31.違和感
寒い冬の朝。
ウィルフレッドは家に入るとコートをハンガーにかけた。
時計を確認する。
今から着替えれば就業時間に間に合うと、今朝は雪がやんでいて助かったなとそこまで考え、ふと疑問に思う。
「――俺は、さっきまでどこに行っていた?」
昨夜から今までの記憶がすっぽり抜けている。
飲み過ぎたのかと、くん、と服の嗅いでみるが酒臭くなく、服装も普段より気を遣ったものだ。
それよりも嗅ぎなれたような、知らない匂いが鼻をかすめたのが気になった。胸の辺りがきゅっと苦しくなり、顔をしかめる。
「とにかく、仕事に行かないとな」
まあ、忘れるくらいのことだ。特に問題はないだろうと疑問に思ったのは一瞬だった。
数時間後。王城の所属部隊の演習場で同僚のエーリックが剣を肩に預け、ふわぁっと大きなあくびをした。
「雪の上での訓練はかなりしんどいんだよなぁ。足元が滑るしやりにくい」
「だからこその訓練なんだろ。どんな時にも動けるようになっていたほうがいい」
「ウィルフレッドは真面目だよな」
「強くあれば守れるものも増える。その機会があるならやるだけだよ」
泥臭いことは顔に似合わないと言われるが、ウィルフレッドは力が欲しかった。
騎士になったのは適性があったからで、周囲の期待を裏切らずにいれた安堵はあったがそこまで思い入れがあったわけではない。
だが、フィジカルが鍛えられることもだが、実力者と繋がりを得る機会もあるため、今はこの仕事を選んでよかったと心底思っている。
力がすべてとは言わないが、何もわからず無力さに打ちのめされるようなことは確実に減らせる。
「ああ……、ウィルフレッドは四年前の事件を」
「エーリック!」
ウィルフレッドが首を振り止めると、エーリックは申し訳なさそうに剣を下ろした。
「悪い。まだ四年しか経ってないもんな。無神経だった」
「いや。引きずっているわけではない。己の無力さを痛感するだけだ。未熟な反応をした」
「そっか。それならいい。それに最近は充実しているようだしな。昨日は楽しめたか?」
「楽しむ?」
すぐに話題を変えてくれたことにほっとし、続く言葉に首を傾げる。
そういえば帰宅した際にどこに行っていたのかと疑問に思ったが、それもまたすぐに忘れてしまっていた。そのことを思い出すと同時に胸が苦しくなる。
そっと胸に手を置きなぜこんなに苦しくなるのかと考え込んでいると、エーリックがひょいっと顔を覗き込んできた。
「違うのか? 吹雪いているのにいそいそと帰ったから、恋人に会いに行ったんだと思ったんだが」
「恋人? 誰?」
「誰って、こっちが聞きたいよ。この半年以上、そういった相手がいるのはわかっているんだ。そろそろ教えたらどうだ。誰と付き合ってるんだ?」
そのような相手はいない。
訳がわからないと、なぜそのようなことになっているのか訝しがりながらもエーリックの話を聞く。
エーリックの説明によると、確かに自分の行動が恋人の存在が匂わせていたのは確かなようだ。
「……そうか」
「で、恋人、紹介してくれるのか?」
「いずれ、な」
肯定も否定もしなかった。
恋人として紹介するならば、彼女しかいない。だけど、彼女はまだ自分のものではない。
それにしてもまた違和感がつきまとう。
ここ最近は王城や業務での移動、個人的な付き合い、そしてシャノンの店を訪ねるくらいのことしかしていない。
そうだ。シャノン。
昨日もシャノンに会いに行こうとしたはずだが、雪が降っていてやめたのか。だったら、自分はいったいどこに行っていたのか。
なんだかもやもやする。
勤務後、ウィルフレッドはその足ですぐにシャノンのところへと向かった。
店はもう閉まっている時間だが、どうしても確認せずにはいられない。
時間が経てば経つほど、いつもにも増してシャノンのもとに行かなければならないと強迫観念に囚われてじっとしていられなかった。
半ば駆け足で店に着き、扉の前に張られた張り紙に呆然とする。
『しばらく店を閉めます 店主シャノン』
冷たい風が頬を打ち付け、ウィルフレッドはわなわなと震えた。
「どういうことだ?」
まず湧き上がったのは餓えた感情。
しばらくとはどれくらい?
どこに行ったのか。
本当に戻って来るのか。
しばらく呆然と立ち尽くし、ちょうど通りかかった常連の老夫婦に話を聞くと、一か月ほど旅に出るとのことだった。
旅と聞いて安心し、それからなぜ事前に自分には教えてくれなかったのかとの苛立ちが募る。
――ああ、ダメだ。落ち着かないと。
ウィルフレッドは顔を隠すように手で覆った。
ふぅっと息を吐き出す。
「この関係がいつまで続くのか……」
任務のこともある。
果たして、自分はどれだけ我慢できるだろうか。
「帰って来るというなら待つが、あまり俺を煽らないでくれるといいな」
大事な人を傷つけたくない。
大事に、とても大事に優しく真綿で包み込んで優しい世界に浸からせてあげたい。シャノンには優しい世界で過ごしてほしい。それだけのものをシャノンにはもらった。
だけど、逃げられると、自分のそばからいなくなるのなら手段を選んでいられない。正確には、我慢できるかわからない。
「だから、早く帰ってきて」
ウィルフレッドは張り紙を指で軽く弾き、しばらく店をじっと見つめた。




