16話
僕とマヤさんは近所の喫茶店に来ている。立ち話も何だし、と僕が誘ったのだ。
「ここ、コーヒーが美味しいだけじゃなくてケーキやカフェインレスコーヒーもあるんだ。よく使ってる行きつけなんだ。」
心が落ち着かないのを誤魔化すように僕はそう言った。話の本題に入るのが怖い。そう思った。
マヤさんはさっきよりは落ち着いた様子だ。モーニング限定のメニュー表を眺めている。
「落ち着いた雰囲気のいい店ですね。…私はハムチーズホットサンドと紅茶のセットにします。」
「僕も今日はハムチーズにしようかな、飲み物はコーヒーで。」
注文が決まったので店員を呼び、注文を伝える。店員が裏へ戻った後、マヤさんは話し始めた。
「冴木さん。私は昇進が決まりました。冴木さんのデータを取ったことを高く評価されたんです。」
おめでたい話のように聞こえるが、彼女は嬉しそうではない。少し暗い表情をしている。
「そのデータを提出するために、宇宙船で脳をスキャンします。私の脳内にある冴木さんのデータやその他諸々の情報をコンピュータに転送します。そのために一度宇宙船に戻る必要があるんです。」
「その後は、地球に戻って来られるの?」
「わかりません。私は地球、そして日本に戻って来られるよう上司に希望を出します。ですが、決定権は会社にあるので日本に戻れるかはわからないです。」
「近いうちに宇宙に帰るって言ってたね。具体的にはいつ?」
「データの受け入れ準備が終わり次第、私は宇宙に帰ります。具体的な時間は分かりません。ですが、あまり時間は残っていないです。…おそらく数日中には帰ることになります。」
数日中、か。
僕は、頭の中を整理しながら話し始めた。
「とりあえず、友達としてじゃなくてバイト仲間として言えることは、早めに店長に辞めると連絡しよう。」
「何と言って辞めましょう。正直に答えるわけにもいきません。」
「それは、帰国するって伝えればいいんじゃないかな。…本来なら1カ月以上前に伝えなくちゃいけないんだけど、理由を聞かれた時に家庭の事情です。って答えれば、あの店長なら分かってもらえるはずだよ。」
「わかりました。早速店長にメールします。」
そう言うと彼女はスマートフォンを取り出した。…見たことない機種だ。地球のものではないのかもしれない。
「そうだ。僕とも連絡先を交換しよう。いつでも相談に乗れるから。」
「そうですね。電話番号がこれで…。チャットアプリのQRコードは、これです。」
僕もスマートフォンを取り出し、連絡先を交換した。
「お待たせしました。モーニングセット2つになります。」
机の上には溶けたチーズが食欲をそそるサンドイッチと、香ばしい香りを放つ紅茶とコーヒーが置かれた。
「どうぞ、ごゆっくり」
店員は店の奥に戻っていった。
「美味しそうです。冷めないうちに食べちゃいましょうか。」
とマヤさんは言う。僕とマヤさんは手を合わせ、いただきます。と2人で言うと、ハムチーズホットサンドを食べ始めた。
口いっぱいに濃厚なチーズとハムの旨味が押し寄せてくる。だが今日は心が落ち着かないせいか、味に集中できない感じだ。
モーニングで安価な分、控えめな量のホットサンドは2人ともすぐ食べ終わり、話の本題に戻った。
「私、帰りたくありません。ですが、組織の命令は絶対です。私にできることはありません。」
本当にそうだろうか。できることはないのか。
「宇宙人の組織をやめて地球に残るっていうのはどう?」
「それは出来ません。私が今ここにいる事ができるのは組織のサポートあってのことです。マヤ・ベネットという名前、外国人留学生という嘘の個人情報など、ここで暮らすのに必要なものは全部組織が用意してくれたものです。地球で、日本で暮らすためには組織は裏切れません。」
組織は裏切れない、組織の命令は絶対。それでも帰りたくない。それでもどうにかして彼女が日本に残る道はないのか。そう考えて、閃く。
「マヤさん。発想を変えよう。帰らない方法じゃなくて、戻ってくる方法を考えよう。」
「…と言いますと?」
「組織の命令で一度帰る。これは悔しいけどしょうがない。でも、もう一度日本に戻って来れるチャンスを広げるために、今出来ることをしよう。」
「今出来ること…。具体的には?」
「今の仕事を続けたいなら、まずは仕事で成果を出すことが大事だ。…マヤさん、残された時間、全部僕にくれないか。僕のデータを少しでも多く持ち帰って、マヤさんの優秀さをアピールしてほしい」
「…はい。わかりました。冴木さんともっと一緒に過ごします。」
「うん。…でもそれだけだと単純すぎる。優秀な人ほどいろいろな場所に行かせて、成果を出してほしいって思われたら良くない。マヤさんを日本に置いておきたい。そう思ってもらわないといけない。」
「それなら、もっと日本語や日本の文化について詳しくなった方が良いですね。」
そうだ。出来ることはある。
「マヤさん、今日はこの後予定はありますか?…一晩中集会した後で、眠くないですか?」
「いえ、大丈夫です。仕事の前に寝ていたので、しばらく起きてられます。」
なら、僕のことを知るうえで一番効率的な方法がある。僕の情報が世界で一番つまっている場所にマヤさんを連れて行く。
「…もし良かったら、この後僕の家に来ませんか?」
僕は初めて女性を家に誘った。




