤさんがタイムカードを切っていた。左手には例のこなもんチャームがついたビニール傘を持っている。今日は晴れているのに。
「おはようマヤさん。晴れてるのに傘を持ってきたの?」
「冴木さん、おはようございます。天気予報、見てないんですか?明日の6時から記録的な大雨らしいですよ。」
寝坊したせいで、確認していなかった。
まあ天気予報とはいえ外れることもある。それに僕たちが帰るのは7時。それまでに降っていなければなんの問題もない。
…天気予報は外れた。
4時には、すでに大雨が降っていた。6時になる頃には道路は冠水していた。
「これじゃ傘無しじゃ帰れないですね。ビニール傘、このままのペースだと売り切れになっちゃいますよ?」
「この忙しい時間に仕事を抜け出すわけにはいかないよ。個人的な用事で仕事中に買い物するのも、ルール上よくないし。」
「こんな緊急時でも、真面目なんですね。」
マヤさんは感心しているのか呆れているのか、よくわからない表情をしている。
そんなこんなで仕事は終わった。最後のビニール傘は6時半に売り切れ。レインコートもその後すぐに売り切れた。
「どうするんですか?この雨の中を走って帰ったら、風邪をひきますよ。」
マヤさんは言う。だが僕には秘策があった。
「マヤさんもこういう状況になった時のために覚えておくといいよ。この店のバックヤードのこのロッカーの中には、忘れ物として預かったまま誰も取りに来ない傘が大量に入っているんだ。ちゃんと返せばなんの問題もないし、店長もよく使っている。」
そう言ってガチャリとロッカーを開けると、そこにはなにも入っていなかった。
「店長、この前言ってませんでしたっけ。忘れ物の傘を処分するから、私物の傘を店に置きっぱなしにしないように。間違えて一緒に捨てちゃうかもしれないからって。」
言われてみれば、言ってた気がする。
以前、他のバイトの子が私物を職場に置きっぱなしにしてトラブルになったのを見たことがある。それ以来、自分のものは必ず毎回全部持って帰るようにしていた。だからその店長の発言も、特に気に留めていなかった。
困ったことになった。
店には商品の傘も忘れ物の傘も一本も残っていない。
「こうなったら、しょうがありませんね。」
しょうがない。腹を括って走るしかないか。
「冴木さん。一緒に帰りましょう。傘を二人で使えば多少濡れるかもしれませんが、走って帰るよりマシなはずです。」
…それって、相合傘ってこと?
少し恥ずかしい。だがこの豪雨の中を走って帰って、風邪でも引いたらどうなる?バイトを休むことになって、余計に迷惑がかかるかもしれない。
「じゃあ、すみませんが、入れてください。」
「全然大丈夫ですよ!では、帰りましょうか。」
僕たちは豪雨の中帰り始めた。
「そういえば、マヤさんの家って再度地球に来たタイミングで変わったんだよね。」
「はい。方向は冴木さんの家と同じです。冴木さんの家より遠いですけどね。」
「じゃあ、このまま僕の家まで送ってもらえるんだ。ありがとうね。」
「いえいえ、気にしないでください。困った時はお互い様です。…それより、もう少しくっついてください。冴木さんの肩が濡れてしまいます。」
そう言っているマヤさんの肩も傘からはみ出している。申し訳ない。
僕はマヤさんとの距離を縮める。ほとんどくっついている状態になった。正直少しドキドキした。
「あ、この場所懐かしいですね。私と冴木さんが出会った場所です。」
そうだ。ここで最初に出会ったんだ。マヤさんは猫の姿だったけど。
「考えてみれば、もともと冴木さんの傘なんですから遠慮する必要なかったですよね。」
「もうマヤさんの傘だよ。懐かしいな。あの日はここまでの豪雨じゃなかったけど。あの後、風邪引かなかった?」
「はい。大丈夫です。人目がなくなったのを確認して、すぐに人に変身して、上司の家にお世話になりに行きました。お風呂にも入れてもらい、暖かい服も用意してくれたので、風邪はひきませんでした。」
「上司って、あの猫の?」
「そうです。猫の上司、相部屋の同僚の女の子、それと私の3人いたので賑やかで楽しかったですね。みんなで相談した結果、私はコンビニのアルバイトを受けることになりました。履歴書を書いたり、面接の練習も、そこでしたんですよ。」
いい意味でアットホームな職場らしい。羨ましい限りだ。僕が今いるコンビニも快適だけど、賑やかさはないからな。
そんなことを話しながら歩いていると、僕の家に着いた。
「玄関まで送りますよ。」
「ありがとう。」
ドアの鍵を開け、玄関に入る。
遅刻しそうでドタバタしたから少し散らかっていた。恥ずかしかった。
「じゃあ、私は行きますね。風邪ひかないように気をつけてくださいね。」
「マヤさんも気をつけて。それじゃあね。」
僕はマヤさんの姿が見えなくなるまで見送ってから、ドアを閉めた。
僕は風呂場の蛇口をひねってお湯をためる。タオルでカバンの雨粒を拭きながら考えた。
相合傘か。思い返してみれば人生初だった。子供の頃もしてなかったと思う。
僕はなんだか時間差で恥ずかしくなってきた。
僕は誤魔化すようにスマホで音楽をかけて、風呂に入ることにした。




