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白骨の目覚め

 真っ暗な中で、声が聞こえた。

「あなたの願いに応えましょう。あなたの魂と、私が持ってきた魂と」

 妖艶な女の声。初めて聞く声。その声はエコーがかって聞こえる。

 水の中か?

 昴は目を開けた。痛みはない。息苦しさもない。水中のように、抵抗も感じない。なら、水の中ではないのかもしれない。いや、ベッドの上……ではない。寝転んでいる感覚はない。

 ここは俺の部屋……じゃない。真っ暗だ。まだ目を閉じているのか? そんなことはない。目を開けている感覚はある。

 また女の声が響いた。

「散りて」

 瞬間、体が押し潰されるような痛みに襲われた。ぐはっ……と喉が震える。が、声は出ない。出せなかった。

「千切れて」

 また痛み。今度は全身がちぎられているような痛み。気を失いそうになる中で、気を失うことができなかった。

「集いて」

 今度はばらばらにちぎれた全身をどこかへ引きずられる感覚だった。そう表現すればいいのだろうか。幾千にも分かたれた体の一片一片が痛みだけを感じている。体の外側と内側の無数の傷口ごと引きずられていく痛み。

 声は出せないし、気も失わない。

「合わさりて」

 そしてまた圧縮される痛み。どこまでも終わりなく押し潰されるような感覚に襲われた。

 昴の意識は、そこで途切れた。


「目覚めなさい」

 耳元でアザリエルの囁き声が聞こえてアルブレヒトは目を開けた。アルブレヒトの最後の意識は床に座り込んでアザリエルを見上げているところだった。が、今はうつ伏せで横になっているらしい。体の感覚でそうわかる。この部屋をあてがわれた当初は柔らかかったこの絨毯も、もうくたびれてしまっていた。ざらざらとした毛先を感じながら、アルブレヒトはふと気づいた。

 俺の部屋に、絨毯なんかあったか? 固いフローリングの上にまばらに落ちている抜け毛と、どこからやってきたのかわからない埃たち。ベッドと机と椅子とが所狭しと置かれ、部屋で横になれるスペースなんてベッドの上くらいしかない。それが俺の部屋だ。

 そして、飯を食いに階段を下りようとして……。

 いや違う。

 食事はいつもこの部屋に運ばれてくる。僕は自分の部屋で食事をする。階段を降りることはない。それに、床で横になれるスペースがないなんてありえない。いくら不遇にされているとはいえ、僕は物置で生活させられているわけではない。

 僕は昴と呼ばれる人間ではない。アルブレヒト・フォン・ファンケルバルトだ!

 いや、今そんなことはどうでもいい。召喚術で召喚したアザリエルはどうなった?

 アザリエルの気配は消えていた。部屋一面に広がっていた陣ももうない。時刻はわからないが、夕方だろう。部屋には西陽が差し込んでいた。

 立ち上がろうと腕を上げた。瞬間に、飛び上がる。

 目の前に出てきた腕に、肉がついていなかった。

 アザリエルの横に立っていた骨を思い出す。

「うわぁぁぁあ」

 叫び声が出た。アルブレヒトの声ではなかった。もっと低く、ざらついた男の声。自分が叫んだはずなのに、他の人間の声のように聞こえた。

 部屋に置いてある姿見に目をやると、自分の姿が映っていた。全身が白骨になり、着ていた服はぶかぶかだった。

 自分の顔に触れる。頭蓋骨のざらざらした感触しかなかった。

 アザリエルが言っていた言葉が頭の中で繰り返される。

「代償は、払わなければならない」

「どうして……」

 アルブレヒトの口から小さく声が出る。

 これじゃ、父から認めてもらえない。誰からも愛してもらえない。

 部屋の外で足音が聞こえてきた。この部屋に向かってくるようだ。アルブレヒトが窓の外に目をやる。西陽が眩しい。きっと、夕飯だと使用人の誰かが持ってきたのだろう。

 この姿を、誰かに見られるわけにはいかない。

 アルブレヒトは力無く立ち上がり、ベッドに転がって布団にくるまった。

 その直後、ノックが三度ーー。

「坊っちゃま、夕食です」

 声が聞こえ、一拍置いてから扉が開かれる。いつもと変わらない日常。ワゴンが動く音が聞こえる。ワゴンの上に夕食が載せられている。

「坊っちゃま、お布団の中ですか?」

 使用人がベッドに向かって声をかけてくるのがわかる。

「いるよ」

 アルブレヒトが返事をすると、使用人が立ち止まるのが分かる。

「風邪を引いたみたいなんだ。大丈夫だよ。食事はそこに置いておいて」

 冷静に、変に思われないように、気をつけて、アルブレヒトが言うと「左様でございましたか」と使用人が言う。

「お大事になさってください」

 言いながら、使用人は部屋から出て行った。

 布団にくるまっていても、部屋の中の様子が分かる。まるで暗視カメラで見ているように、部屋の中の様子を感じる。だからさっきの使用人が、風邪を引いたと聞いて顔を顰めたのも分かったし、左様でございましたかと言う直前に手で口元を覆ったのも分かった。部屋を出ていく直前に、ベッドの上の膨らみを睨みつけたのも知っている。

 暗視カメラ……?

 アルブレヒトはそれを知らない。それでも、今のアルブレヒトにはそれがどんなもので、何をするためのものなのかが分かる。目覚めた瞬間から、知らない景色や体験が自分のもののように流れ込んでいたことを思い出す。

 なんだろう。でも、分かる……。なんとなくだけれど……。いや、それより今はーー。

「これじゃ、意味がないじゃないか……」

 布団の中で、アルブレヒトは呟いた。

 アルブレヒトが欲しかったのは、ファンケルバルト家を継ぐために必要な資質だった。父に認めてもらいたくて、3歳で火属性魔法を発動させたグレアムのように、抱きしめられたくて、召喚術を使ったというのに。

 こんな姿じゃ、父は抱きしめてくれない。よくて僕を地下牢に閉じ込めるだろう。悪ければ、魔物として討伐されるだけだ。

 この世のものとは思えない智恵と誰もが羨む魔力を与えるとアザリエルは言った。が、こんな姿になってそれを手に入れたとして、父の跡は継げないのだ。死霊の魔物ーーリッチなんかを、誰が領主に据えるというのだ。

 父から認めてもらう道、父に愛される道、もう一度、家族の笑顔の中に戻る道は、途切れてしまったのだ。

 悲しい事実にもう一つ気づいてしまった。

 この身体は、悲しいと思っても涙は流れないのだ。


 使用人がアルブレヒトの自室から離れていき、静かになった。

 もう一度、部屋の中の様子が分からないかと意識を集中させる。

 視えた。また暗視カメラで映されているように、部屋の中の様子が分かる。

 昔読んだ魔術の本に書かれていた。高位の魔術師になると、目が閉じていても魔力の流れで周囲が”視える”のだ、と。これはそういった類の力なのかもしれない。

 高位の魔術師? 僕が? いや、今はいい。ここから出て行かないとーー。

 アルブレヒトは意識を集中させる。今は自室だけが見えている。が、これが魔力の流れを見ているのだとしたら、屋敷の中全体が見えるはずだ。集中して、意識を屋敷全体に持っていくと、視えた。使用人は厨房とダイニングとに集まっている。使用人の休憩室でも数名の使用人が長椅子上で横になっていた。

 厨房では料理人役の使用人が食事の準備をしているし、ダイニングでは二人の使用人が壁際で給仕の待機をしている。

 そうか。家族そろって食事をしているのですね……。

 ダイニングに置かれているテーブルでは、父のブレヒトとグレアム、グレアムの母のマルタが3人で食事をしていた。マルタはアルブレヒトの母が亡くなってから正妻として扱われるようになった女だ。だからだろうか。彼女だけはどこか気まずそうに見えた。

 その3人で、食事をしているのですね。

 アルブレヒトの食事は自室にワゴンで運ばれてくる。食べて、置いておくと、忘れた頃にワゴンを回収しに使用人がやってくる。

 私もあの席に座れたはずなのに。

 泣きはしない。涙は出ないから。それでも、悲しかった。

 アルブレヒトは視るのをやめた。いま、アルブレヒトの部屋から裏口までの間には使用人はいなかった。今なら、屋敷から出られる。


 ベッドから起き上がった。扉のそばに置かれているワゴンを見ると、食事が置いてあり、湯気が出ている。昨日までなら美味しそうだと思ったそれを見ても、食欲は湧かなかった。

 ワゴンから目を逸らしてクローゼットの前まで歩いていき、クローゼットを開いた。今着ている服よりももう少し小さい服に着替え、ブーツも履いた。

 鏡を見て、白い骨が隠れていることを確認する。

 あとは手袋と、顔さえ隠せればいい。

 クローゼットの中から外套を取り出してフードをかぶる。

 うん、これで頭は隠せる。顔はーー。

 アルブレヒトはクローゼットの奥に手を伸ばした。固いものに骨の指先が当たる。それを掴んで取り出した。

 灰色の仮面。特に力もない仮面だった。不格好な仮面。おどろおどろしい模様を書こうとする努力が伝わる仮面。人前に出るために着けるのは憚られるが、顔や表情を隠すためなら最適だった。夜会で婦人がつけるような、目元を隠すだけのものではなく、顔全体を隠すもの。昔、領地内の祭りに参加したいと駄々を捏ね、使用人と一緒に作ったものだった。

「仮装する習わしのお祭りですから、これで坊っちゃまだと知られることもないですし、歓迎されますよ」

 そのときの使用人はそう言ってアルブレヒトに笑いかけた。あの時は、幸せだった。その時に一緒に作った仮面を、アルブレヒトは捨てることができなかった。

 仮面をつけて、もう一度鏡を見た。うん。ちゃんと隠れてる。

 最後に手袋をつけた。大丈夫だ。これで自分が、白骨だとは誰にも分からない。

 クローゼットから魔法袋を取り出して適当にクローゼットの中のものを入れた。そしてすぐに取り出した。男爵家のものを身につけていることがわかると、アルブレヒトだと知られてしまう。それは避けた方がいい。そんな気がした。

 代わりに少しの本と、引き出しの中に入れていたお金を取り出して魔法袋に入れた。小さめなボディバッグほどのサイズの魔法袋を背にかける。

 扉を背にして立ち、部屋の中を見回す。この部屋を見るのは、最後になるから。

 もう一度意識を集中させて、屋敷の中に意識を回す。さっきと使用人たちの配置は変わっていなかった。父たちもまだダイニングにいる。

 うん。それでいい。


 アルブレヒトは部屋を出た。

 この日、ファンケルバルト男爵家から嫡男が消えた。

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