第3話 大河
煙る雨に、馬車が揺れる。畑が一面に続いていた。玉麟は肌寒く身体をさすっていると、玄礼は羽織を着せた。
「ありがとう」
「御身が体調を崩すことは良くありませんから」
玄礼は温かいお茶を出した。手際良いのね、この人。
玉麟の故郷、麓村が所属する翠朧省は、二番目に広い省だ。西の果ての鎮西省とは墨江という大河を境にしている。
お父さんとお母さんは、ここを通れたのかな。
雨音を聞きながら、足をぷらぷらさせつつ玉麟は問う。
「私が聖女だってことは、玄礼しか知らないの?」
「はい。ここにいる者と私だけです」
「もっといろんな人に知ってもらわないとね。聖女が来たって聞けば、皆も立ち上がってくれるかも」
「そうでしょうとも」
玄礼は俄に笑った。笑顔なんて初めて見た。刹那、馬車が止まる。玄礼は天龍の意匠があしらわれた太極剣に手をかけた。
「暫しお待ちを」
話声と身動ぎする馬車に、水面が揺らぐお茶。残っていたそれを一気に飲み干して、フードを被って外に出た。
「何事ですか、玄礼」
馬車の周りには手勢、その前に玄礼、奥には五人ほどの迦迪爾兵士が立っている。
そのさらに奥には、濁流の川。
玉麟の問いに答えることなく、玄礼は剣を抜いて兵士に向き合った。
「何故止める」
「何故、だと?ここはもう俺らの領土だからだよ。敵国の連中を止めるのは普通のことだろ?」
「我々は西都に行きたいだけだ。こちらには聖女、玉麟様もいる」
玄礼の言葉に兵士達は嘲りだした。
「聖女ねぇ。天龍様の娘だかなんだか知らないが、こっちの王太子様も天龍の御子だ。偽物なんじゃないか?」
「痴れたことを。先の麓村の件、『天命反転』を知らぬものはおらぬだろう。私もその目撃者だ」
振りしきる雨の中、玉麟の思考が一瞬停止する。なんかそんな大それたことしたっけ。……あれなのかな。あの、村で花火したやつ?もうそんな風に呼ばれてるの!?
「報告は受けている。が、その女が、『天命反転』を?」
兵士達は密かに眉をひそめた。
「天龍様は天地を行き交い生死を運ぶ。それが行えなくなるほどの乱世の時に聖女を遣わすというが」
「罰当たりも大概にしろよ、ウスノロ野郎が」
彼らの嘲りに、玄礼は深々とため息をついた。
「同じ神を信じているというのにこうも分かり合えぬとは。再度問おう。通すつもりはないのだな?」
「そうだって言ってんだろ」
まるでその言葉を待っていたかのように、剣を慣れた手つきで柄を回して、顔横に構えた。
「では。──推して参る」
言い終わるや否や、先ほどまで笑っていた兵士の首が飛んだ。血を払うついでにもう一人。震えながら剣を持つ兵士が叫ぶ。
「お前、『南部の玄礼』か!」
「南部の……?あ!」
龍門堂 玄礼に大軍を動かす軍才は無い。であれば、少隊であればどうか。
玉麟は忘れていた。玄礼は武勇に優れている。南部で彼の右に出る者はいない。周りを守備していた自軍の兵士達は玉麟へと告げる。
「相変わらず強いよな」
「聖女様、安心して下さいよ。玄礼様は一騎当千とまでは行かずとも、一騎当百くらいは行きますぜ」
「だから俺達は呑気にしてたんだよなぁ」
まるで踊るように。虫を払うように。太極剣は直角を描き、容赦なく首や手足を落としていく。返り血一つない、涼しい横顔。
「聖女様。あの方は十くらいの頃に長官のとこに出仕して来たんですぜ」
目の前で起こる惨劇から視線を反らしたいのか、はたまた感覚が麻痺しているのか。兵士は変わらぬ声音で言った。
「そんなに子供の頃から?」
「あの頃の玄礼様は今よりもーっと分かりにくくて、長官の劉先菊子様も、たいそう苦労なされて──」
「お前達。聖女様に余計な話を聞かせるな」
何人かは腰を抜かしてそのまま逃げて行った。玄礼は玉麟の前を白布で覆う。
「この布は?」
「聖女様に死体を見せるわけにはいきません」
玉麟は視線を動かした。それは違う。玄礼の血が通った、血行の良い手。私の代わりに、その手で下した。それなら……そんな都合の良いところばかり見ることが、聖女なのだろうか。
「違うわ玄礼、下ろして」
玄礼はじっと玉麟を見つめる。彼の感情が少し分かってきた。こういう時は、『なぜ?』の意味だ。
「祈らなくちゃ。志は違えど、信じた神は同じだったんだから。みんな手を止めて。祈るわ。貴方達に強いるつもりは無いけれど、同じ気持ちなら祈って欲しいの」
玄礼は何も言わず布を下ろした。草むらに集められた首無し兵士を見て、玉麟は戻しそうになるのを必死にこらえた。みんな、目を見開いて死んでいる。
祈らなければ。あぁでも、真面目に天龍教の教え知らないから、わかんないや。お祈りをするのなら伯言と早駆けをしたかった。
写経をするのなら、女友達がぬいぐるみを作るのを見ていたかった。可愛い服を着せた猫のぬいぐるみを作ってくれたあの子は、無事に逃げられたのかな。
「ぅ、うぅ……ひっく……」
いつの間にか、頬に涙が伝っていた。祈りの言葉なんて出てこない。来るわけない。死体なんて初めて見たし、志が同じなんて綺麗事でしかない。
「涙を流しておられる……」
「なんと慈悲深き……」
「……玉麟様」
乖離した感想の中で、玉麟は持っていた数珠を鳴らした。
「……どうか、この者達に天龍様の救いを。信ずるものが無い者には、不在の神による救いを」
今度生まれるのなら、乱世ではなく太平の世を。私や玄礼に憎まれることなく、明日を夢見る平穏な日を。
「玉麟様。立てますか」
「あ……ごめんなさい、長かったわね。行きましょう」
そう顔を上げた先には、濁流。橋は落とされ対岸までは二十mはあるだろうか。
「墨江を迂回した方が良さそうですね」
玄礼は来た道を戻ろうとするが、彼女はそれを制した。
「それはダメよ。無理なんじゃないかしら」
玉麟は顎を撫でながら続ける。
「あいつらがここまで来たってことは、鎮西省に入る道を全て潰した可能性がある。この川以外で西都に行こうとすれば、間違いなく軍と鉢合わせるわ」
彼女は辺りを見回した。
「墨江には橋もあるけど船も使うの。もともと流れが速いから渡し船にも縄を使うんだけど……」
「船は流されておりますが」
「掛け縄さえあれば……あった!」
玉麟の視線の先には、対岸に船を渡すための縄がV字で三本かけられていた。もしかしてさっきの兵士は、この縄で船を渡す予定だったのかな。
「あれを渡るわ」
「この雨の中で、ですか」
「私が先に渡る。たぶん、ある筈だから」
玉麟は兵士が来た道を探り始めた。読み通り、葦の中に船が隠されていた。先端に縄をかける部位がある船だ。
「やっぱりあった。先の丸いくぼみがあるでしょう。舟の中に置いてある縄を使って、渡し用の縄にくくれば対岸に渡れるわ」
玄礼は表情を変えない。
「私が縄を伝って向こう側に行くってこと」
「危険です」
「心配しないでよ。農家出身なのよ。綱渡りくらい大したことないわ」
眉を顰めた玄礼の言いたいことを補うように、兵士達は口々に話す。
「いやいや、聖女様をここで失うわけにはいかねぇよ」
「あのタイプの船渡しは、留め具を両岸にあるレバーで動かすだろ。誰か渡らなくて良いんじゃねぇか?」
誰か見てこい、と兵士の一人が言うと、滑りやすい岩を慎重に登る。首を横に振った。
「ありゃ西都側で取られてんよ」
「全部か?」
「全部だな」
兵士の言葉を聞いて、玉麟は玄礼を見つめ返した。制される言葉もないのなら私が行くべきだ。
「向こうに渡って留め具をつけるから、貴方達はここで待ってて」
「私が行きます」
玄礼は一切引かない。というか少し殺気地味ている。玉麟はたじろいだ。
「……じゃあ、私は最後に渡る」
玄礼はまだ何か言いたそうだが、譲らない玉麟に折れた。縄はV字に張られている。玄礼は岩の上に登ると、両側にある二本に軽く手を添えて渡り出す。
「大丈夫かな」
「俺は聖女様のほうが心配だぜ」
「こんな濁流を渡るなんて言い出してな」
「これくらい大したことないわ。もっと高い岩を飛び越えたりしたのよ。木登りも得意だったし」
ちゃりん。玉麟の訴えは、留め具が手元に来たことによって遮られた。兵士達は船に縄をかける。
「聖女様、やっぱり先に乗ったほうが……」
正直、先に乗りたい。この濁流した河、上流には確か製材所があったはず。流されて来ないとは言い切れない。けど。
「いいえ。貴方達が先に乗りなさい」
皇太子を戴冠させるには玉麟が必要だ。王朝に正統性を持たせるために。だが戦力的には玄礼のほうがこの国には必要なのである。
「私は天龍の娘。綱を渡るなど、我が父の背で遊ぶことと同じです。心配いらないわ」
縄は完全に括った。こわい。張り付けた笑みを浮かべる。私も、兵士も流されたらどうしよう。岸から河に押し出して、玄礼はレバーを引いた。
濁流に飲み込まれながら、船は河を渡っていく。一巡目は成功だ。二巡目が終われば、最後の三巡目で玉麟だけが渡る。
対岸の玄礼の顔を見ると、俄に顔を顰めている。玉麟も同じようにレバーを握ると、理由が分かった。
「軽い……」
レバーにかかる力が弱い。河の真ん中で、船をくくった縄が千切れそうになっている。
「玄礼!止めて!」
言うや早いが、玉麟は縄の上を駆け出した。何回か滑り落ちそうになりながら、留め具まで手を伸ばす。
「確かこの留め具、巻くようにしてもう一回括り付ければ……!」
「玉麟様!」
玄礼の視線の先を見ると、濁流に紛れて土砂が流れてくるのが見える。うそでしょ。
「縄はくくった!レバーを回して!」
レバーは回る。兵士達を乗せた船は対岸に向かう。
だがしかし、危険というものは常に油断した瞬間に起きるものだ。
このまま渡れば良い。
刹那、強風が吹いた。風で煽られた玉麟の身体が、よろめいて。ぐるんと視界が、天地が反転した。入れ替わった。頭から河に突っ込んでいる。
前髪が、大河についた。
明日から17時投稿です〜。




