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ローブの旅人

 秋口の太陽の動きは早い。

 つい先程まで、西陽が射していたというのに、屋敷の敷地から出ようとした時には太陽は沈んでいた。

 屋敷の外には男爵領領主直轄の町がある。ある程度は建物が密集していたが、外は誰も歩いていない。アルブレヒトも、人間だった時には暗くなってから外には出なかった。灯りのない道を出歩こうとする輩なんて、そうそういない。今のアルブレヒトにはそれがありがたかった。

 いくつかの建物の窓から漏れていた灯りも、ひとつ、またひとつと消えていく。薪も蝋燭も安くはない。夜会でも開かれない限り、男爵家の屋敷でさえ灯りで満ちることはなかった。

 2階建の建物に挟まれた道を歩いていく。つい昨日までは何も見えない道だったが、今は夜目がきく。これも骨になった影響なのだろうか。

 アルブレヒトは振り返った。ファンケルバルト男爵の屋敷が暗がりにうっすらと見える。

 今頃、父上とグレアムとマルタは、食事を終えてそれぞれの寝室に戻った頃だろうか。けれど、あの3人が普段どんなふうに夜を過ごしているのか、アルブレヒトは知らない。

 もう少し、家族と話ができていたなら——。

 いや、やめよう。きっともう、家族として会話することなんてないんだ——。

「急がないとな……」

 小さな声で言って、振り返った。駆け足で進んでいく。


 ほんの少し歩いて壁に突き当たった。ファンケルバルト男爵領の町は小さい。だが、町の外周は壁で囲われていた。壁と言っても、木柵と呼んでも違いはなさそうなそれだが、あるだけマシだろう。王国の辺境にある田舎領地の、貧乏貴族なのだ。町に木柵があるだけでも、まだいい方なのだろう。実際、ファンケルバルト領の他の村々には木柵も石壁もなかった。

 壁際に沿って歩いていく。どこかに穴が空いている場所があるはずだ。もう古くなっているこの木柵の補修が間に合っているとは思えない。

 そう思いながら歩いていると、あった。木柵の土台が腐り、屈めば通れそうな穴が空いている。

 アルブレヒトはそっとしゃがみ込んでそこを潜っていった。

 町の外に出る。

 目の前には黒々とした木々が並んでいた。森だ。幼い頃から使用人たちに言い聞かされていた。

「町から出ても、森に入ってはなりませんよ」

 魔獣が出ると言われる森。父も、領民や町民からの要請に応じて討伐に出ていた。場合によっては魔獣討伐を生業とする冒険者に依頼して討伐してもらっていたりした。

 森に入っていく僕の姿を見たら、なんと言われるだろうか。

 何も言われないだろうな——。

 屋敷で、こちらを見ても何も声をかけてこなかった使用人たちの姿が脳裏をよぎる。いや、もしかすると、彼らは僕の姿など見てすらいなかったのかもしれない。

 アルブレヒトは足を一歩出して前に進んだ。

 木々の間の暗がりを横目に木柵に沿って歩いていく。少し歩けば正門の前に出る。正門、と言っても木柵を紐で括っただけの簡単な扉だ。門と呼ぶのも烏滸がましいそれを背に、アルブレヒトは街道を歩き始めた。


 ほのかに赤い光が山の向こうから上がってくるのが見える。

 夜が明けようとしている。

 暗い中、アルブレヒトはずっと歩き続けた。整備された街道の道中だったからか、そこに魔獣も盗賊も出てこなかった。眠気はない。疲れもない。夜通し歩き続けた感覚もない。

 山の向こうの赤い光が強まり、空が明るくなっていく。

 遠くにいくつかの建物が見える。村だ。

 屋敷で見た男爵領の地図だと、確かここはセルレンと呼ばれる村だったはずだ。街道に沿うように密集して家が建っている。

 村に近づくにつれて太陽が昇っていく。村の複数の建物から煙が上り始めた。

 人がいる。

 アルブレヒトは手袋を見た。

 何か分かるだろうか。この体のこと。

 もしかしたら、医者とか——いや、これは召喚術の結果だから、医者に診てもらうものではないか。魔術師か、あるいは教会の聖職者か。

 何か、この体のことを知ってる人でもいい。紹介してくれるなら——、まだ召喚術を使う前に戻れるだろうか。

 アルブレヒトは村に目を向けた。


 セルレン村——朝はいつもと同じように始まる。

 村の一軒家で、一人の女が目を覚ます。

 女には息子と娘がいる。夫もいる。朝の支度が済んだら、子どもたちを連れて畑に行かなければならない。

 夫も朝食を終えたら、今日の仕事に行くのだろう。午前中は鍛冶場に顔を出して、午後は狩りに出ると言っていた。

 狩人なんて不安定な仕事はもう辞めて、農民をして欲しいと言っているのに、狩人を続けている旦那だ。

「全く……もう……」

 小さな声でそう呟きながらベッドからそろりそろりと出た。子どもたちには早く起きてほしいけれど、こんなに早く起きられると困る。朝食の準備が終わるまでの間くらいは寝ていてもらわないと。

 温かかった布団の外はひんやりとした空気だった。冬が来ようとしている。

 寝起きの重たい目を擦りながらかまどの横に置いてある桶を手に取った。

 家族を起こさないように玄関の扉をそっと開いた。

 外の冷気が室内に一気に入り込む。外はもう寒い。思わず吐き出した息が白く霞む。「朝は寒いわ」と呟きながら、分厚い外套を取り上げて羽織った。

 両手を擦り合わせながら桶を抱えて、共用井戸に近づいていく。

「おはよう」

「おはようございます」

「おはよぉ」

 共用井戸の周囲には近所の女性陣が揃っていて、みんなが白い息を吐き出した。誰もが重ね着をして、その上に分厚い外套を羽織っている。挨拶を交わしながら水を汲んでいる。

 変わらない朝だった。

「だいぶ寒くなってきたわね」

「冬が近くなってきたわ」

「もう水が冷たくって……いやだわ……」

 そんな会話をしているとまた別の女性が桶を片手に出てくる。その女性にも挨拶をして、先ほど交わしたのと同じような言葉を交わす。

 寒いのは嫌で、早く暖かい所に行きたいと思いながら、しばらくの時間を共用井戸を囲んで過ごした。

 誰もが子どもたちと畑仕事をしながら生活をしている。誰もがほとんど同じような生活をしているのだ。

 そんな時、ふと顔を上げて村の入り口の方を見た。

「あれ……?誰だろ……」

 村の入り口の方に誰か立っている。多分、男の人だ。黒い外套に身を包んでいるから性別が分からない。フードをかぶっているから顔もよく見えない。

「ねぇ、あれ……」

 井戸水を汲み終え、談笑に興じていた私は同じく隣で談笑していた女性の腕を引っ張った。

「ん?どうしたの?」

 言いながら、彼女は私の目線の先を追ったようだ。「誰かしら?」と呟いた。

「寒くないのかしら?」

 隣の女性が言った。彼女の口元から、白い息がこぼれている。それを見て、黒い外套の人に目を向けた。言われてみれば、確かに外套にしては薄着に見えた。それに、その人の口元からは、白い息が出ていなかった。


 アルブレヒトは村の入り口から村を見ていた。村の中央にある井戸の周りで村人の女性たちが談笑していた。

 大丈夫だ。たぶん。……本当に?

 自分が履いている靴と服を見下ろす。手袋と外套を確かめ、最後に仮面へ触れた。

 うん、大丈夫だ。骨は出ていない。

 フードを深く被り直して、一歩を踏み出した。

 井戸端の女性たちがアルブレヒトをじっと見ている。

「あなた……」

 アルブレヒトが近寄ると、一人の女性が声をかけてきた。

 立ち止まり、そちらに顔を向ける。

「旅をしておりまして」

 アルブレヒトは背中にかけた魔法袋を持ち上げながら声を上げた。心の中では笑顔で声をかけたつもりだが、仮面の中の表情は変わらない。しかも、どうせ仮面をつけているのだ。仮に笑顔になったとしてその表情を見てもらえるわけがない。心なしか、自分の声がいつもよりも乾いているように感じた。

「旅のお方だったのね」

 女性たちは安心したように力を抜いた。

「でも、お一人? 剣もお持ちでないみたいだし」

「ちょうど壊れたところだったのですよ。新しい剣がないかとも思って、立ち寄らせていただきました」

 息をするように嘘が出る。剣なんて、持っていなかった。

「あら」

 女性たちの中の一人が声を上げた。

「なら、私の旦那についていくといいわ。午前中に鍛冶場に顔を出すっていってたから、剣もあると思うわ」

 微笑みながら言う彼女に小さく「ありがとう」と伝えた。

「なら、少しの間、あたりを回ってから戻ってくるとします」

 アルブレヒトは言って、歩き去ろうと二、三歩進んでから一度止まった。

「そう、それと……」

 女性たちの視線が、再びアルブレヒトに集まった。

「この村に、魔術師の方やお知り合いに魔術師がいる方はいらっしゃいますか?」

 もしいるなら聞いてみたい。この体のこと。召喚したアザリエルのこと。もしかしたら、間違った召喚だったかもしれないのだ。

「さぁ……」

 女性たちは困ったように顔を見合わせる。ハズレかな?と思った時、旦那を紹介してくれた女性が、声を上げた。

「村の薬師のお婆さんが、少し魔術を使えると聞いたことがあるけれど……」

 薬師。薬を作るには薬草の知識が必要だ。だが、その薬草を取るまでに魔術が必要な瞬間がある。それに、調合の際に魔力を注ぐと薬の効果が高まるらしい。それで薬師に魔術が使える者が多いと聞く。

「ありがとう。では、その方のところへ案内していただけますか?」

 アルブレヒトはその女性の前に立った。

「えぇ、少しだけ待っていただけるかしら?」

 言いながら、女性は水の入った桶を持ち上げた。


 案内されたのは村の外れにある一軒の小屋だった。

 女は小屋の前で立ち止まって「ちょっと待っててね」と言い、扉をノックする。

「マチルダお婆さん、いる〜?」

 そう女が声をかけると、小屋の中から物音がした。誰かがいるようだ。

 少しして、扉が開いた。

「どうしたんだい、こんな朝早くに。あんたの大きな子どもが熱でも出したのかい?」

 しゃがれた声の老婆がからかうように笑いながら出てきた。背は低く、腰は曲がり、片手で杖をついている。マチルダと呼ばれた老婆はアルブレヒトを案内した女を見た後、後ろに立つアルブレヒトに目をやった。

 マチルダの目が細くなった。外套や着ている服の内側、その奥にある何かを探るような目だった。ないはずの心臓がドクンドクンと動くのを感じる。マチルダが「ほぅ……」と声を出して女に目をやった。

「旅のお方かい?」

 聞かれた女が頷く。

「魔術に詳しい方はいないかと尋ねたところ、あなたを紹介していただきまして」

 アルブレヒトが声を上げた。マチルダと女がアルブレヒトを見る。マチルダがアルブレヒトを品定めするように見た後に「入りな」と言った。

「夫と子どもたちの朝食の準備があるから、私はこれで」

 アルブレヒトをここに案内してくれた女性は、帰ろうとする。

「終わったらうちに来て。鍛冶場に案内するから」

 彼女がそう言うと、マチルダが「鍛冶場にはあたしが連れていくさね」と言った。そしてアルブレヒトを小屋に招き入れた。

 小屋に入ると、すぐ土間になっていた。壁際に流し台やかまどがあり、中央にはダイニングテーブルと椅子がある。マチルダに示されるまま、椅子に座った。

「朝食を終えたところさね。食後のお茶に付き合ってもらうよ」

 言いながら、マチルダは二杯のコップを用意し、一つをアルブレヒトの前に置いた。

 アルブレヒトはコップを見る。中身を疑っているわけではない。が、飲めない。仮面を外すことはできないのだ。コップを持つのも怖い。骨とコップがぶつかり合って、乾いた音を鳴らしたらどうしよう。

「それで、どうしたんだい?」

「実は、召喚術を使って、召喚には成功したものの、体に酷い怪我を負ってしまって」

 言うと、マチルダがアルブレヒトの顔——仮面を見据えた。

「なるほどねぇ」

 マチルダが言いながら、手袋に目を移す。

「治す方法がないかを調べておりまして」

 アルブレヒトが言うと、マチルダは「ふむ……」と言いつつお茶を飲んだ。少しの沈黙。アルブレヒトは目の前に置かれたコップに目をやった。

 井戸端で女性たちに声をかけられた時もそうだった。ここでお茶を出してもらえることも、久しぶりに人として扱ってもらったようで、胸が詰まる。けれどいまのアルブレヒトには、それに応える力がなかった。

「それじゃあ、体がどうなってるかを見せてもらえるかね?」

 マチルダに言われて、顔を上げた。マチルダと目が合う。マチルダは鋭い視線をアルブレヒトに向けていた。

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