26.方向転換
「――それは……、どうして、でしょうか?」
つぅっと冷や汗が伝い、心臓がばくばくする。
とにかく、ここはとぼけるしかない。
「シャノンは答えてくれないの?」
「ウィルフレッドさんの身に起きていることなので私にはわかりません」
そう返しながら、頭をフル回転させる。
必要以上、彼にとって無意味とも思える絡みの理由は何だろうか。
やはり忘れ薬が失敗した可能性があり、記憶が残っているから?
それとも、こちらが指定した忘れる範囲にズレが生じ、異変が起こっている?
だが、もし記憶があるとしたら仮にも恋人が一か月もいなくなって、反応があれだけで済むはずがない。
魔女のレシピは完璧だ。
最初に指定したものが失敗するならば、薬自体ができていない。
――うん。そうよ。この空気に飲まれてはダメ。
受け継いできたものをそう簡単に疑ってはいけない。
そこを疑っては、魔女の末裔として成り立たない。
レシピは何度も確認しながら進めた。だから、成功の証明ともなる液体の色が透明になった。それは揺らがない事実。
しっかり飲むところも確認したし、ビンは空になった。
再会後の言動からも薬が効いている、少なくとも私と付き合った記憶はないはずだ。
気を取り直しウィルフレッドと視線を合わせると、ウィルフレッドは軽く目を眇め、ふっと笑った。
「確かにそうだね」
相槌とともに、冷たい空気がわずかに緩む。
もし間違った対応をしていればすぐさま知らない何かに襲われそうで、初めてウィルフレッドが怖いと思った。
緊張感が抜けず肌がぴりぴりし、掴まれた手はそのままで首根っこを掴まれたかのように身動きできない。
外してと言える空気でもなく、少しでも緊張を和らげようと私は小さく息を呑んだ。
いまだに心臓は音を立て平常心を乱してくるが、ここで引いては前回の二の舞になる。
張り詰めた空気は薄くなり、むしろいつもの穏やかさに変わる。
ゆったりと微笑みを浮かべるウィルフレッドは私の知るものではあるが、先ほどのことがあっては早々に気は抜けない。
「ええ。でも――」
距離をこれ以上は詰めたくないが、相手も緩めてくる気配はなく地味に押され気味だ。
ならば作戦を変更し、さっさと彼の目的を吐かせて終わらせるほうがいいのかもしれない。
そうすれば引導を渡すこともできるし、ウィルフレッドも目的がなくなれば絡んでくることはなくなるだろう。
「でも?」
言いかけた言葉を拾い、ウィルフレッドが期待を込めた眼差しを向けてくる。
私は覚悟を決め、口を開いた。
「薬を取り扱う商いをしている身として、助けになれることがあるかもしれません」
ウィルフレッドの放つ空気に押されたが、忘れ薬は効いている。そのため、失敗はしていない。
だけど、ウィルフレッドに何か問題があり、私に関わっていることは事実。そこは無視できない。
何事も過信しすぎてはいけない。イレギュラーがない、とは断言できない。
それならばその原因を追究し、取り除くしかない。
そのためには距離を取るのではなく、今度はこちらから相手が話しやすいよう、相手が望むように距離を近づける必要がある。
「本当に?」
「はい」
そこでウィルフレッドは片手を口に当てた。
大きな手が顔半分を覆いどのような表情をしているのか見えないが、目元が緩んでいるので気分を害したわけでなさそうだ。
「助けということは、話の流れ的に俺の現状を知る、つまり俺と親しくする必要があるけれど」
言葉にされるとプレッシャーだ。
せっかく断ち切り距離を置いた偽りの元恋人と、再度距離を詰めるのは不安しかない。
だけど、こちらが距離を取っても近づいてくるのなら、こうするしかない。
――作った薬に万が一のことがあるのなら見過ごせないもの。
魔女の末裔として、そこはどうしても無視することはできない。
だから、不安を押し込め、話を続けた。
「知らないと理由を探れませんし、私といて落ち着くのでしたら精神的にもそれが一番かと思いますし。これからお話しする機会を作っていけば、何かしら改善策が見つかるかもしれないので」
私は私ですべきことをする。
これも自分のため。
「嬉しいな。理由がどうあれシャノンがやっとこっちを向いてくれたことが」
眉尻を下げ、くしゃりと崩れた笑顔を向けられるとなんだか申し訳ない気持ちになったが、ここで流されては駄目だとブレーキをかける。
もしかしたら任務とは別で本当に親しくなりたいと思っているのかもしれないが、ウィルフレッドには目的がある。
仲良くなるのも任務のため。それを忘れてはいけない。
そこはかとなく不安が付きまとうが、すでに方針を変えるため動き出したのなら進めていくしかないと気合を入れた。




