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第15話 相棒クソニート【トリスタン視点】

 沈黙した空気に、マサキの呆れの滲んだため息が吸い込まれていく。その微かな音に強引に引き上げられるようにして、僕は思考の底から浮上した。


「おいおい、そんな目をするなよ……ったく。けど、俺は一度死んだからここにいる。だからこそ、何があるかわからない。それはわかってるな?」

「うん……」

「だったら、一人でだって生きられるように、仕事も生き方もちゃんと見て覚えろ。神様の気まぐれとやらで急にハシゴ外されたら、あんた詰むぞ」


 見て……覚えてるよ。

 マサキのことは、誰より近くで見続けてきたよ。


 治癒術の使い方も、魂の感触や修復の仕方も、身体感覚を通じて覚えている……と思う。けど、マサキの考え方や言葉選び、処世の仕方は、見ていたって到底及ばない。


 体を取り戻して、マサキが築いたトリスタンになれなくて、みんなに呆れられて見捨てられても……マサキが隣にいてくれたら。マサキが隣で笑って「大丈夫だ」って言ってくれるなら、僕は何度だって立ち上がって、頑張っていけるかもしれないと思えた。


 でも僕が体を取り戻せば、マサキはいなくなる。

 マサキがいないのは、寂しい……死んでほしくない……


 掴みかけた勇気も、マサキがいなければ幻のように霧散する。だから僕は、マサキの「体を返したい」という望みに応えることができないでいる。


「あんたはここまでトリスタンとしてやってきた俺を、無駄にする気か~?」


 わかってるよ。

 無駄にしたくないって、ずっと思ってる。

 思ってるから、嫌なんだ。

 マサキが生きた軌跡を、僕が消してしまいそうだから。


 気づけば、握りしめた拳が震えていた。押し殺そうとした恐怖が、殺しきれなくて漏れている。


「マサキ、僕は……正直、このままでいいって思ってる。十分楽しく生きてるって思えてるし」

「知ってる。けど、俺は良くない」

「僕も、知ってる。マサキはいつも僕に体を取り戻せって言うから」


 今更トリスタンに戻ったって、みんなの知るトリスタンに僕はなれない。その恐怖と、マサキと別れたくない思い。マサキは僕を地獄から掬い上げてくれた恩人であり、膝じゃなくて前を見ることを教え、生きている感覚を少しずつ取り戻してくれたかけがえのない人だ。


 そんな人を、もう一人で大丈夫だからと手を離し、その死を受け入れていけるほど僕は強くない。マサキの死はきっと、「隣にいてほしかったのに」という後悔と共に、僕の息の根を止めるのだろう。


「僕は、マサキに恩を返したい。だから体を取り戻して、自立して生きていけたらいいのにって考える日も……ある」

「へぇ……あんたから、そんな前向きな言葉が聞けたのは初めてだな」


 マサキの視線が、僕を推し量るようにチラッとこちらへ向く。ほんの僅かな期待が乗せられた視線に一度口を引き結び、意を決して再度開く。


「だから……お願い。マサキも、生きるのを諦めないで。この体からマサキがいなくなっても、変わらず隣にいてほしい。隣で、ちゃんと生きていけてるって、見守っててほしいから」


 恥ずかしいほどに、声が震えた。消えそうになる声を、懸命に絞り出した。いつまでも「怖い」「嫌だ」と言っても、何も始まらないし変わらない。せっかくマサキが歩き方を教えてくれたのだから、一歩でも前へ。ちゃんと変わってきていると、示したかった。


「分離してもトリスタンはひよこってか? それに、消えずにってのは無理な願いってもんだろ?」

「マサキが、僕に体を返すことを譲らないなら、マサキが消えずにいられる方法を、一緒に探してほしい。僕にとってマサキは恩人で、友達というか兄というか……相棒、みたいな感覚、だし……」


 マサキが「体を返す」ことを譲らないように、僕は「マサキが死ぬ」ことを許せない。どうかわかってほしい、そんな祈りを込めて、初めて言葉にした。


 しんと、雪みたいな沈黙が下りる。なんて言われるのか怖くて、僕の心臓は空気まで震わせそうなほどにけたたましく鳴り響いていた。そこに、春風のような小さな笑い声が、ふっと吹いた。


「相棒~? 引きこもりクソニートのくせに生意気だな」

「クソニート? ニートって何?」

「雑に説明するなら、働けるのに働かないヤツのことだな。あんたはただのサボりだから“クソ”ニートだ」

「なんだ、僕のことか」


 マサキの世界の言葉は面白い。ニート、それだけの短い単語にギュッと意味が詰まっている。体の中に引きこもって、主導権はマサキに任せて働かない僕。確かにニートだ。


「わかってんなら、サボらずもっと自分事だと思って考えろよな」

「……うん」

「ったく、あんたのヒョロヒョロじゃない『うん』を、いつか聞いてみたいもんだな」


 また呆れさせてしまったと思ったけど、マサキは苦笑しながらも柔らかな眼差しを僕に向けてくれていた。マサキは口が悪いし、皮肉も軽口も多い。けれど、ここまでずっとぐずぐずしてきた僕を見放さずにいてくれる、面倒見の良い人だ。そんな人は、これまでの僕の人生の中にはいなかった。


 マサキが持っている願いと、期待に応えたい。だから僕は日々を、ほんの半歩でも前に進めるために頑張ろう。


──いつか、自信を持って『うん』と言える日まで。

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