第四話・慧眼の妾妃
ローサは、この現状が理解できなかった。
自分が置かれている現実が、受け入れられない。
(なんなの、これは…)
目の前には、仲良く戯れるアデーラとマイクがいる。何とも微笑ましい。
他の女官達が思わず笑みを浮かべて優しい眼差しを向けるほどに。
ローサにとってはぬるま湯で生きる箱庭の人形としか思えなかったが。
ローサの姿は、昨日までとは違う。
アロルドと会ったあの日から十日。
昨日、唐突にフォーラの宮を訪れたナティーシャがローサを買ったのだ。
その際、王の伝言を持って。
王の指示した日と時間に会う、という話に不機嫌だったフォーラがバカみたいに上機嫌になった。その直後の、商談にフォーラはあっさりと頷いた。
特に疑問をもたず、不審に思わずに。
奴隷をどう扱ってもいい者としか思っていないフォーラを理解していたから、ローサがそれを気にすることはなかった。だが、唐突に面識のない自分を引き取るナティーシャの思惑が分からなかった。
当のナティーシャは姪と孫の中睦まじい様子を無表情に見つめていた。
古参の女官曰く、柔らかく微笑ましそうに見つめているらしい。ローサには全くわからない。
ローサが身にまとっているのは、質素なワンピースだ。ただ、材質はかなり良質な物である。
生まれは悪くないローサは、それがどれだけの価値なのかを知っている。
さらに言えば、自分と色違いのワンピースをアデーラが着ていることから最高品質であろうと推測できた。自治領は結構裕福な土地だ。並の公爵より財産がある。
「どうかなさいました?ローサさん」
呼ばれ慣れない言い方に振り向けば、可憐、と評すべき美貌が予想通りにあった。まだ幼いながらも、清楚可憐を絵にかいたような少女キャロラインは人数分の紅茶をトレイにのせて持っている。
「…いいえ。あの、キャロライン様…」
「はい?」
「それは女官の方々のお仕事では?」
「はい。ですが、わたしは自分でするのが好きなんです。ですから、お仕事を取ってしまって申し訳ないとは思うんですけど、わたしがいる間は皆さんに休んでもらうことにしてもらったんです」
誰に、とは聞かずともわかる。ナティーシャにだ。
にこにこと笑って紅茶をテーブルに運び、並べていくキャロラインにローサは何とも言いようのない表情を浮かべた。
(第四王子ファルドス殿下の婚約者で、従妹。没落寸前のソノリア子爵家の一人娘…)
未来の王子妃が、給仕の真似事をするのは良い印象をもたれにくい。
ましてや、半ば没落している下位貴族の娘ごとき、と見下される要素があるのだから毅然としているべきだろう。
ローサはそう思う。
ファルドスは現在第二王位継承者。何かの拍子に王になってもおかしくない立場だ。
それを分かっているのだろうか、とローサは若干いらついた。
「ローサ」
静かな声で呼ばれて見ると、ナティーシャが同じく静かな視線を向けていた。
「こちらへ」
命じられたわけでもないが、不思議な吸引力があるように感じられた。
自然に足が向いたことに少し不満を覚えながらも、反抗する理由も出来る立場もないことを理解して歩み寄る。
風呂に入れられて清められ、髪を梳いて結い、清潔で良質な衣服を身にまとう。
それでも、首にはめられた鉄の首輪と垂れる鎖はそのままだ。
どれだけ待遇が良くても、ローサは奴隷だった。
この瞬間までは。
ガチャン。
「は?」
近づいて足を止めると、ナティーシャが立ちあがって手を伸ばしてきた。
何をするのか、と思っていると鈍い金属音がした数秒後、ローサは首元が軽くなったことに気付いた。
「貴方は今日から、アデーラの学友として過ごしてもらいます。アデーラの部屋の隣に、貴方の部屋を設けました。一通りそろえましたが、足りない物があれば言いなさい。都合がつけば用意しましょう」
「…どういうことですか?」
「私は貴方の身分を買って奴隷から市民にし、アデーラの学友として目の届く範囲においたのです。それだけですよ」
「そうではなく、どういうつもりですか」
「…そちらの思惑は知りません。どうでもいいんです。この国の害にならなければ」
そちら、という言葉に息がひきつり、鋭くなったナティーシャの眼差しに体が凍ったように動かなくなった。それにわずかな恐怖を感じながら、ローサは意地で視線を逸らさない。
そばにいたキャロラインはいつの間にか、離れたところで寝そべって本を読んでいるファルドスのそばにいる。
ちなみに、ルービンスは日課の鍛錬でいない。
「ある程度、そちらのことには予測を立てています。確証はありません。ですが、陛下には既に申し上げています。そちらの思惑にこちらが乗ることも転がされることもありません」
不確定である、と言っておきながらきっぱりとした言動にローサは祖国の無能達に内心で思いつく限りの罵倒を吐く。
「貴方は非常に聡明です。自らの意思でそのような立場に身をやつしたようには思えません。さらに、貴方には何やら思惑があるようですね。個人的な」
「どうして…」
「…人よりも『眼』が良いだけですよ」
言いながら視線をアデーラとマイクに向ける。その瞳がほんの少しだけ柔らかくなるのに気付く。
「十日後、ルービンスとファルドス殿下、キャロライン様、アデーラが王女領へと向かいます。その時、貴方には侍女として同行してもらいます」
王女領、つまりはエリーサのところだ。
気になる存在ではあったが、会うことはないだろうと思っていたローサは驚きに瞳を見開く。
「これは勘になりますが、貴方とエリーサを会わせておいた方がいいと思うのです。そして、その後で、貴方は貴方の道を決めればいいと思います」
「どういうことですか」
「侍女としての仕事が、最初で最後ということです。…アロルド=ハリスを呼んでおきます。帰ってきたら、彼とともにお帰りなさい。…貴方方の思いと道が、未来につながることを願っています」
そう言いながら、ローサの首に何かをまいて背を向ける。
自室へと入っていくナティーシャを呆然と見送って、そっと首元に触れればひやりとした金属と石の感触、刺繍の施された絹の手触りを感じた。
長いこと首輪がつけられていたローサの細い首には、わずかにあざができていた。それを隠すように、チョーカーをつけたのだ。
そっと外して見て、ローサは全てを見透かされたような気がした。
銀細工に黒真珠、複雑な模様の刺繍と黒絹、留め具も銀だ。
黒真珠は自治領の特産品で、ロアヌ一族の財産だ。ナティーシャがそれを持っているのは何もおかしくはない。
だが、さっきまで奴隷だったローサが持っているのはおかしい。
もしも、ローサの背景を、出自を正確に理解しているのなら、おかしくはない。
そして、このチョーカーが示す意味合いは何とも重く、貴重だった。
(…背負うものなんて、自分とアロルドの命だけだと思ってたのに)
他人の眼差しと後押しがこれほど恐怖を抱かせるものだということを、初めて知った。
チョーカーを握りしめて、おそらくはあらゆることを『勘』で見透かしているであろうナティーシャに対して、腹立たしさを感じる。
(あたしが得ることのできなかった、あたしが望むことのできなかった、それらを平然と手にしてる…)
そこには並々ならぬ努力と覚悟があったと分かっているけれど。
湧き上がる負の感情に、握りしめた手が震えるほどに力がこもる。
(武王と慧眼が認める王女エリーサ、どんなものか見てやろうじゃないの…ッ)
ローサはエリーサの過去を知らない。
そこまではさすがに知ることはできない。
だから、突然登場して富裕な土地を与えられたおとぎ話のように幸運な存在、としか思えなかった。さすがに無能ではないだろうし、ただの箱入り娘というわけではないだろう、という思いもあるが。
湧き上がる腹立たしさをエリーサに向けることで、ローサは平常心を取り戻してチョーカーを再度つける。
その腹立たしさが、愛情を向けられず、案じられることがなかったために気付けなかった感情であると気付かない。
それは、思春期の子供が迎える反抗期、に感じる煩わしさだった。
親の愛情と優しさに対する、子供の照れや恥じらいに近い。それに気づくことは、きっとないだろう。
ナティーシャは自室で、自分の宝石箱を見る。
一部だけぽっかりと空いているのは、そこにローサにあげたチョーカーがあったからだ。
「あれの意味に、気付いているでしょうね」
黒真珠は自治領、ロアヌ一族を示す。
そして、それを与えたのは、国王ロナードの信頼厚い第三妾妃。
つまり、ローサ個人に対しる国王と自治領の後見だ。
ロナードの許可は得ている。弟にも許可は取った。
二人は、ナティーシャの眼を信頼している。だからこそ、正当な理由を聞けば拒否することは滅多にない。別に甘やかしているわけではない。ナティーシャから要求すること自体が少ないので、双方ともに叶えなければと思ってしまうらしい。
ローサの出自や立場には、色々と予測を立てている。
他国の内政に関わる気はないが、何かしらの強い後見がローサにとって必要不可欠になる時が来ると思ったゆえに与えたものだった。
そして、その時は、エリーサと出会うことで確かな未来になるだろう。
思わず、口元に笑みを浮かべたナティーシャは、これから訪れる変革の時代の中心になるだろう少女の眼差しを思い出していた。
…ちょっといまいちかな、と思うのでいつか改訂するかもです。




