34.握られた手
約束の前日の晩。なかなか眠ることができずウィルフレッドは溢れる想いを持て余していた。
どうせなら店が開くまで外で待っていよう家を出たが、一時間もすると身体が冷えてくる。がたがたと身体が震え、頭が妙に冴えた。
ウィルフレッドは一度ゆっくりと瞼を閉じ、それから空に浮かぶ月を見上げた。
「あの日もやけに月が眩しかったな」
四年前の事件。ウィルフレッドにとって忘れることのできない最悪な日であり、シャノンと出会った夜。
その日の月は恐ろしいと感じるくらい、真っ黒な夜空と降り積もった白い雪の景色にぽかりと穴が空いたように浮かんでいた。
王都近郊の伯爵家の領地のある街で起きた事件は、あまりにも規模が大きすぎた。
蔓延する薬物に賄賂の横行。完全にその街は腐敗していた。
王家も注視し、薬物の経路や確実な証拠となる物を掴むまで機をうかがっていた。疑っていた伯爵家は結果白だと判断された段階で、大々的に作戦決行することになった。
その作戦に、ウィルフレッドも参戦した。
ウィルフレッドが所属している騎士隊の任務は、一般人の安全の確保と薬物中毒者の隔離だった。
その際に同行した一般人の中に、後に知ることになるシャノンの両親がいた。母親が腕利きの薬師で、父親が彼女の助手兼護衛として参加だ。
彼らの腕は素人の目から見ても、レベルが違った。
怪我人の治療は当然のこと、もう正気を戻すことは無理だろうと言われた薬物中毒者の様態を安定させる。
何より二人の連携は完璧で、危なげもなくやっていたのでこちらも彼らのことは大丈夫だろうとほかの処理に回っていた。
彼らのおかげで売人や繋がりをより一層早く洗うことができ、事件ももうすぐ解決だと思われたところでそれが起こった。
やけになった男が証拠隠滅のために建物を爆発させたのだ。
しかも、捜査を攪乱させるために何か所も爆弾を仕掛けており、次々起こる爆発にその場が一瞬にしてさらなる地獄となった。
そして、爆破された建物の一つにシャノンの両親もいた。
助かる可能性はほぼないくらい全壊した建物。善意で人々を救ってくれた人たちの死、彼らが救った、救うはずだった人々も大勢犠牲になった。
ウィルフレッドもまた爆発に巻き込まれ怪我を負った。
バカな狂人のせいで被害が広がり、一緒に作戦に参加した治癒士や薬師だけでは間に合わず、第二弾として少しでも知識のある者が派遣されたてきた。
焼ける匂いと土埃。混乱する現場。
その中にシャノンもいて、瓦礫に埋もれてしまった夫婦の妻と同じ赤髪は目を引いた。
彼女は着くとすぐに無言で負傷者を治療していく。彼女の作る薬の効き目もまたすごかった。
守るはずの一般人に助けられ、怪我の痛みよりも無力感に襲われていた時にそれまで黙っていたシャノンが口を開いた。
「しゃんとしてください騎士様。動けるなら動いて。まだ助けられる命が多くあります」
自分より柔らかく小さな手に手を引かれた。
その時の温もりと、目を真っ赤に腫らしながらも決して諦めないと輝くオレンジの瞳は印象的で忘れられない。
ウィルフレッドが立ち上がると、静かに頷いたシャノンはまた治療を必要とする人のほうへと向かった。
それぞれができることをするために――。
ようやく終息の目途が経った頃、シャノンはすべての治療が終わり、シャノンのすべきことをした上で、両親がいた建物に向かった。
動ける者が協力して瓦礫をどけ、取り掛かってから数時間後、夫婦は夫が妻を庇う形で遺体として見つかった。
それを見たシャノンが彼らに駆け寄る。
「うあぁぁぁぁぁ、父さん、母さん……」
シャノンもある程度覚悟はしていたのだろう。だから、まず助けられる人たちのために自分の力を尽くした。
彼女がウィルフレッドに言ったように、多くの命を助けるために、自分の心が折れないようにすべきことをした。
誰もが彼女を見守った。
夫婦の献身と、ほかの者が声をかけ治療していくなかシャノンが無言だった意味。悲惨な結末。
ただ、彼女の邪魔をしない、それだけしかできないことに誰もが唇を噛み締めた。
心が抉られるとともに、彼女と彼女の両親、その在り方の美しさに胸を打たれた。
凶行を吸い込み終わったかのように月が雲に隠れ、彼女の悲痛な叫びとともに雪が深々と降り出す。
もう少し早く解決できていればと、関わった者が苦い気持ちになる事件だった。
やるべきことが多くそれらに集中している間に、彼女は彼女の両親の遺体とともにすでにその場を後にしていて、ウィルフレッドの心に残る女性となった。
そして、任務で彼女の存在、居場所を知り、接点を持つことができた。
尊敬の念はいつしか愛しさに変わり、知れば知るほど恋をした。
精神的にぎりぎりだったのか、シャノンはあの時の土埃と血で酷い状態の騎士がウィルフレッドだとは気づいていないようだった。
事件の時のことをいつか話せればとは思っているが、シャノンの傷の深さがわからないため安易にこちらからも話せない。
「どこまでも優しくて美しいシャノン。あなたを守りたいと思うと同時に、こんなにも狂おしいほど欲しいと思っていたなんて自分でも知らなかった一面だ」
知れば知るほど、欲しくてたまらない。
いなくなった一か月。
知らない男に向ける笑顔を見て、隠しきれなくなった想い。
余裕がなくなって初めて知った、自分の独占欲の強さ。正確には、内に仕舞い込めなくなるほどまでになるとは思ってもいなかった。
すっきりしない違和感がつきまとい、さらに執着心が増していく。
朝になり、ガブと呼ばれる男が出てきたことに苛立ち、行動に訝しみながらも寒さでくしゃみをしたウィルフレッドを心配したシャノンが中に入ることを勧めてくる。
――ああ、シャノンは変わらないな。
優しくて神々しくて。
守りたいのに欲しいと思わせる可愛い人。
それにこの扉。
シャノンと扉の組み合わせはやけに鼓動が早くなった。
訴えるように激する気持ちを抑えていると、シャノンに手を掴まれる。
今も導いてくれるのはシャノンだけ。
シャノンがいればそれでいい。
ウィルフレッドはあの時のように掴まれた手を見つめ、小さく笑みを刻みシャノンの後に続いた。




