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第14話 僕の価値【トリスタン視点】

 フェルミン殿下の転生者の件が解決してから、一か月が経とうとしていた。そこへ突然『トリスタン・メルシア』宛で、王城から一通の手紙が教会へと届いた。差出人は『フェルミン・レアレッサ』、つまり王太子であるフェルミン殿下からだ。


『怖っ……もう絶対関わらんって決めてたってのに。今更俺になんの用があるってんだ?』


 マサキは恐る恐る封筒の封を切り、中から便箋を取り出す。開くと、端正な文字が丁寧に綴られていた。


『悪い、トリスタン。ちょっと読んでくれるか?』

『もちろん、いいよ!』


 これまでも文字を読む必要があるときは、いつも僕がマサキを補助してきた。このときだけ、僕は自分が役に立てている実感を得られる。マサキに必要とされていると思えて嬉しかった。


【先日は、本当にありがとうございました。お礼の手紙が遅くなりましたこと、お詫び申し上げます。


 ご助言いただいた通り、私が長年抱えていたものを妻のマリアネラに打ち明けました。結果から申し上げますと、マリアネラは理解を示し、私を支えると言ってくれました。


 身近に頼もしい味方がいたことに気づき、心が軽くなったのも、全てはトリスタン殿のご助言のおかげです。あなたは私の命の恩人と申し上げても過言ではありません。重ねてになりますが、本当にありがとうございました。


 フェルミン・レアレッサ】


『──って書いてあるよ』

『ありがとう、助かった。にしてもなんで会話は通じるのに文字は違うんだろうな。声だけ都合良く謎翻訳でもされてんのか?』

『本当に不思議だよね』


 マサキは深く長いため息をつくと、力が抜けたように机の上に突っ伏す。その体勢のまま、行儀悪く便箋を封筒の中にしまっていた。


『そうだ、マサキの世界の文字で何か書いてみてよ』

『別にいいけど』


 ほんの思いつきだった。文字が違うということは、マサキは自分の世界で僕たちのとは違う文字を使っていたということでもある。マサキがどんな文字を使っていたのか気になってお願いしてみた。


 マサキは体を起こすと、机の引き出しからペンと紙を取り出し、何かをサラサラと書き始める。上と下、二行に短い何かが書かれていた。


『これはなんて書いてあるの?』

『上がトリスタン・メルシア、下が栗野マサキ』

『へぇ、これがマサキの世界の文字で書いた僕の名前……マサキの名前はなんか……僕のより、くちゃっとしてるね』

『漢字な、漢字。俺の故郷は、ひらがなとカタカナと漢字とアルファベットの四種類の文字を使う』

『……多すぎない? 全部覚えて使いこなしてるの?』

『漢字は普通に間違える』


 マサキの故郷は不思議なところだ。この前の故郷の料理もそうだったが、僕の住んでいる世界とは大きく違っていた。マサキの世界の片鱗に触れるたび、僕の知らないことばかりで、広がったと思った世界でさえ小さく見えてしまう。


『思ったより長期戦になりそうだし、俺も文字読めるようになった方が良さそうだな……』

『じゃあ僕が教えようか?』

『マジか、それは助かるな』


 本当に、僕なんかがマサキに教えて良いんだ。

 でも、読めるようになったら、もう役に立てなくなっちゃうのかな。


『海外を渡り歩いた俺の語学力が火を噴くぜ……!』


 でも、マサキは楽しそう。

 なら、いいかな。


 それから僕は仕事の合間や、就寝前の時間にマサキに文字を教えるようになった。マサキは本人が自信満々だった通り、覚えが早くて、一つずつ着実に習得していった。



* * *



 マサキが僕の体で就寝すると、完全な眠りにつく前に一度不思議な空間に入る。いつだったか、この謎の空間のことをマサキは『精神空間』と呼んでいた。


 初めてマサキと出会ったとき、ここは雪深い森だった。けれど今は少しだけ雪が溶け、木々の隙間から薄く陽の光が差し込むようになっていた。もしこの空間が僕の精神でできているとするなら、心境が変化し、冬が少しだけ遠のいたと思って良いのだろうか。


 マサキは元々営業という人と関わる仕事をしていたらしく、僕と違ってお喋りが上手だ。けれどここにいるときのマサキは、あまり口数が多くない。僕相手では、単に話したいことがないだけかもしれないが、会話は大体僕から話しかけて始まることが多かった。


 ただ、この日は違った。マサキは寝台に上半身だけ乗せて寝転がり、足は地面へと投げ出している。その姿勢のまま、彼はひとりごとのように呟いた。


「なぁ。俺が突然目覚めたときみたいに、突然消える可能性もあるのかもなって、ちょっと思ったんだけど。そしたらどうするんだ、トリスタン」

「え……急に、何……?」

「いや、ふと思っただけだ。深い意味はないが、万が一には備えておいて損はないだろ?」


 考えたこともなかった。僕がマサキから体の返却を拒否し続けていれば、マサキが消えてしまうことはないと思っていたからだ。


 マサキがいなくなったら、僕は──


 マサキは常々僕に話していた。神官を続けているのは、僕がトリスタンとして元に戻ったときに、継続できる仕事だからだと。僕に返すことさえやめてしまえば、マサキは好きな仕事ができる。そう言っても、やはりマサキは神官を辞めなかった。


 でも僕は、もうトリスタンに戻る勇気が……ない。

 “本物だった”トリスタンは、弱い、から。


 僕には、僕の帰りを待ってくれている人がいない。マサキ以外、僕にトリスタンになってほしい人もいない。僕が本物のトリスタンでも、みんなの知るトリスタンはマサキのことだ。みんなにとっての本物は、マサキだ。


 だからトリスタン・メルシアという存在はとっくにマサキのもので、僕がトリスタン・メルシアになるということは、みんなが親しみを抱いているトリスタン・メルシアを書き換えてしまうということでもある。


 無理に奪ったって、フェルミン殿下が転生者に体を奪われたときに、周囲の人々が落胆して「別人みたい」と嘆いたのと同じことが起きるだけ。マサキの努力も、みんなから向けられる笑顔も信頼も……僕が粉々に壊してしまう。


 だから僕はこの場に縮こまって、どこにいるかもわからない神様に祈ることしかできない。マサキを奪わないで、マサキを死なせないで、と。

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