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九条院家の存亡(旧バージョン)  作者: 天川一三
2011年前編
31/107

九条院家

 三池さんは白髪交じりの頭を撫でつけながら、僕に確認した。

「電話でうかがいましたが、あなたも過去の記憶がないんですよね?」

「はい、ありません」と僕はうなずく。

「それはいつからですか?」

「昨年の六月に私どもが、この子が倒れているのを見つけたんです。それ以前の記憶はないようです」

 横から凪沙さんが代わりに答えた。


「えっ!」

 三池さんは大きな声で驚いた。

「どうしました?」と凪沙さんの問いに、

「いえ、こっちの九条院君も昨年の六月にふらふら歩いているところを保護されたんですよ」

「そうなんですか!」

 僕と凪沙さんは二人してそれに驚く。

「これは、もしかしたら何か関係があるのかもしれませんね」

 凪沙さんは神妙な顔つきで、それに深くうなずく。

「とにかく、二人を引き合わせて、一度話し合いましょう」

「はい、お願いします」


 三池さんは携帯電話を取り出し、話し始めた。

 通話はすぐに終わり、彼は凪沙さんに向き直る。

「彼、今日は九条院家にいるようです。これから、いかがです?」

 僕はどうしていいかわからず、凪沙さんの様子をうかがった。

 彼女は、どうするか思案しているようだった。彼女が出ると、店が平吉さんだけになるからだろう。


「じゃあ、僕だけで行ってきます」

 そう答えると、「ひとりで大丈夫?」と凪沙さんが心配気に僕を見た。

「はい」と元気よく答えた。


「では、行きましょう」と三池さんは立ち上がった。

 秘書のせいか、割とせっかちなようだ。

 凪沙さんも立ち上がり、「この子、右肩を痛めているので、注意してやってください」と頭を下げた。


 僕は三池さんに連れられ、店の外に出た。

 外は雨が降り始めていた。

 見送りに出た凪沙さんに一礼して、急いで車に乗りこむ。

 どういう展開になるのか想像もつかないが、自分のことなのでしっかりしないと。


 車は坂を下り、大通りに出た。

 それから、郊外のほうへと向かった。

 十数分くらい走った後、車は閑静な住宅街に入った。

 立派な家が並んでるな、と僕は辺りを見回した。


「もう着きますよ」と三池さんが教えてくれた。

 椰子の木の向こう側に、洋館風の邸宅が見える。

 車が敷地に入り、ロータリーの中央に植えられた、その椰子の木を見上げると、どこか思っていたのと違う感じがした。

「椰子の木ってこんなだったかな……?」

 僕の独り言が聞こえたのか、三池さんが、「それは芭蕉の木ですよ」と教えてくれた。

「そうなんですか……」と僕は自分の無知に恐縮して助手席で小さくなった。


 車が止まり、僕は九条院家に降り立った。

 玄関ポーチで辺りを見回す。

 風が吹き、芭蕉の木がばさばさと音を立てた。

 この感じ、なんとなく懐かしい気がする……。

 どうしてか、そんな感慨がこみ上げてきた。


「さあ、入りましょう」

 車を降りた三池さんに導かれ、僕は家へ入った。

 家の中は、広々としていた。

 広い玄関ホールの脇には、幅のある階段が上から伸びていた。

 そこから、若い男性が降りてくる。

 とても背が高い。

 これは……。


 男性は僕の姿を見つけるなり、にこりと笑った。

 僕はそれを見て、どきりとする。

 何度見ても、苦手な笑顔だ……。


「やあ、また会ったね」

 九条院さんは階段を降りきると、手を挙げた。

 今日の彼は赤いトレーナーにチェック柄のズボンを着ていた。

 僕はお辞儀をして、顔をもう一度見た。

 左顎の辺りに何か貼っている。

 それをじっと見ていたら、九条院さんが話しかけてきた。

「ああ、これ? この間、家に帰ったら腫れてきちゃってね。それより、君の肩は大丈夫?」

「いえ、まだ、ちょっと……」

 そう答えつつ、前髪をいじろうとしたが、利き腕はやはりまだ痛んだ。


「じゃあ、お二人は応接間のほうに」

 三池さんが僕らを呼んだ。

 九条院さんの後をついて、応接間に入った。


 応接間も広かった。

 僕は部屋を思わず見渡した。

 立派な大きな絵、僕の背より高い柱時計、そして様々な骨董品らしき物が部屋を取り巻くように置かれている。

 呆けたように立ちつくしている僕を見て、「どう、この部屋?」と九条院さんが訊いてくる。

「すごいです」とお世辞抜きに誉めた。

「そう」と九条院さんはうなずく。


「まあ、おかけください」

 広いテーブルの隅に三池さんは座り、手を差し出した。

 その向かいに僕と九条院さんは座った。

「令さん」

 三池さんが名前を呼んだ。

 僕もレイだけど、これは違うと思い、横を見た。

「はい」と九条院さんが返事をした。

「実はですね、こちらのお嬢さんも自分のお名前を、『九条院レイ』だと言っておられるのですよ」

 僕は九条院さんが驚くだろうと、顔を見上げた。

 だが、彼は僕の苦手な顔で笑うだけだった。

「それはいいや。面白いな」


 三池さんはそうした彼の態度に慣れているのか、特にうろたえることもなく、話を続ける。

「しかもですね、このお嬢さんも記憶喪失で、昨年の六月に保護されたそうなんです」

「えっ! そうなの?」

 今度は九条院さんもさすがに驚いたようだった。

「同じ時期に保護された二人が記憶喪失で同じ名前を名乗っているなんて、何か関係があるとは思いませんか?」

 九条院さんは腕組みした。

「関係があるのかもしれないけど、他に手がかりもないしなあ」


 僕はその言葉に腕時計型の装置と口紅のことを思い出した。

 ああ、持ってくれば良かった、と後悔する。

 もしかしたら、彼もと思い、

「あのー、保護された時に、何か持ってた物とかありませんか?」と訊ねてみた。

「いいや、それがね、全くないんだよ」

 あっけらかんと九条院さんは答えた。


 あの装置のことは説明できる自身がないし、どうしよう、と悩んだ。

 と、あることがひらめく。僕は身を乗り出した。

「九条院そーけん、って知ってます?」

 その問いに、三池さんが反応した。

「ああ、それなら、うちの銀行が今度作ろうとしている会社ですよ」

「えっ? まだないんですか?」

「ええ、登記も済んでませんが、それが何か?」

「じゃあ、シグマという行員さんか、社員はいませんか?」

 三池さんは首をひねった。

「私も行員全員を知ってるわけではありませんから。けど、聞いたことない名前ですね」

「そうですか……」

 何か突破口が開けるかと思ったので、ちょっとがっかりした。

 うなだれる僕の横から、手が伸びてきた。

 びっくりして振り返ると、執事の男性のようだった。


 銀色のトレーでコーヒーを運んできたようだ。

 計算されたような手つきで、静かにコーヒーカップが差し出される。

「喫茶店の方なので、お口に合いますかどうか」

 三池さんがそう言い、僕を一瞥した。


「ところで、君の名前のレイはどんな字を書くの?」とコーヒー片手に九条院さん。

「いえ、字は憶えてないんです……」

「そう、それも僕と同じだね。僕は男だから法令の令という字に、ここの人が勝手に決めたんだけど」

「法令の令ですか?」

「うん、そう」

 鼻先でコーヒーの香りを気持ちよさそうに嗅ぎながら、九条院さんが答えた。


 三池さんは僕らを交互に見つめながら、

「うーん、思ったより話が進展しませんでしたね」と腕を組んだ。

「記憶が戻れば、全て解決するよ」

 九条院さんはコーヒーを傾け、暢気そうに答えた。

 この人、僕と同じ居候の身分なのに随分と態度がでかいな、とある意味感心した。


 しばし、広い応接間で三人はコーヒーを味わった。

 コーヒーを飲み終えた頃、

「あ、僕ね、来週から君の高校に行くことになったから、よろしく」と九条院さん。

「そうなんですか。こちらこそよろしくお願いします」

「まあ、名前も同じだし、縁もありそうだしね」

 九条院さんが僕にウィンクした。どことなく顔とミスマッチな気がした。

 僕は苦笑いをした。


 突然、応接間の外から華やいだ声が聞こえてきた。

 誰か帰ってきたような気配だった。

 複数の笑い声が近づき、応接間の扉が開いた。

 そこに立っていたのは、初老の女性二人だった。


「あら、みんなでお集まり?」

 その声に三池さんが席を蹴り立ち上がり、

「会長夫人様、お帰りなさいませ」と深々とお辞儀をした。

 会長夫人!?

 僕も慌てて立ち上がり一礼したが、九条院さんは座ったままだ。

 派手な花柄の洋服を着た会長夫人は、優雅に頭を下げた。


「あら、このお嬢さん、麗子さんのお若い時にそっくりじゃありません?」

 会長夫人の少し後ろに立った、もう一人の女性が会長夫人の肩を叩いた。

 顔を上げた会長夫人が、僕をゆっくりと眺めた。

 その表情に徐々に驚きの色が現れる。

「まあ、本当ね。ねえ、三池、このお嬢さんはどなた?」

 三池さんは見るからに返答に窮していた。

 彼は僕の九条院という名前しか知らないのだ。

 それを今ここで言うと、話がややこしくなりそうだ。


 そこに九条院さんが助け船を出す。

「この子は僕の友だち。日比野さんっていうんだ」

 二人の女性は、珍獣でも見るかのような目つきで、ためつすがめつ僕を見つめる。

 僕は前髪をどうしてもいじりたくなり、左手でわさわさと触った。


「生き写しとはこのことね」

 後ろの女性が言うと、会長夫人は大きくうなずいた。

「ほんと、他人の空似ってあるのね」

 ひとしきり、僕を見て満足したのか、二人は応接間を後にした。

 廊下から、また二人の笑い声が漏れてくる。


 九条院さんは声のする廊下のほうをあきれ顔で見やった後、僕を見た。

「どうも、お騒がせしたね」

「三池さんの言われたとおりなんですね」と僕が言うと、

「本人が言うくらいですから」と三池さんは苦笑した。

 それから、三池さんは柱時計を見て、

「そろそろ私は銀行に戻らないと」と言った。

「じゃあ、僕も帰ります」と腰を上げた。

「えっ、もう帰るの?」と九条院さんは名残惜しげな目をした。

「すみません。肩もまだ痛むので」

「うーん、まあ来週から学校が同じだし、いいか」

 九条院さんも立ち上がった。


 玄関を出ると、強い雨が降っていた。

 風もかなり吹いている。

「お嬢さんは、お店まで送ります」

 そう言い捨て、三池さんは車に駈けていった。


 九条院さんと二人、玄関ポーチで待つ。

 大きな雨粒が落ちてくる空を九条院さんは見上げた。

 僕も同じ空を見上げた。

「ねえ」

 九条院さんが空を仰いだまま、声をかけてきた。

「何ですか?」

「二人でこんな天気の日に、ここに立ってたことがあるような気がしない?」

 九条院さんの目が僕を見る。


 僕は、灰色の空を見上げ、思い出そうとした。

 その時、突風が吹いた。

 僕は慌ててスカートを押さえ、風に耐える。

 後ろで大きな音が聞こえ、振り向くと、玄関先の植木鉢が倒れていた。

 その光景に、デジャヴュのような既視感を感じた。


 僕は九条院さんを見上げ、

「僕も、そう思います」と答えた。

「やはり、君と僕は縁があるのさ」

 九条院さんはそう言った。

 僕の苦手な笑顔で……。


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