第六話・見つめるべきは Ⅱ
エリーサは何とも言えない表情で通りを見つめている。
その隣で、ロイが楽しそうに笑っているのが妙に癇に障って仕方がなかった。
下町からさらに奥、花街に近い地下街(犯罪者などがたまる区画のこと)の入り口に立っていた。
「ロイ……」
「なに?」
「私は、確かに見ていないところに行きたいと言ったけれど……」
「ここは見てないだろう?それに、ここで生きる人も民だ」
諭すような言葉に、エリーサは瞳を見開く。
ゆっくり、言葉がしみこむような感じがして、息をつく。
「……差別を、していたつもりはない」
「うん。オレもそう思う」
「命はすべて等しいと考えている」
「素晴らしい考えだ」
「…ただ、それは心の底まで浸透している思いではなかったと、今知った」
「そう。知れて良かったじゃないか」
「自己嫌悪が半端ないんだけど……」
「別にいいんじゃないか?それに浸りすぎなければ」
「どういう……?」
「浸り過ぎれば、しなくてはならないことを見失い、自滅するだけだ。自分しか見えていないってことだからな」
「ぅっ……」
ざっくりと斬りつけられたように感じて、エリーサは胸を押さえてうめく。
「落ち込むのは後で出来るから、さっさと行くぞ」
「傍若無人……」
「あんたんとこの法務官の方が、よっぽどだと思うけど?」
「………否定できない」
もっともなことを言われて黙り込む。だが、ふと疑問が生まれる。
「…どうして、知ってる?」
「何を?」
「法務官のこと」
「…あぁ、下町では有名だからな。本人が」
言われて、再び納得してしまう。
ベレニセを勧誘に行った時の反応を見れば、下町一帯で知られているのだろうことは分かる。
(……意外に素直だな…)
納得したように頷いているエリーサに、ロイは内心呆れる。
素直に受け止める理由があったにしても、あっさりと信じるのはいかがなものか。
(しかも、信じすぎだろう…)
ちら、と視線を落とせば、上着の裾をつかむエリーサの手が見えた。
ロイは、それに苦笑をこぼすしかない。
おそらくは無意識であろうその行動を、咎める気はないが、ロイとしては戸惑う。
エリーサに近しい立場と環境に生まれたロイにしてみれば、信頼していない人間にすがるのは甘すぎる。隙を見せることになり、かなり危険だ。
(王女である自覚ってあんのかなぁ……!)
いささか不安に思いながら、何かを思い出す。
ロイには、シュヴスに来る前から一つの疑問とエリーサへの疑心があった。
もしかしたら、という思いが浮かぶ。
不安そうにしながら、地の力が緩む気配のないエリーサに頭をかく。
「……それより、こっちの方が安心だろ」
「ぇっ?!」
小さな手を握って、歩きだす。
戸惑う声を上げていたが無視して、ロイは小さな手の感触に疑心を確信へと変える。
内心で、得た確信に満足していたから、ロイはエリーサの顔が真っ赤になっていることに気付かなかった。
※※※
「こういったところは、どこにでもある。王都にもあるだろう。だが、貴族達は汚点として粛清したりしている」
「理由は?」
「汚点だから」
「…それだけ?」
「表向きは、治安の悪化。その原因が地下街にあるから、住民を捕縛して処罰、追放、処刑などしたわけだ」
「…逆に治安の悪化につながると思うが…」
「その通り。理不尽に追い出された住民や身に覚えのない罪で処罰された者が、キレて街で暴れたりする。それによって国軍の介入を受け、不正を摘発されて破滅した貴族は少なくない」
「無理矢理に、理不尽に行えば、歪みが生じる。その歪みの結果を受けるのは日々を生きている民だ」
「追い出された者も民。どうあっても貧富の差はなくならないのだから、大きな歪みを生まないようにするのが領主の勤めなんだ」
「……小さな歪みは、良いのか?」
「全てを把握して対処できるんならすればいい。だが、人間である以上は、全てに対応することは不可能だ」
「そうだな……」
良くあること。
そう締めくくったロイに、エリーサは唇をかむ。
悔しそうにしているエリーサに、ロイは声を柔らかくして囁く。
「ラフィーは良くやってる方だけどな」
「へ?」
「何より、民の手と力を求めて声をかけたのは評価に値する」
「当然、だろう…。政治とは民がいなくては意味がない」
「……それを当然と言うのは、ラフィーぐらいだと思うぞ」
苦笑して言えば、エリーサは眉をひそめて首を傾げる。
王侯貴族にとって、民は駒にすぎない。そうではないと言い切る王侯貴族は少ない。というか、異常とすら言える。
「あの子は…」
エリーサがふいに気付いたのは、薄汚れた建物のわきから出てきた少女だ。
ぼろぼろの衣服を纏った体は垢だらけで黒く、髪は長い間梳かしていないのかぼさぼさだ。
その細い首には、鎖の付いた鉄の首輪。
「奴隷だな………あそこは…」
忌々しそうに眉をひそめるロイは、建物を見て小さな舌打ちをこぼす。
エリーサも、少女が奴隷であることは分かった。だが、その姿に怒りがわく。
奴隷は人として扱われないことが多く、家畜のようにされるのが多い。だが、奴隷は一種の財産と考えられ、先代国王の時に奴隷への非人道的ふるまいは禁止されている。なら奴隷という呼称をどうにかしろ、という声も上がったがぐだぐだのまま今日に至っている。
今、エリーサ達が見ている少女は、あきらかに人として扱われていない。
十歳にもならないような少女に、重い木箱を運ばせているのもそうだ。
思わず、動こうとしたエリーサをロイが引きとめる。
「何をしようとしている?」
「なにって……」
「あの子を助ける気か?やめておけ」
「なぜ?!どう考えても、あの子の状況は法令違反だ。悲惨な環境にあるのは一目瞭然だ」
「なら、法で訴えるべきだ。無理に介入すれば、お前は他人の財産を奪おうとした犯罪者になるだけだ」
「私は……」
「領主の権限を振りかざすのはなお悪い。職権乱用に加え他の貴族達と同類とみなされ、信じようとしていた民の心は一気に離れる。信じようとしていただけに反動はでかくなり、批判行動も出るかもしれない。たとえ、慈悲を持って少女を助けようとしたとしても、だ」
「それは……」
「あと、あの少女だけだと思うのか?あんなふうに扱われているのが」
「っ!」
「目先のことに囚われて、目の前の人だけを救うのか?領主であるなら、今よりも先を見据えて行動しなくてはならない。時には、哀れな民を見捨ててでも」
容赦なく、はっきりと告げられる言葉には何の感情もない。
だからこそ、エリーサはもう動けなかった。
ふらふらな足取りで戻っていく少女を見ながら、何もできなかった。
ロイの言葉が、悲しいまでに正しいと分かったから。
一切の感情を捨てた声でありながら、エリーサの腕をつかむ手はわずかに震えていたから。
けして、民を顧みず、見捨てることが正しい、とは思っていないのだと伝わったから。
視線を上げて、エリーサが見つめる先のロイの表情は無だった。
自分の無力さに泣きそうなっているエリーサは、その表情にわずかな既視感を得た。
いつか、どこかで見た。
そう思った瞬間、ロイは息をついてエリーサを見下ろした。
何もなかった表情に、苦笑が浮かび、思い出しかけた何かが霧散して消える。
再び手を握られ引っ張られて、歩きだす。
奴隷の少女が入っていった建物の前を通り過ぎて、真っ赤になって固まるエリーサを、ロイは引きずるようにして歩き続ける。
ロイに助けてもらった経緯を話した時に、ベレニセから情報をもらった。だから、気付いてしまった。
そこがなんであるか気付きながら、ロイが言葉を濁したその意味に。
通り過ぎた建物。奴隷の少女が入っていった建物。
いわゆる、裏宿、と呼ばれるもの。
娼婦専門の宿屋だった。




