第十八話・王宮の思惑
「……従兄上、いつの間にお子が…」
「分かっていて言っているな?アデーラ」
鮮やかな赤い髪の少女が、傍らのルービンスを仰ぎ見る。
ルービンスは視線を向けず、自分の足に抱きついている少年の頭をなでる。
「おじ上、どなたですか?」
「お前の従母だ。アデーラ=フェリス・ロアヌ=セドレスだ」
「アデーラおば上?」
「……姉上と呼んでやれ。アデーラはまだ十三だ」
「では、ぼくと五さい差ですね。よろしくおねがいします、アデーラあね上」
にこやかな少年に、反射的にアデーラはよろしくと返す。
「マイク=ロドル=ルノワレス。兄上の息子だ」
「えっ?!」
思わず、マイクの顔をまじまじと見てしまう。
アデーラのもう一人の従兄であるガハルド。
その悪評は南方諸島にまで届き、ナティーシャの人望が厚いだけに落胆は王宮に仕える人々の比ではない。
そして、アデーラもガハルドを嫌っていた。
一度会ったことがあるが、好色そうで自堕落そうなのが見て分かった。
それ以来、アデーラは近づこうとすらしない。
「ごめんなさい……」
何も言わないアデーラに何を思ったのか、マイクはしょんぼりしてしまう。
それにアデーラはあわあわと両手をばたつかせる。
「あ、あ、ち、違うんです!マイク殿下のことがどうとかではなく………」
何と言えばいいのか分からず口を開閉するだけで、言葉が出てこない。
視線がきょろきょろと動きまわる。
それに、マイクが不安そうにルービンスを見上げる。
「……アデーラは、兄上と違ってマイクが良い子そうに見えるから困惑しただけだ」
「従兄上?!」
結構、ど直球に言い放った。
それをどう言おうか迷ったから言いよどんでいたのに、あっさりとルービンスはガハルドを非難した。
慌てるアデーラに対して、マイクはぱっと表情を輝かせた。
「ほんとうですか?!」
「え!?え、あ、はい。マイク殿下はとても賢そうに見えます」
頷いて思った通りに告げれば、嬉しそうな満面の笑みを浮かべてマイクはアデーラに抱きついた。
「うれしいです!ありがとうございます!」
「え、え?えぇ!?」
父親がけなされて嬉しい、というマイクにアデーラは再び困惑する。
助けを求めるようにルービンスを見るが、マイクを見つめて首を振るだけだ。
それで、アデーラは悟った。
ナティーシャに会いに来た数度以外で、アデーラは故郷から出たことがない。
だが、人を見る目は誰よりもある。兄弟中の誰よりも優れた審美眼を持つ。だからこそ、族長(ナティーシャの弟)は、長男でも長女でもなく末娘のアデーラを王国にやった。
その瞳で、アデーラは幼いマイクの心を見抜いた。それを思って、やるせない。
マイクの母は、ガハルドの乳兄妹シャルロット=ノアディス。妾で、ガハルドと同年。
乳兄妹である為か、少々考え方がガハルドに近い。さらに、第二王子の妾であり、第一子の生母であることを笠に着て、正室である伯爵令嬢を蔑ろにし、幅を利かせている。
そんな母の下で育つことを不安視したナティーシャが、祖母として孫を養育すると言って口出しを許さなかった。これが良かったらしく、非常に穏やかで優しい性格に育った。
父を非難されて悲しまないあたり、少しばかり性格は歪んでいるかもしれない。
第三者的な立場から物事を見ること。
一方の言葉だけを聞いてはいけないこと。
異民族の血を引くからこそ、誰よりも公平であること。
それらを含めて、多くのことをナティーシャはマイクに教えた。ただ、勉強だけではなく、遊びも率先してやらせた。マイクはまだ八歳だ。
遊び相手は、体力のあるルービンスが適していた。無口無表情なルービンスに懐くマイクを、ルービンスも女官達も可愛がっていた。
環境が良かった。
でも、寝起きするのは両親がいる離宮だ。
八歳の少年でありながら、かなり重い生活を繰り返している。
「殿下……」
「はい」
「私はここに来て日が浅いのです。よろしければ、案内していただけませんか?」
「!はいっ!」
笑い合う二人に、ルービンスも珍しく笑みを浮かべる。
手を握った二人は、姉弟にしか見えない。
微笑ましい光景に、通りがかった女官達も瞳を細めて笑っている。
十数年後、二人がある誓いを立てることを、この時、誰も知らなかった。
※※※
ガシャンッ!!
王宮の一角で、何かが割れ砕ける音が響いた。
控える女官達が身をすくませる。
「どうして、陛下はアレばかりを…ッ!」
王妃に次ぐ側室として、豪奢で大きな離宮を与えられているフォーラは、贅を尽くした調度品に囲まれて過ごしていた。
自分の子、リグジッドが王太子になると信じて疑わない。
そして、多くの貴族が同じ思いだった。
女癖の悪さはいかんともしがたいが、文武に優れているのは事実だ。
見栄えが悪く、良いところも思い浮かばない第二王子。
武勇のみに優れる無表情な第三王子。
影の薄い第四王子。
後ろ盾のない第一王女。
これらを比べれば、誰を支持するかは自然と決まってくる。
エリーサの事実を知らなければ、なおのこと。
たとえ、王がエリーサをと望んでも、現状、最有力はリグジッドだ。
後見であるラフェダ伯爵家が、非常に豊かな貴族であることも理由だろう。
「いつになったらリグジッドを王太子にしてくださるのかしら!!」
王太子の選定はこれからを見定めて、と公言している。
リグジッドを王太子にするなどとは一言も言っていない。まして、現状、ロナードがリグジッドを王太子にする可能性はとても低い。
エリーサの存在もそうだが、悪癖のせいで極大の雷が落ちたところだ。
それで、王太子に指名されると思う方がおかしい。
だが、フォーラはそれが当然とばかりに、不満を募らせて憤りを爆発させる。
「何をしているの!」
叱責が、部屋の隅にいる少女に向けられる。
鉄の首輪と鎖がついた、奴隷の少女だ。
全身傷だらけ、特に手や腕の傷が多く化膿もしている。
大きく震えた後、意図を察したのか、いつものことなのか、よろめきながら床に散らばる破片に近づく。這いつくばって一つ一つ丁寧に拾っていく手は、治りきらない傷からしびれるような痛みが広がり、震えている。
それを蔑んだ眼差しで見ていたフォーラの口元が、ふいに歪む。
グシャッ。
「………ッッ!!」
声にならない悲鳴が上がる。
フォーラの足が、少女の手を踏みにじっていた。
今まさに破片を拾おうとしていたため、やせ細った手に無数の傷が新たに増えた。
血が広がる。
少女はうずくまったまま、小刻みに震えるだけで何も言わない。
いや、言えない。
奴隷は主から許されたこと以外、出来ない。
少女は声を発すること、言葉を紡ぐことを許されていない。
だから、どれだけ痛くても、苦しくても、少女は悲鳴を上げない。
体重をかけて踏みにじり、叩きつけるように踏みつける。
数回それを行い、ようやく満足したのかふんと鼻を鳴らして、背を向ける。
「綺麗にしておきなさい」
少女は震えながら小さく頷く。
「……靴が汚れたわ。新しいのを出してちょうだい」
「かしこまりました」
女官達の誰も、少女を気にとめない。
奴隷は主の所有物。
気に留める価値はない。特に、フォーラに従う女官達はほとんどが裕福な貴族や騎士の家出身だ。極端な思考の血統・身分主義ばかり。
少女を捨ておいてフォーラ達は部屋を出て行った。だから、誰も気付かなかった。
一人になった少女が、震えるのをやめて何事もなかったように立ち上がったのを。
「……愚かな女……」
心の底からの侮蔑をこめた呟きとともに、少女はうっそりとした暗い笑みを浮かべた。
伸び放題の前髪の隙間から、濃い朱色の瞳がのぞいている。
らんらんと輝く瞳は、深い憎悪と嫌悪が宿っていた……。
ほのぼのとどす黒い空気が……。




