第五話・始まりの歯車
フォーラにとって、後宮は自分の縄張りだった。
ロナードが王太子の頃から妾妃としてそば近くに仕えていたのだから、その認識はけして間違ってはいない。ロナードでさえ、それ自体を否定することはできないだろう。
ただ、いずれは王妃宮(後宮とは別に王妃には専用の居宮が存在する)の主になる―――つまりは王妃になると思いこんでいたのはいただけない。
王妃になるのは王族か公・侯爵家の令嬢と決まっている。厳密にいえば、王族と縁戚関係にある貴族の令嬢だ。
ラフェダ伯爵家は王族との血縁はない。資格そのものがないのだ。
教育がどうだったかは知らないが、フォーラは自分が王妃になると思いこんでいた。第一王子を生んでいたことも思いこみに拍車をかけた。
だからこそ、レオノラはフォーラにとっては自分が得るはずだった物を奪った女でしかなかった。
それが、どれほど歪んだ解釈であり虚構であったかとフォーラは欠片も気付かない。
エリーサが生まれてから疎遠になり、ナティーシャにばかり信を置くロナードに不満が募っていた。
レオノラが王宮から出てからは好機とばかりにすり寄っていたものの、全て無視されていた。それにさらに不満は募り、息子に対する厳しい態度に的外れな憤りを感じていた。
だが、フォーラとて伯爵令嬢として後宮に入ることを前提に育てられていたのだ。
その負の感情を率直にぶつけるようなことはしない。相手に筒抜けかどうかは別として。
だから、ようやくロナードと会談出来た時も、必死に媚を売った。
アロルドから買った香をドレスにたきしめて、自らの欲望と固定概念を本人的には遠まわしに押しつける。
ロナードは、呆れたように溜息をついた。
この場には、紅茶をいれて侍女が出て行ってからはロナードとフォーラの二人だけだった。
エドガーも侍従もいない。
その方が、フォーラも好き勝手に出来るだろうと思ったからだ。
好き勝手にすれば、その言動によっては最低でも幽閉を命じる理由が出来る。
いい加減、本当にロナードは鬱陶しく思っていた。
「…ですから、陛下? 王太子を早く決めれば、貴族達の動きも収まるではありませんか」
「王太子の件は考え中だ」
「リグジッドの何が不満でございます? 確かに少々好色なところはございますが…」
「それで、どれほどの女が泣いていると思う?」
「まぁ、陛下。第一王子のお手つきでございます。名誉に思うことさえあれど、悲嘆にくれる理由がどこにありましょう」
「…そういう風に思えぬ者もいるのだ」
「女官は王家に身も心も捧げて仕えるべきでございます。不満を申すような不敬者、早々に罰しておしまいになられるべきですわ」
この問答は、かつて幾度も繰り返した。だからこそ、鬱陶しい。
ある意味、フォーラの言い分は正しい。だが、それは民の人格や心を無視しているのに等しいのだ。
それがまかり通り、民が当然として受け止めていた時代は過ぎ去ろうとしている。まかり通る国はあるが、ルックロワーズではもう古い。
フォーラの認識を変えようとする努力はロナードもして来た。古参の女官もだ。
だが、フォーラの認識は強固で、それを覆すことはできなかった。
何時しか、ロナードも古参の女官達も諦めた。元より、フォーラは自分より身分の低い者の言葉に耳を傾けようとはしない。レオノラが来るまでは、フォーラの上にはロナードしかいなかったのだ。
正確には、エドガーや大臣クラスはフォーラよりも上なのだが、全て伯爵以下なのが災いした。誰の諫言も忠告も妬みなどだと思いこんでしまうのだ。
いい加減、ロナードが会話を拒否するようになってしまうのもいたしかたない。
「…フォーラ、用件はそれだけか?」
「え?」
「王太子の件については、すでに答えを出している。なら、もう戻るぞ。仕事があるからな」
「陛下!」
事実、ロナードは多忙極まりない。
時間をあけて話を聞いていたのに、内容は欠片も変わらない。
必死に追いすがるフォーラにため息をつき、しばらく離宮にでも静養を命じようかと口を開いたロナードは、その瞬間にめまいを感じた。
(なん…だ…?)
口を動かした気でいたが、疑問が音となって発せられることはなかった。
視線だけを動かしたロナードは、フォーラの笑みを見た。
怪しげに歪み、何かに取りつかれたような影のある笑みだった。
それを記憶の最後に、ロナードは意識を失った。
二時間後、ロナードはエドガーに起こされた。
疲れの為に寝入ってしまったのだとフォーラは女官に告げたらしい。
エドガーは不審に思ったものの、ソファに横たわって眠るロナードにおかしなところはなく、さすがにそこまで非常識ではなかったかと思いなおした。
それはローサがルービンス達とともに王宮を出る前日の話。
それから数ヶ月後、巻き起こる騒乱を誰も予見できなかった。




