17.さようなら
冷えてきたので喚起のために開けていた窓を閉め、しばらくして意識を失うように眠りについたウィルフレッドをそのままソファに横たえた。
毛布をかけようとしていた手を止め、そのまま胸に耳を当てる。規則正しい呼吸に眠っているだけなのを確認し、ほっと息をついた。
明日、この家から一歩外に出たら、私と過ごした時間も情報をすべて忘れることになるだろう。
しばらくここを空けるための旅支度もできている。
行く場所もすでに決まっており、先々の憂いはない。空けるために薬をよく買ってくれる常連客には事前にそのことを告げ、必要な分を多めに渡してあった。
といっても、ここでの生活を気に入っており手放すつもりはないため一か月程度だ。
温度管理に必要な魔石も奮発し、薬草の管理などぎりぎりいける範囲でのちょっとした小旅行。
ウィルフレッドには本来ならこの場所もすべて忘れてほしいところだが、任務のためにここを訪れたという話だったので不可能だろう。
エーリックを含め任命した人物がいることを考えると、下手に逃げるよりは旅行という名目で時間を稼ぐくらいがちょうどいい。
甘い考えであること、ただの時間稼ぎでしかないこともわかっているが、これが私にできる最善だった。
距離をとることで心と情報が守れるなら、私にとってこれが正解だ。
ウィルフレッドは、ただ忘れるだけ。
そして、私はひたすらなかったことにするだけ。
この半年幸せな夢の中にいるようだった。
人と過ごす温かさを思い出させてくれた。
目的があって近づいたとしても、この半年過ごした時間は私にとっては本物だった。
向けられた優しさが作られたものであったとしても、その優しさに救われたのは事実。
私の人生が彩ったのはウィルフレッドのおかげ。
こぼれ落ちそうになる涙をぐっと堪え、私は代わりに笑顔を浮かべた。
「好き、だったよ」
今も好き。
これが嘘であったらどれだけよかったかと何度も思ったけれど、気持ちを封じることも、問いただすことも、リスクを取ることもできずに逃げるように魔女のレシピに手を出してしまった。
そのことに後悔はない。しないと決めている。
「……私のことは忘れて。できればもう関わらないで」
偽りでも大事にしてもらった。
思い出は私が持っていく。あなたには何一つ残してあげない。
私はそっと唇を重ねた。
私から行う初めてのキス。そして最後のキス。
これも私だけの記憶。
あなただけが知らないことが、私のせめての復讐だ。
目が覚め、これまでと同じように扉の前で別れの挨拶し、去り際に手を振る恋人だった人を見つめる。
刻々と、私との記憶がなくなっているウィルフレッド。
日が沈む頃には、ここでの密な時間は違和感なくすべて忘れる。
「さようなら……」
愛していた。
偽りの時間は終わり。
目から大粒の涙がぼたぼたと落ちる。
自分が決めたことなのに、付き合ったことを忘れられてしまうことが寂しい。
寂しいと思う自分も悔しくて、後悔はないがすっきりしない気持ちのままこの日を迎えてしまったことに、まだ感情の整理がつかなかった。
「それでも、これでいいの」
騙されているとわかっていて、付き合っていくなんてできない。
大事なものを奪われる前に、自分から決別するのは当然のこと。
この譲れない大事な二つがあるから、気持ちは揺れても決行することに迷いはなかった。
翌朝、ウィルフレッドは目を覚ました。
ぼんやりとしたのは一瞬で、すぐさまきょろきょろと視線を動かし、横に座る私を見つけるとにっこりと笑った。
「――シャノン、おはよう」
安堵したような嬉しそうな顔を向けるウィルフレッドは、朝の陽光に包まれてとても眩しい。
寝起きさえ隙がなく、愛おしい恋人を見つけた様子に騙されて仕方がなかったのだと苦笑する。それほど、ウィルフレッドの私への愛情を示す態度は完璧だった。
「よく寝てたね」
「ああ、びっくりするくらい寝る寸前の記憶がない」
「倒れるように寝たよ。端から見てびっくりしたけれど、呼吸は落ち着いていた。具合悪いところはない?」
少し距離を保ちながら、目の動向を確認する。
忘れ薬が作用しているかも心配だが、人体に害を与えたいわけではないのでそこはきちんと確認しておきたかった。
「むしろ、これまでの疲れもすべて取れたようでものすごくすっきりしている」
「それはよかった。ところでもう昼だよ。昼からの仕事は今からならぎりぎり間に合うから急いだほうがいいよ」
「うわっ。もうそんな時間? 驚くほど寝てたんだな」
ウィルフレッドはバタバタと衣服を身に着け、準備をするのを静かに見守る。
コートを羽織り扉の前まで移動すると、ウィルフレッドは目を細め見送りについてきた私をじっと見つめた。
伸びてきた手が、名残惜しそうに私の頬を撫でる。
「ウィル。時間」
「わかってる」
そう言いながら撫でる手は止まらず、むぅっと口を引き結んだかと思えば今度は目元をすっと撫でられた。
睫毛に触れる感触にくすぐったくて笑うと、ようやく満足したのかウィルフレッドは手を離した。
「慌ただしくてごめんね。また」
「ええ。気をつけて」
何度も振り返りながら去っていく姿が見えなくなるまで見送り、私は扉に鍵をかけた。
かちっ、と音がいつもより響き、それと同時に憂いも遠ざかっていく気がした。
偽りの時間がようやく終わったのだと、引きずるのではなく新しい日常に意識を向け私は動き出した。
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次章から本質へとじわじわ笑
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