第3話 俺の視点をゲーム実況気分で覗くな
トリスタンの歪な形の魂に触れた日の夜。就寝後、俺はいつものようにあの謎の雪深い精神空間にいた。座るところがこの謎のベッドくらいしかないせいで、俺は端で胡座をかき、トリスタンは反対側の端で申し訳なさそうに小さくなりながらお行儀良く座っている。
体は眠っても、精神の眠りは少し遅れてくるらしい。いつもはどうでもいい雑談をしながら眠りを待つが、今日はあのときのやり取りで気になっていたことをトリスタンに尋ねることにした。
「なぁ、一つ聞きたいんだけどさ。なんであんたが魂のザラって感覚を知ってるんだ?」
魂に触れる術は神官にしか扱えない。それも、一定の水準を満たしたと判断された神官のみだ。教会とは無縁だったトリスタンは触れたことがないはずで、当然亀裂のザラつきの感触を知るはずもない。
「あれ、気づいてなかったの? 共有されてるのは視覚と聴覚だけじゃなくて、五感全部だよ」
「さすがに初耳……」
五感が共有されている。つまり体の主導権がないだけで、残りの感覚は全て自分で生きている頃と変わらず残っているということらしい。正直奇妙過ぎてどんな感覚なのか想像はつかなかった。
待てよ……ってことは、治癒術の使い方とか修復の感覚も伝わってるってことだよな?
「けどそれなら、もうトリスタンも神官としてやってけるんじゃないか? 治癒術も魂の修復も一人でできるだろ」
「えっ……?」
「体調も体力も戻ったし、もう大丈夫なんじゃないか?」
元々トリスタンに体を返すつもりで、渋々神官という職を続けていた。思いの外、早くその機会が訪れたというだけだ。
これだけ時間が経っても現実に戻れないなら、マジで俺は死んだんだろうな。
不思議とあまり未練は感じなかった。自分がここで終わる恐怖もない。この数か月間で自分の死を受け入れる、トリスタンに体を返すことに納得してしまったからなのか。それとも元々生きることに然程執着がなかっただけなのかはわからない。
俺は魂の修復方法を利用して、自身の魂を砕こうと手を額にかざす。魂を掬い上げて外へ抽出する方法もあるが、その方が手っ取り早いと判断した。
「マサキ……! 僕は、大丈夫じゃ……ない……」
額にかざした右手の手首を掴まれ、ぐっと額から引き離される。目を開くと、ベッドの端で縮こまっていたはずのトリスタンが目の前にいた。いつも諦めた顔で、こっちとろくに視線を合わさず空気みたいに笑っていたヤツが、切羽詰まったような眼差しでまっすぐに俺を見ていた。
しかしそれ以前に、いつもなら感じる魔力を全く感じなかった。つまり、いつも治癒術やらなんやらが使えていたのはトリスタンの体に魔力が宿っているからで、現代日本人である俺の体には一切ないということが精神空間で証明された。
「あんた十七歳だろ。そんな幼児みたいに縋るな、気色悪い。どの道俺には魔力がないから今すぐには無理みたいだし、落ち着け」
適当に宥めすかしてやろうと思ったが効果はなく、トリスタンはギュッと眉根を寄せる。手首を掴む手にはますます力がこもり、鈍い痛みが染み込んでくる。ヒョロ~ナヨ~っとしているわりに、意外と力は強い。
「やっぱり、今消えようとしてたんだ……目が覚めて、僕の力使って勝手にやらないでよ……?」
「なら、自分の体を取り戻して勝手なことされないようにしないと、だよなぁ?」
「それじゃあ結局、体を取り戻す過程でマサキが消えるじゃないか!」
「バレたか……」
せめて体の主導権を任意で入れ替えることができれば、と思ったことは数え切れないくらいある。けれど、トリスタン本人に体の主導権を握る気が全くないのか、そもそも無理なのか、とにかく都合良く交替できたりはしなかった。
しくじった……懐かれすぎたな。
雛鳥が最初に見た相手を親鳥だと思い込むように、俺はトリスタンにとっての親鳥にでもなってしまったのかもしれない。一人で生きていくために必要なことを身に着けても、自立心や自信が育たなければ飛び立てない。子供の頃から今まで虐待を受け、まともな大人が傍に誰もいなかったせいか、精神面が当時で止まったまま年齢相応に達していないと考えて差し支えなさそうだった。
「マサキがいなくなって、僕一人でなんて絶対無理だよ。役立たずになって、教会から追い出されて、どうせ死んじゃうだけなんだから……」
「重っ……さり気なく脅しやがって。とんでもねぇな」
「そんなつもりじゃなかったんだけど……ごめんなさい」
そろりと手首が解放され、トリスタンはしゅんと雪だるまが溶けるみたいに肩を窄めて縮こまる。こうして見ると、本当に図体が無駄にデカいだけの小さな子供のようだった。
こっからは精神面の更生が必要ってことか。
まったく、手間のかかる……
不本意とはいえ、乗りかかった船というやつだ。自分が消えたあと、トリスタンがどうなろうと知る由がないとしても、野垂れ死んでしまったとなれば『わかっていて見殺しにした』という人生の汚点が人知れず残る。たとえ二度と目が覚めなくても、寝覚めが悪いというものだ。
「最初にも言ったけど、僕は僕の代わりにマサキが生きてくれてホッとしてる。だから、これでいい……むしろこれがいいんだ」
「あんた、それ本気で言ってんのか? 楽しいのはここからだろ。少なくとも俺は、自立して自分で金稼ぐようになってからの方が人生楽しかったんだけどな」
たった十七年。それもクソみたいな家族としか関わることができずに生きてきた。当然もう生きたくないと、希望も気力もなくしてしまった気持ちはわからなくはない。
けど、クソ家族と離れてやっと自由になったんだろ。
こっからだってのに、少しは取り戻したいとかないのかよ、コイツは……
俺自身の家族はあんな腐り方はしていない普通の人間だったが、やはり親の願いや圧というものはあるもので、それが俺にとっては窮屈だった。親の心子知らずとは言うが、俺が親の意向通りに生きなきゃいけない理由はないし、俺にだって願いや意思はある。
それが実現できたのは、大学を卒業して就職したあとだった。社会人になれば学生以上に責任が生じるとはいえ、自己責任で好きなように生きられる。その開放感と、わくわくと高揚する感覚は今でも忘れられない。
「それは、ちょっとわかるかも。僕も、最近すごく楽しいんだ。マサキが見せてくれる世界が、新鮮で、面白い。僕の力では見られないものばかりで」
はぁ?
ゲーム実況でも見てるノリか?
「なんもわかってないだろ。俺は、あんたの娯楽になった覚えもないし」
「ご、娯楽……?」
「娯楽だろ。責任もなく、楽して眺めて笑ってるだけ」
トリスタンは表情を強張らせて小さく息を呑むと、気まずそうに俯いた。一瞬言い過ぎたかとも思ったが、他人にタダ乗りしてる甘ったれのガキにはこれくらいで良いと思い直した。別に俺は、トリスタンの顔色を窺ってやる義理もないのだから。
「トリスタンが野垂れ死んだら、雑魚を見殺しにしたっていう俺の人生最大の汚点になるんだよ。晩節を汚すってやつだ。俺はあんたをトリスタンとして一人前になれるように叩き直す。あんたも眺めてるだけじゃなくて、努力しろ」
トリスタンの手のひらが、彼の膝の上できゅう……と固く丸まる。口は固く引き結んだまま、何を考えているかもわからない。ただ、少しの間のあと、蝋燭の炎のようなか細い声で「うん」と呟いた。
それからも変わらず、俺とトリスタンは一つの体を分け合って生活していた。体の主導権は常に俺にあって、トリスタンは俺が見ている世界を通して社会に興味を持ち、時折口を挟むだけで体を取り返そうともしない。俺が歩むトリスタンとして生き方と自分自身を比較して、失望し続けているように。
そんな日々の中、俺たちのもとへ『ある依頼』が舞い込んだ。




