第6話 図書館の男
昼下がり。
人々は戦時を忘れているのか、はたまた束の間の夢を見ているのか。皆幸せそうに歩いている。
「これで明日、謁見できますね」
「そう、ね……」
煮え切らない玉麟の反応に玄礼は首を傾げた。
「何か気になることでも?」
「図書館に行こうかな。あるでしょ。おっきいの」
「御座います。お供いたしましょう」
玉麟は調べ物がしたい。だというのに玄礼が目の前か横に座って動向を確認されたら気が散って仕方ない。遠慮したいんだけど。
「良いよ。一人で読むから。野営地で待ってて」
「お言葉ですが、現在西都は難民が多いため危険です。御身に何かあっては遅いのですから」
それを言われると何も言えない。玉麟は自害の手段は残されていても、身を守る術は無いのだ。反論できなくなった玉麟に、玄礼は付け加えた。
「私は居ないものとして扱って下さい」
「それは無理よ。二階建ての図書館だったよね。一階で待ってて」
「お供を」
調べ物は一人でしたいタイプなのである、玉麟は。業を煮やして玉麟は叫んだ。
「じゃあ二階から時々手を振るから!」
玄礼は視線を右にずらして腕を組んで指で叩いた。熟考している。はたして。
「……危険を感じたらすぐに叫んで下さい」
……良いんだ、それで。
西都の大図書館。
玉麟は二階で半年分の新聞を集め広げていた。
「これが最近の新聞かぁ……。村に一部来るかどうかだったもんねぇ」
新聞を保管する、という発想が村にはない。毎日来ることない。良くて数週間に一度。よしんば来たとしても、回して読み終えたら燃やすものだ。
「『国庫の支出を制限 内朝・承相のご決定。迫り来る情勢の中で、宮廷内の支出を制限することになった。殿下の身辺も整理するご意向である』、か……」
捲ってもめぼしいものはない。ここ数日間の新聞に目をやった。
「げ。『天命反転は美しい緑の炎で、皇太子はたいそうお喜び』……。二日前に『墨江の橋が落ちる』、『首都天京に各省長官集められる』?」
新聞に出てくる役職名に玉麟は眉をひそめながら手を止めた。
「良いわ。まずは中央政府の仕組みを覚えなくちゃ。皇帝の側近が内朝、名誉職が大博、全権が承相、各省があって、各省の下に長官、秘書官……軍官、市長、村長……」
玉麟は自慢げに笑った。
「これくらい余裕ね。仕事内容も覚えちゃいましょう」
しかし、自信に満ちた笑みはみるみるうちに顔が曇っていった。長官は各省を治め、行政を取り仕切る。しかし臨時的に司法も司ることもあり、しかしこの場合は……
一生「しかし」が続く文章。終わりなき受動態の書き方。突然きり替わる省庁の仕組みに、特定省のみ設置されている特定の仕事の特定の作業の特定の臨時のとくていの……‘№‥÷×⁉{%(:@………
「う、うぅ……」
頭から湯気が出そうだ。私もいつか官吏になりたかったけど、仕事内容を覚えられないなら無理かも。身体を伸ばしたところで、背後から声がかけられた。
「内朝は側近、承相は全権委任、大博は名誉職までは覚えられるんだよな」
ちらと玉麟は後ろを見る。全然気配を感じなかった。
「……貴方、だれ」
「そう警戒するな、聖女様。今日議事堂で話をしてただろ?俺はあそこの小姓なんだ。気になってつけてきた」
黒髪に悪戯っぽい、狐っぽい緑の目で朗々と精悍な顔つきで話す男は、どう見ても小姓には見えない。髪をまとめているだけ、格好がそれっぽいだけだ。当たり前のように隣に座った。
「確か……玉麟。合ってるか?」
玉麟は距離を取った。
「そうよ」
「俺は飛龍。で、何が分からないんだ」
押しが強い。玉麟は各省から下の仕組みを相談した。
「え、えーっと……ここが分からなくて」
飛龍に先ほど見つけた延々と続く省庁の例外的な処理を見せた。が、彼は鼻で笑う。
「あぁ。各省の仕組みだけ覚えておけばいい。皇帝も詳しいことは知らんかもしれんからな」
「適当な人ね」
「働いていくうちに覚えるさ。だから目の前にある仕事をすればいい」
慣れというやつかしら。玉麟は声を潜めながら問うた。
「皇太子様は覚えるのでしょう」
「あぁ。三代前まで覚えてるってよ。お前の出身は翠朧だったな。それなら先々代の昂澤を知ってるだろう。直接世話になったことはないが、尊敬しているらしい」
「あぁ。翠朧の村に学校を作った人。五十年くらい前に就任してた長官」
昂澤という長官は、中央から見れば大したことがない男だ。淡々と仕事をこなし、期間中に学校を作っただけ。
だが、それは村にとっては革新だった。言葉と数が分かるだけで村同士の交流はより活発になったし、官吏を目指すのも以前に比べて難しくなくなった。叶わない夢から、手の届く夢へと変わった。
「さてな。それくらいしか話したことがない」
飛龍は足を組んで苦々しい顔しながら玉麟の官吏の本を捲っていた。椅子を引いて立ち上がる。
「ありがと、帰るわ。調べ物は捗らなかったけど、良い話が聞けたことだし」
「待ってくれ。何の為に俺が聖女様を追いかけてきたと思ってる?奇跡が見たいんだ」
玉麟は眉間に皺を寄せた。いきなり手品って、そんなすぐに出せるものではない。手元には硬貨と筆がある。
「……良い?よく見ててね」
ぱっ、と右手で筆を消して、するりと左手から硬貨を生み出す。村に来た曲芸師から教えてもらった手品だ。飛龍はくすくすと笑った。
「なぁ玉麟、それは手品だろう?」
「聖女は人間なのですから、奇跡を行使することはありません。我が父の思し召しがあるだけです」
畏まった玉麟の物言いがツボにはまったのか、飛龍は大きく笑う。
「ハハッ!わかったわかった!もう言わないよ!」
「うるさい。ここ図書館よ」
悪い悪い、と飛龍は笑い続けている。何が面白いか分からないし、全然悪いと思ってない。
「こっちの国じゃ、聖女伝説は乱世を救っておしまいだが、向こうの国だと聖女が結婚して男児を産み、そいつが魔を倒して迦迪爾を建国したって話だ」
「あ、なんか……。迦迪爾の王太子は天龍の子だって」
「噂じゃある日宮殿に光が落ちてきて、お妃様が妊娠したんだとよ」
飛龍は道理に詳しい。のは良いのだが、最初の挨拶がないのが不思議だ。
「へぇ。あなた、いろいろ詳しいのね。挨拶がないのが気になるけど。皇帝の前でもそんなんじゃ、礼儀を重んじるこの国じゃ一発打ち首よ」
「声かけなかったのは悪かったよ。挨拶は大事だが、頭を地に伏せたり、手を合わせるとかってそんな大事なものか?それで相手の徳が分かるのかって、俺は思うけどな」
……まぁ、確かに。それを言われると玉麟も反論できない。
「一皮剥けばどんな人間も同じだ。まぁ、そうとも言い切れない奴もいるが……承相の欧陽とかな」
のんびりしていた飛龍は掛け時計を見て跳ね上がった。
「おっと。そろそろ本気で叱られる時間だ。オレは帰るよ。話せて良かった。明日会えるのを楽しみにしてる」
本気で叱られる時間?じゃあ今までのは普通に叱られる時間だったってことかしら。玉麟は走り去る飛龍に小さく手を振る。
「え、あ、あぁ……じゃあね?」
議事堂に勤めているとは思えないほど、忙しなくて怠け者な侍従だ。玉麟は新聞を纏め、元の場所に片付けた。一階にいた玄礼へ声をかける。
「お待たせ」
「めぼしいものは見つかりましたか?」
「そうね。面白い話が聞けたわ」
外はもう真っ暗だ。野営地の焚き火の煙が、夜空に上がっている。雑談に玉麟は言葉を零した。
「ねぇ、玄礼。朝こっちをみてた人って、どんな人だったか覚えてる?」
「……あ」
玄礼にしては珍しく間抜けな声を出した。止まった。
「え?」
「亜麻色の髪の男でした。金の目をしていたと思います」
亜麻色の髪の、男。それも、金色の目。皇太子がこっちを見てたってこと?玄礼も首を傾げる。
「玉麟様、これは一体どういうことでしょうか」
分からない。どれもこれも、決定的な事実が欠けている。情報は足りているのに、決め手にかけている。玉麟は玄礼を見上げて言った。
「とにかく明日議事堂に行ってみましょう。そこで皇太子様にお会いするしかないわ」




