第8話 黄金の都
カディール帝国。首都スヴァルナ。
アンワルは身体を寛がせて、塞いでいたシェフタルの耳を離した。
「シェフタル、向こうに行っていなさい。この時間ならまだパリサが起きています。一緒に遊べなくてごめんなさい」
シェフタルはすっかり肩を落として四行詩集を閉じた。
「……旦那様、明日ね」
「えぇ。明日」
おやすみをキスをして、シェフタルは小さく手を振りながら部屋を出ていった。アンワルは笑顔で見届けると足を組み直す。
「さて、まずは五体満足な理由を聞きましょう。至院から話は聞いていますが、傷一つ負わせずに帰すとは」
「見逃すと」
「なるほど。聖女が立ったことを私が知る必要があったと。ふむ」
アンワルは孔青の思惑を察すると、軽く目を伏せて肘をついた。
「彼らは恐らく戴冠を目指すでしょう。天京に向かうのでしょうね」
「い、いやいや!無理でしょう!あっちは兵士が千人いるかどうかですよ?しかも翠朧包囲網が敷かれてる。迂回は難しいってもんです」
「だからこそ翠朧を目指すのです。まだ天京の手前、承天省は落ちていません。そこさえ抜ければ首都奪還は見えてくる」
絵画の中にいるような王子は静かに続ける。
「孔青殿の思惑としては、現皇帝が崩御されるまでに戴冠に漕ぎ着けたいのだと思います。そうすれば国内外に聖女の威信を見せつけられる。西都で出会ったのは彼らにとって及第点、というところでしょう」
「どうされます?軍を動かして──」
アンワルは寂しそうに眉根を下げた。
「私に軍を動かす権限はありません」
「王は?」
「南方に戦いに行ったきり便りは来ていませんね。恐らく欧陽と落ち会うつもりだとは思いますが」
アンワルは黒い癖っ毛を弄りながら、どこまでも続く黄金の天井を見て、サクルに視線だけ戻す。
「その聖女とやら」
「どこにでもいる村娘ですよ。黒髪の女です。アンワル様よりは若いですけど」
「貴方、皇太子に扮して欺くと言っていましたね。どうして見破られたのです」
サクルは口をすぼめた。
「……向こうの皇子に乗せられました」
「ハッ!これはこれは。一本食わされましたね」
くすくすと楽しそうに笑うアンワルに、膝をつきながら反論するサクルを見下ろす。
「ある人物を尊敬しろ、服を派手にしろって言われて、まぁ前者を鵜呑みにしたのは悪いですけど、後者は従うじゃないですか!いくら国庫の支出を制限してるといえども、皇帝と同じ地位の最高位のお客様が来たら派手にするに決まってる!貴族の常識だと思って……」
アンワルは漆黒の目を細めて一蹴した。
「貴方は農民に対する想像力が無い。彼女は何かしら情報を得て現れて、孔青殿はそこに賭けた。貴方は至院と貴族の常識に囚われた故に、賭けに負けたのです」
アンワルは立ち上がった。サクルも帰ってきたことだし、目も冴えてしまった。黄金の扉を押すと、書類の山がある。
「いずれにせよ、彼女の評価は包囲網を抜けてからにしましょう。貴方には政務を手伝ってもらいます。仕事が溜まってしまいました」
「えー……オレを労る気持ちは無いんですか」
「チャンデを呼びましょうか?仕事を手伝ってくれるやも」
まぁ、とアンワルは皮肉げに口端を上げた。
「寝入ったあとに起こせば、走馬灯の一部になるくらい怒ること間違い無しですが」
「やめて下さい泣きますよ。チャンデ様良い人なんですから。やりますよ!やれば良いんでしょ!というか仕事やっとけよな!」
サクルは執務室に積み上げられた書類をいじりながら問うた。
「つかオレはもう密偵しなくて良いんすか」
「他にも良いのがいるので。一次的ですが、聖女の手腕を知るには十分です。一人喪うことになりますが、まぁ問題はないでしょう」
城下を見下ろすと煌々と輝く灯りが見える。本来は王が守るべき国民。愛おしい民達。
国を救うという意思は、アンワルが王太子だから持つものであって、村娘である聖女には無謀なことだ。
「天龍の子、ですか」
嘲りか。いや、あるいは憐れみか。もしかすると、自分と──
「……哀れな」
甘い香りが立ち込める離宮、アンワルは執務室に入った。
昼前。
西都から出た一行は、翠朧側の墨江のほとりにキャンプをしていた。
特別に与えられた一人用のキャンプに、一人ごろりと佇む玉麟がいる。
「……ひま」
さっきから蝋燭に集る蠅と蛾を数えるくらいしかやることは無い。
玄礼は「危ないですから、私が殿下とお話が終わるまでここにいて下さい」と言ったっきり半刻。
「玄礼はちょっと心配し過ぎなのよ。あの調子じゃ鳥一羽捌くのでも説得するのに半日かかるわ」
玉麟は身体を起こした。さっきから何かいい匂いがする。テントから顔を突き出す。
「いい匂い」
香ばしい匂い。匂いがする方に向かうと、厨房用のテントがある。中を覗くと、玉麟と同じ年くらいの少女がいる。三つ編みをカチューシャのようにして髪を纏めていた。
芋の皮むきを機嫌良くこなしていた少女は振り向く。背丈は玉麟より小さい。
「ん?見ない顔ですね。お昼ご飯はまだですよ。もうちょっと……あ」
玉麟が聖女だと気付いた少女は、慌てて地に伏せる。
「聖女様!すいません、私ったら礼儀を……」
「良いの良いの。気にしないで。ご飯を作ってるのね。えっと……敬語じゃなくて良いわ」
テントの中に入ると、少女は手をはたいて水で洗った。
「敬語はまぁ、癖なんで気にしないで下さい。そ、昼飯の手伝いです」
玉麟はボウルいっぱいに積んである芋を見た。
「皮を剥いてるのね。私も手伝うわ」
「マジ?超助かります」
玉麟は小さな包丁を手に取ると、慣れた手つきで皮を剥き始めた。
「自己紹介まだでしたね。私は白陰陽。孔青様の護衛です」
「私は朱玉麟。なんか、嗅いだこともない香りだけど……美味しそうね」
大きな平鍋に、油と香辛料が入っていた。見たことのない香辛料だ。
「あー……うちのご飯、迦迪爾のなんですよ。お嫌でしたら大明のご飯をご用意しますけど」
玉麟は固まった。なんで、迦迪爾の料理なんか。
「いいの、気にしないで」
陰陽は平然とした声音で、淡々と続ける。
「私ね、迦迪爾との混ざりなんですよ。国境付近の慶東省ってあるでしょ。あそこで大明人の母と、迦迪爾人の父の間に産まれました」
少女はなるべく人当たり良さそうな笑みを浮かべる。
「言っとかないと嫌って人もいるし。聖女様も私と話したくなかったらいないものとして扱ってもらって良いですよ」
「いや!それは無い!えっと、その、びっくりしただけ!めちゃくちゃ!」
テントは一瞬で沈黙が襲った。。
恐らくめちゃくちゃびっくりしたのは陰陽の方だ。玉麟は慌てて付け加えた。
「ご、ごめん、いきなり大きな声出して……。だって、この戦争が終わったら大明と迦迪爾はまた仲良くするんでしょ?それに、貴方に罪は無いじゃない」
健気に必死に伝える玉麟を見て、陰陽は恥ずかしそうにはにかんだ。
「ふふ。綺麗事でも面と向かって言われるとうれしいですねぇ」
「私は貴方と仲良くしたくて……!」
「分かってますよ、仲良くしましょう。エビの背わた取りもお願いして良いですか」
「え、えぇ、はい」
目の前に大ぶりの海老が置かれた。大明皇国の北のものかな。海があるから。
「聖女様から見た孔青様ってどんな感じです?」
「んー……良い王様になりそうな人、かなぁ。器は大きそう」
「ははっ。やっぱ外向きからだとちゃんと皇子様に見えるんですね」
陰陽は嬉しそうに話始めた。
「あの人、昔から市井をうろつくのが好きで。私は母がなくなってから天京で曲芸師をしてたんですが、双剣の扱いが上手いって取り立てて貰って」
「お母様が?」
「そうなんです。父は迦迪爾へ兵士に取り立てられて、母は病気で亡くなりました。こんな世の中で病気になれたのは恵まれた方ですけど」
病気になったのが、恵まれてる?玉麟は首を傾げた。
「恵まれたって変ですけど、私はやっぱり家族がどこに行ったか分からないまま生きていくのが嫌なんです。父は分からずじまいだけど、母は最期に愛してるって言ってくれたし」
玉麟は殻を剥く手を止めた。
愛してるって、言って欲しかった。
「価値観、独特ですよね」
今朝方。西都での記憶。
城壁に貼られた戦災名簿を必死になって玉麟は睨みつけていた。『死者』の欄に、父母の名前はない。
「あんれ。聖女様は翠朧のお人だったんかいな」
恐らく同じ翠朧の老人だろう。腰を曲げて玉麟へと問う。
「そうなんです。何かご存知のことはありませんか?」
少しでも知りたい。その一心で玉麟は問うた。集まってきた人々は眉を顰めた。
「そりゃ気の毒になぁ」
「何だ、聖女様がどうしたって?」
「翠朧の人だったんだってよ」
「どこだい?」
「麓村です」
麓村、という言葉を聞いて、一人の男は目を伏せた。
「……橋が落ちただろう。麓村から墨江まで半日はかかる。流された時に、麓村の連中が渡ってたらしい」
「生き残った者もいて病院に運ばれたと聞いたが、それが鎮西かは分からんな」
「……そん、な……」
あの名簿には行方不明の欄もある。でもあれは、『いなくなったことを知っている人』が、『いなくなった』ことを伝える為の場所。一家全滅してしまえば、誰が伝えられよう。
人混みの中から玄礼は玉麟を見つけた。そっと背後から声をかける。
「玉麟様」
「玄礼、どうしよ、伯言が、おとうさんとおかあさんが……」
玉麟は玄礼を掴んだ。が、慌てて離す。しっかりしないと。こんな世の中、皆は頑張って乗り越えてるんだから。呼吸を整えて改めて問い直す。
「……玄礼は、辛くないの。お父さんとおかあさんに、会いたくないの?」
「出仕の際に情を捨てるよう言われておりますので」
玄礼は震える手で、玉麟の肩を恐る恐る抱いた。
「……戦が終われば共に探しましょう。私も協力します」
玄礼がそう言ってくれた。果たされないのならそれでもいい。今はそう言ってほしかったから。
馬に乗って西都を後にした。
その時、野営地に一人でうずくまっていた玉麟と同じくらいの女の子が、家族と再会していた。
良いな。私もあぁなりたかった。
海老の棘が刺さって、玉麟は軽く手を振った。ぼやけていた思考が戻ってくる。
「確かにそうかもね」
「え?共感されたの初めてです」
「そういう人は割り切ってるか、皆死んでるか、まだ死んでないかのどれかだと思うわよ」
「死ぬことは悲しいことだわって言われると思ってました」
それはそう、だけど。死んでるかどうか分からないのはもっと悲しいことだ。
「ふふ。もっと仲良くなれそうです」
しんみりした話が続いたのを気にしたのか、陰陽は声色を明るくした。
「話変わるんですけど、迦迪爾のアンワル王太子ってめっちゃイケメンって知ってました?」
「そうなの?」
「そうですよ。綺麗な顔してて頭良くて、お金持ちで、物腰柔らかいから五人のお妃様に囲われてるとか。賢い方だそうですよ」
「やだなぁそれ」
想像するだけで嫌になる。全て要素が揃っていたらケチつけられないから。
「玉麟様はどんな人が好みなんですか?」
「考えたことなかったわね。あぁでも、真面目な人が良いかも。真面目で優しい人。イケメンだと尚良し」
「つまり玄礼様ってことですか」
玉麟はげんなりしながら手を止めた。
「陰陽。物事には常に例外というものがあるのよ。あれは真面目じゃないわ。堅物よ。金剛石より硬いわ」
そんなくだらない話をしていると、天幕が開いた。孔青だ。呑気に言った。
「なぁ陰陽。今日のご飯さぁ……」
「玉麟様。こんなところで何を」
玄礼は眉間に皺を寄せる。玉麟は素知らぬ顔をして背わた取りをしていた。
「ご飯の支度」
「刃物を握るのは危険です」
「それ、世の中の台所に立ってる人に言って回るつもりかしら」
「……言います。貴方がお辞めになるのなら」
やたら決意を秘めた顔を見て、陰陽は玉麟へ耳打ちした。
「龍門堂様って結構天然?」
「分からないわぁ。何もかも」
「今度はお前だ、玉麟。おいで」
玉麟は手を洗って陰陽に手を振った。
「ごめんね陰陽」
「良いっすよ。助かりました」
孔青は玄礼を突き出した。
「陰陽。こっちは玄礼だ。手合わせでもしてもらえ」
やったぁ、と声を上げた陰陽は元気良く挨拶した。
「貴方が南部の玄礼ですね」
「はぁ。まぁ」
玄礼は彼女に気圧されながら、玉麟が行った方を見ていた。
「えー、ちょっと手合わせしましょうよ。ね、ちょっとだけ」
反応が鈍い玄礼を見て、からかうように陰陽派笑う。
「男女が二人きりで心配してます?」
「いっ……いえ、そのような事は」
「大丈夫だいじょーぶ。孔青様はヘタレだからマジで気にしなくていいよー。さ、やろやろ!」
手早く火を止めると外に出た。腰にあるのは白黒の二振りの剣。まるで自分の腕のように、陰陽は構える。
「私は双剣。孔青様から賜った陰陽剣で参ります」
「双剣なら槍のほうが良いですね」
玄礼は近くにあった一般兵用の槍を手に取ると、身体を曲げて構えた。全く弛みのない、それでいて自由に動かせるしなやかさ。陰陽は感嘆の声をあげた。
「玄礼様って身体柔らかいんですねー」
「はい。頭が硬いので、身体は柔らかくあれと」
「あはは!玄礼様も冗談とか言うんだ!」
「いえ、家訓です」
「あぁ……皆こんな感じなんだ……」
これは玉麟様も大変だなぁ、と心の中でごちると、空をはためく鳥の音がする。鳩が帰って来たようだ。
「あ、ちょっと待って下さい。鳩だけ飛ばします。」
陰陽は玄礼から離れた。周りには誰もいない。降りてきた鳩を捕らえると、足輪に手紙を添える。──迦迪爾帝国の意匠が施された足輪に。
「えっと?大明皇国軍は、首都での戴冠を目指し、現在翠朧に進軍中。作戦は不明だが、自軍は五千人ほど、と。迦迪爾帝国軍に告ぐ」
末尾には陰陽──ではなく、メシュキと記して。
「大明皇国に栄光あれー」
はためく鳩はどこまでも自由だ。あれは陰陽とよく似ている。好きなようにメシュキと生き来する自分。
「……なーんてね」
メシュキは、目を細めて笑った。
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