骨と薬師
マチルダがアルブレヒトの仮面を見つめていた。
「体、ですか……」
「見ないことには、治せるかどうか分かりゃしないさね」
マチルダがお茶を一杯飲んだ。
「……そう、ですが」
体は見せたくない。骨しかないこの体を見せたとして、魔獣が出たと騒がれるのは目に見えている。
「体は傷だらけなのかい? それともやけど跡が残ってるのかい?」
マチルダはしゃがれた優しげな声で言う。その目は笑っていない。
「……」
何も言えない。さっきまで息をするように嘘が出たというのに、今は嘘が出てこない。
「体は……」
「見ないことには病名もわからんさね」
「ですよね……」
アルブレヒトは手袋に手をかけた。この体を見せたら、どうしてこうなったのか、どうしたら元に戻るのか、分かるかもしれない。
手袋をぎゅっと握る。あとは引っ張って外すだけなのに、それができない。
せっかく村に入れて、優しく接してくれたのに、ここで魔獣だと言われるのは、怖い。
この体を、見られたくない。
「召喚術で……体に傷を負うことはあるのでしょうか……」
手袋を引き抜く代わりに、聞いた。声が掠れる。マチルダが、アルブレヒトの前にあるコップを見る。目が「飲まないのか?」と聞いていた。
「まぁ、ないとは言わないさね」
マチルダが肩をすくめた。
「基本はないさね。召喚されたものは、召喚した者に服従する。それが召喚術さね」
「服従しないこともあるんですか……?」
「喚ぶ相手を間違えたときくらいじゃないのかい?」
「そうなんですか……」
「力の差がありすぎるものは、そもそも喚べないだろうに。平民が領主様に『来い』と言ったところで来やしないのと同じさね」
マチルダがそこでコップを置いた。
「ただ、理由があれば話は別さね。嘆願書が通れば、領主様だって腰を上げることはあるかもしれない」
マチルダの言うことは分かる。
僕なんかの召喚術では、アザリエルみたいなものを召喚することはできないはずだった。
「まぁ、あたしも召喚術にはそんな詳しくないさね。あたしが言えるのはこのくらいさね。詳しく知りたいなら町に行くさね」
言ってマチルダがお茶を飲む。コップをテーブルに置いた。
「まぁ、何さ、あんたも、いろいろあったんだろうがね」
マチルダは、アルブレヒトの手から目を離して言った。
「こんな田舎じゃ、分かりっこないよ」
「この体は……」
「治るかどうかも分からない。見てないさね」
マチルダもアルブレヒトも黙り込んだ。
「……そんなに酷いさね?」
少しして、マチルダが聞いてきた。
「……骨が、見える程度には——」
アルブレヒトが言うと、マチルダの目が、わずかに見開かれた。けれど、叫ばなかった。手元のコップに視線をやったまま、皺の寄った指で、コップの縁を撫でる。
アルブレヒトがほんの少しだけ手袋を外した。手袋の裾から骨が覗く。マチルダはそれを見なかった。
「そうかい……なら、分かりっこないよ」
そう言われるのは、分かっていたはずなのに……。手袋を掴む手に力が入る。そっと手袋を戻した。
「こんな田舎じゃ、分かりっこないさね……」
マチルダが繰り返す。
「王都に行けば、まだ何か分かるかもしれないさね」
「……この村には」
アルブレヒトは、言いかけて口を閉じた。
マチルダは首を横に振る。
「長居はしない方がいい。あんたが悪いって話じゃない。けどね、ここじゃ、あんたみたいな酷い呪いを受けた者は怖がられる」
呪い……。言われて、ハッとした。そうか、呪いなのか、これは。
「呪い……なんですか……」
「知らないさね。でもね、召喚して、骨が見えるような手酷い傷を負うようなものは、呪いと言えるさね」
マチルダはもうアルブレヒトを見ない。ずっとテーブルだけを見ていた。
見られたくないと思っていたはずなのに、見てもらえない。それが胸に刺さる。
再び、マチルダとアルブレヒトは黙り込んだ。
「怖がられたら、人は何をするか分からないさね」
静かにそう言って、マチルダは「分かるだろう?」と付け加えた。
アルブレヒトは何も言えなかった。
マチルダはコップに入っていたお茶を飲み干す。
「鍛冶場に行くんだったね。案内するさね」
マチルダが立ち上がった。アルブレヒトの前のコップを手にとり、自分のコップと合わせて流し台に持っていく。
話は終わりだと言われたようだった。
まだ聞きたいことはあった気がする。なのに、思い出せない。
アルブレヒトも、力無く立ち上がった。
「旅のお方か、話は聞いてる。剣が壊れたんだとな」
鍛冶場に着くと屈強な男が出迎えてくれた。
「あぁ……そうだ……」
アルブレヒトは返事をしたが、さっきまでのマチルダとの話が頭をちらついて、どこか上の空になる。
「剣はあるのか?」
聞かれて、持っていないことを思い出す。
「新しいの渡してやんな。魔獣に襲われて逃げてきたらしいさね」
一緒についてきていたマチルダが言う。
アルブレヒトはマチルダを見た。マチルダと目が合う。「そういうことにしときな」と、その目が言っていた。
「そうか。予算は?」
「代金はあたしが持つよ。どうせここにある剣なら、そう大した額にはならんさね」
マチルダが言う。言われた屈強な男は「おいおい」と言いながら頭を掻いていた。
アルブレヒトがマチルダに視線を送る。マチルダもアルブレヒトを見ていた。
「餞別さね」
マチルダは一言だけそう言って、近くにあった椅子に座った。
屈強な男がため息をつきながらいくつか剣の入った籠を指差す。
「まあ、婆さんがそう言うなら、いいんだけどさ。今あるやつならあそこに入ってる。それとも、今から作ろうか? だったら二、三日は……」
「いや、あの中からいただこう」
籠に近づいて剣を見る。中に入っているのはどれも同じような剣だった。
どれもすぐに使えるようになっている。装飾のないシンプルな柄がついている。
「それなら何を選んでも大体一緒だ」
言われて、一本を適当に抜き取る。
「これにしよう」
「それなら鞘もつけてやる。餞別だろ」
屈強な男が言って、鞘を取り出してきた。
アルブレヒトは鞘を受け取り、剣を入れた。
そんな様子を、マチルダは険しい顔でずっと見ていた。
「ありがとう」
アルブレヒトが屈強な男に言うと、「いいってもんよ」と笑っていた。
マチルダが立ち上がる。
「剣も手に入ったんだ。もう行くんだろ」
そんな話はしていない。マチルダは「村から出ていけ」と言っているのだ。
村に入ったとき、声をかけてくれ、マチルダを紹介してくれた女性を思い出す。彼女に礼を言いたかった。
マチルダはアルブレヒトの前に立ち、真っ直ぐに村の出口に向かって歩いていく。
「マチルダさんの家に案内してくれた女性がいるだろう。礼がしたいんだが」
小さなマチルダの背中に向かって、そう言った。
マチルダがちらりと顔を向けた。
「あたしから伝えとくよ」
それだけ言うと、また前を見て歩き始める。アルブレヒトは小さな声で「頼んだ」と言うのが精一杯だった。
井戸が見えてきた。誰もいない。鍛冶場を出てから誰も見ていなかった。井戸の向こうから女性が歩いてくるのが見えた。マチルダのところへ案内してくれた女性とは違う女性だった。
彼女は、井戸に向かって歩いていくマチルダとアルブレヒトを見て、踵を返した。
アルブレヒトは建物に目をやる。窓辺で子どもを抱いてこちらを覗き見している人がいた。
「気にするんじゃないよ」
マチルダが前を見たまま、唐突に言った。マチルダを見る。
「こんな村の村人は、見知らぬ人間を警戒するもんさね」
マチルダは言いながら歩いた。
分かってはいる。普通の旅人でも警戒するものだ。全身を外套で覆い、仮面をつけて、肌を全く見せない旅人など、誰が無防備に接するのだろうか。それでも、セルレン村の女性たちは優しく接してくれた。
今、その人たちは誰もこちらを見てくれない。
気にするなと言われて、気にせずにいられるなら、どれほど楽だったろうか。
小さい村だから、すぐに出口に辿り着いた。出口でマチルダは立ち止まった。アルブレヒトも立ち止まる。
「王都は遠い。気をつけていくんだよ」
マチルダは言う。アルブレヒトの方は見てくれない。
「感謝する」
アルブレヒトはそれだけ言って、セルレン村を出た。




