第7話 天龍の子
玉麟と玄礼は議事堂の前にいた。謁見の時間まで間もなくだ。中から出てきた兵士が、二人へと声をかけた。
「お待たせしました。中へどうぞ」
後へ続くと、兵士は応接室へ導いた。この先に皇太子様がいるらしい。人が寝転べるほど大きな机、王冠よりも何倍も輝くシャンデリア。その奥に皇太子はいた。
確かに『特別豪華で』、『身長は玄礼と同じくらい』『金の目をして』『亜麻色の髪をした男』が座っている。
「お前が聖女か?」
「はい、相違ありません」
伏せる前に椅子に案内される。玉麟が座ると、背後に立っていた玄礼が耳打ちした。
「野営地でこちらを見ていた男に間違いありません」
頷きがてら、玉麟は瞬きを返した。
「オレは孔青。ここまで来てくれたことを感謝する」
「私も謁見できて光栄で御座います」
皇太子・孔青は豪華な格好をしていた。皇太子の冠を被り、珊瑚と水晶と金の飾り。白檀の香りがする。玉麟の手元に温かいお茶が置かれた。毒見役が玄礼に目配をした。
「毒味は終わっているので、飲んでもらって構いません」
「……はい」
毒見とか良いんだけどなぁ。地元だと毒キノコ鍋食べてたし。ヒ素は死ぬかもしれないけど。
それにしても、と玉麟はちらと派手な孔青を見た。
確か、内朝と承相によって国庫の支出は制限されていたはず。その割には格好が派手すぎる。
権力を奪われて押し込められてる人が、なんでこんなギラギラした服着てるの?
「翠朧から来たと聞いたが」
その問いに、玉麟は一つの質問を思いついた。
「はい。孔青様は、翠朧の長官を尊敬していらしたのですね?」
「あぁ。あいつは良くやっている」
「現長官の、昂澤様だとか」
「オレも尊敬してるよ」
……今ので分かった。こいつは偽物だ。口を開こうとした瞬間、白髪の壮年の男が入ってきた。隆々としたヒゲを蓄えている。
「お待たせしました、孔青様、聖女様。私は内朝の至院泰然。集会の皆にご紹介しましょう」
至院はにこにこと玉麟に説明を続けている。が、全く頭に入って来ない。いつの間にか宴の会場について、玉麟は目を見開いた。
「……え、なに、これ……」
宴会が豪華すぎる。玉麟の困惑と同じように玄礼も眉を顰めた。外で苦しんでいる民が数多いるというのに、この有様とは。
「お前が来ると聞いたから食事を用意させた。好きに食っていけ」
皇太子は玉麟の肩に手を回した。案内を終えた至院は赤茶けた髪を束ねた男の隣に座っていた。男は玉麟を小馬鹿にした目線を送っている。
「皆のもの!一度手を止めよ!」
いつの間にか上段に上がっている。やめさせるのなら今だ。
「こちらが聖女様であらせられ──」
「私は聖女だけど、貴方は皇太子では無いわね」
玉麟は肩の手を剥がして辺りを見渡す。これは消去法だ。前提として、この亜麻色の髪の男は皇太子ではない。
だが、ここで皇太子ではないと言ったところで『不敬』で終わり、打ち首だ。
未だ決定打に欠ける。合っているかどうかなんて分からない。けれど、人込みをかき分けて。
玉麟には真の皇太子が誰か、思い当たる人物が一人いた。
皇帝と同地位である聖女の玉麟に頭を下げないのも、皇太子について詳しいのも。
考えられる理由はただ一つ、本人だから。
人混みをかき分けた先に、バルコニーで手を組みながらのんびりと外を見る飛龍──孔青がいる。玉麟は伏せた。
「見つけました。皇太子殿下は、貴方です」
刹那、会場は静まり返った。切り裂くのは至院の嘲笑。
「ふっ……ははは!聖女とは偽りか。小姓を選ぶなど。皇太子よ、こんな戯言など──」
孔青は至院の方を向いて、視線で黙らせた。ゆるりと顔を玉麟の方を気だるげに動かす。言葉を待っている。
「我が父、天龍に代わって神託申し上げます。乱世は混迷を極め、我が父は宙の海から私を遣わしました。天龍は海の下の水を撹拌し、宙と地を分けられたこの時より、大明皇国の王はただ一人、貴方様です」
顔を上げると目がかち合う。玉麟は一瞬たじろいだ。
王の目をしている。全てを統べるものの目。その瞳に、幾万の民を宿している。
声を震わせながら、玉麟は言い切った。
「我が名は朱玉麟。皇太子の手により太平の世を実現しに参りました、玉しき麒麟に御座います」
部屋の中から苛立ちの混じった声が飛んだ。欧陽の声だ。
「戯言を……。所詮聖女は偽りだったか。衛兵、即刻つまみ出せ」
「良い。至院、欧陽。ここに聖女が来たのだ。それ以外何も示すことはなかろう」
衛兵達は孔青の言葉が示すところを察したのか、至院と欧陽に刃を向けた。他の皆は伏せている。
「お前達のことは深く知っている。故に、生かしておく意味がない。俺は数として喪うことは嫌だからな。知ったから、もう良いのだ」
「クソッ……!言わせておけば……!」
「やめろ、至院。ここで暴れても仕方あるまい」
欧陽は孔青へと叫んだ。
「殿下。貴方様は本当に新皇帝になるおつもりなのですかな」
「当然だ。聖女様が選んでくれたんだからな」
「ですが、聖女と言えど外部の人間を……!」
欧陽の言葉に孔青は鼻で笑った。
「神か、人間の欲望か……民草が信じるのはどちらだろうな。それを見るのも面白そうだ」
至院は一目散に逃げ、欧陽は睨みつけて会場から去っていく。
「逃げたか。まぁ良いか」
よかった。あってた。ほっと緊張から抜け出すと、隣で膝しかついていない玄礼の腕を掴む。
「げ、玄礼!?ちょ、伏せないと……」
玉麟に侍る玄礼に、孔青は問うた。
「見つかったのか、龍門堂よ」
「はい」
「なら良い」
「いやなんも良くないでしょ。礼儀を怠って処罰って、わけ分かんないから」
だから早く伏せなさいと服の裾を引っ張る玉麟を、玄礼は困った顔をして見つめる。困ってるのはこっちなのよ。
「ですが……」
「何だ玉麟、お前知らないのか」
孔青は小馬鹿にするように笑った。
「知ってるわけないでしょ。何が知ってるかも知らないし」
「ほう。なら劉先に教えてもらえ。奴は天京にいる」
「別に今教えてくれたって──」
玄礼はめ、と言わんばかりに玉麟を咎めた。
「玉麟様。お行儀はどうされたのですか」
「あ、う、ごめんなさい……?」
素直に殿下に謝った玉麟に、玄礼は目を伏せて褒めた。
「よろしい」
いつの間にか立っていた玄礼を見て、孔青は大きく笑う。
「ハハハ!お前達に限っては非礼を許す!今日は祭りだ!新皇帝が天京に向かい行軍の決起集会、そして──」
新皇帝の声が、議事堂の宴会室に響く。
「聖女・玉麟が偽皇太子を見破った奇跡の日としてな!」
「良いですか玉麟様、酒は呑んではなりませんよ」
「玄礼は呑むくせに」
「職務中故呑みません」
「ほんとぉ?」
夕暮れ。
二人の様子を見ながら、孔青は少し離れたところで酒を飲んでいた。同じように働いていた亜麻色の髪の小姓──偽皇太子役が急ぎ足で孔青の前を歩いていく。
「台所はあっちだぞ」
「ちょっと厠に」
孔青は葡萄酒を口に含んだ。良い香りだ。
「帰るのか?迦迪爾に」
「お前、いつから……」
小姓は振り返った。
「従僕に調べさせた。うちはそっちの血を引いてる奴がいるからな」
全ての事に合点がいったのか、小姓は叫んだ。
「まさかお前、派手な格好しろって言ったのも、昂澤に世話になったと答えろって言ったのも……!」
「さてな。神の思し召しだろう。あれは本物の聖女様だぞ」
小姓は絞り出すような声を出す。
「殺さないのか」
「お前は何も悪いことはしていない。国の命に従い、職務をこなし、敗走するだけだ」
『敗走』、という言葉に小姓の眉間に皺が寄った。孔青は口角を上げた。
「それに俺はお前のことを何も知らない。殺すに値しない。数として喪うことは嫌いなんだ、俺は」
ごくん、と孔青の喉仏が動く。
「名だけ聞いておこう」
「……サクル・アスタリー。カディール帝国 王太子にして、天龍の子、アンワル様のお目付け役」
天龍の子ね、と含みを持たせて孔青は呟く。
「伝えろ。聖女は本物で、これから歴史が動くと」
「何でオレがお前の言うことなんか!」
「向こうの王子も同じように問うからだ」
サクルは孔青の睨みながら声を張り上げた。
「クソッ!変なところウチの王子と似てやがる!」
先ほどから玉麟と玄礼が孔青を見ている。あの二人が此方に来たら、この間者の命は即刻消し炭だ。
「気が合いそうだな。……早く行け。死ぬぞ」
「ちッ……!」
サクルの舌打ちを気持ち良さそうに流しながら、孔青は二人に微笑んだ。
カディール帝国。首都スヴァルナ。
穏やかな月明かり。
当たるのは──白亜の城に隠れた黄金の離宮。
住む者は多くない。従者と主人とその家族だけ。
影が廊下を歩く。外に繋がる扉に全て鉄柵がついた眩い廊下を。月明かりは宝石に当たって、昼かと紛うほど離宮を明るく照らしていた。
影を見つけて、ふわふわの髪を靡かせた女は近寄る。
「旦那さま」
その小さくか細い声を聞いて、影は優しく手を伸ばした。
「あぁ、シェフタル。此方においで」
シェフタルと呼ばれた妃は、嬉しそうに男に飛びついた。男は長い黒髪を三つ編みに束ねているが、癖っ毛が隠せていない。瞳の色は琥珀にも漆黒にも見えて、魅惑的に目を細めていた。
褐色の肌は身につけている宝石と黄金を輝かせて、装飾の孔雀の羽はより一層派手に見える。シェフタルは抱き着きながら笑った。
「旦那様、聞いてください。今度ね、第一妃のローシャナ様と遊びに行くの!」
「良いですね。どこへ?」
「分かんない。ローシャナ様のお気に入りの場所だって」
男は一瞬考えて、ふと笑みを零した。
「……あぁ。ふふ、彼女は本当にあそこが好きですね」
「旦那様、ご存知なんですか?」
「皆が好きなものは私も知っていますよ」
「知りたい!教えて旦那様!」
「秘密です。ローシャナに連れて貰うのでしょう?私が言っては詰まらなくなりますよ」
「ほんとは、旦那様とローシャナ様とか、皆で行けたらいいのにね……」
シェフタルの視線の先には鉄柵があった。宝石の扉の手前にある、無機質な柵。男は優しく問いかけた。
「シェフタルはここが嫌ですか?」
かがみ込まれたシェフタルは、慌てて首を振った。
「嫌じゃないです!旦那様に来てほしいって言われたときは、ちょっと怖かったけど……お妃様、皆優しいし、楽しいです」
しみじみと、彼女は呟いた。
「ここからもう、二度と出たくないくらいに」
男は悪戯っぽく、笑みを深くした。
「これはローシャナと私の秘密なのですが」
なぁにと言わんばかりにシェフタルは男にくっつく。
「彼女は貴方と話しているのが楽しいそうですよ。『私はあまり世俗のことを知らないから、あの子が持ってくる本はすべて面白い』と」
彼女は目を見開いた。
「ほんとですか!よかった、ローシャナ様のご迷惑になってなかった……」
「ふふ。そんな可愛いことを考えていたのですか。さぁ、今日は何を読みます?」
案内されたのは男の部屋。権威を示す孔雀の椅子に、二人並んで本を読む。
「今日はちょっと真面目に、四行詩集を持ってきました。孔雀の絵が良いでしょう?」
その四行詩集は、宝石と金箔、金糸で縫い付けられたもの。宮の光を受けて、同じようにキラキラと輝いている。表紙には鳥籠から溢れそうになっている孔雀の絵があった。
「おや。私と同じ籠の鳥ですね」
「旦那様ほど派手な鳥はいないと思いますけど……」
シェフタルは頁を捲った。
「真面目に読むのも良いですけど、こうやって適当なところで読むのも悪くないんですよ。私が考えた遊びです」
捲り続ける頁に、男はしなやかな指を突っ込んだ。そこですね、と妃は楽しそうに笑う。読み上げようとした瞬間だった。
羽音が響き、鳩が窓を叩く。男は孔雀の玉座から立ち上がると、窓に手をかけた。格子がついた窓は内向きにしか開かない。足輪についていた紙を見て目を細める。
「……だんな、さま?」
同時に離宮に小さなベルが鳴る。外からの使いか。
「通しなさい」
扉は開き、鉄格子は降りて、使いの者──サクルが現れる。再び男はシェフタルの隣に座った。
「ご報告が御座います」
「だんなさま、こわいよ……戦争?」
縋り付いてきたシェフタルの耳を優しく塞ぎ、男は慈悲深く微笑んだ。
「あぁ、ごめんなさい。戦の話は嫌いでしたね。私もですよ」
サクルを見て、男は言った。
「あの手紙の話ですね」
「はい。大明皇国に聖女が立ち、従者に紛れていた孔青を見つけ、戴冠させるとの知らせが」
後世、大明皇国、並びに迦迪爾帝国黄金期には、『大帝聖君』という言葉が謳われた。
由来は第八代皇帝孔青が『大帝』と呼ばれ、迦迪爾の王太子も『聖君』と呼ばれた。西の大帝東の聖君などの歌も流行ったとされる。
「……ほう。聖女が。天龍の子である私と同じ時代に生まれるなど、不思議なこともあったものですね」
声音に愉悦が混じる。黄金の離宮に住む、王太子・アンワル・ハルザーン・スヴァルナ。
またの名を、龍の子。
「いかがなさいますか、アンワル殿下」
後の聖君、その人である。




