第四話・容赦のない言の刃
市場をぶらついていれば、ぼんやりと市場を眺めている人影を見つける。
壁際に立って、丈の長い薄手の外套を羽織っている姿は、そういう職に間違えられても文句は言えない。誰が見ても、そうではないだろうと思える立ち居振る舞いをしていても。
青年は、人影に数人の男が近づいて行くのに気付きながら、面倒事はごめんだとばかりに素通りしようとした。
人影に違和感を覚えて、視線だけで確認するまでは、確かに見捨てる気でいた。
どうなろうが、青年にとってはどうでもよかった。
面倒事に関わって損をしたくなかった。
だが、見捨てるわけにはいかない事情が、人影にはあった。
その、深い紫色の双眸が、何を意味しているのか知っていたから…。
※※※
自警団の希望者を宿舎に収容し、面接を行っている間、再び気分転換に市場に出ていたエリーサは、深いため息をつく。
初めてのことに戸惑いと不安、憤りがわく。
うまくいかない現状が、自分の力不足だと分かっているだけに、落ち込む。
かなり暗い空気を背負い、背後の壁にもたれかかる。
位置が開かれている大通りから少し距離をとった場所で、時間は夕方前。
柔軟に市井の雰囲気になじむことができるとは言え、エリーサは知らないことが多い。
だから、この時間帯にこんな場所に立っていることが、どういう風にとられるか分かっていなかった。
「随分な上玉だな」
「こんなところに立ってるなんてもったいねぇ」
「店にはいりゃぁ、一番人気になれるだろうに」
ふいに、近づいてきた三人の男が、エリーサを取り囲んでニヤニヤし始めた。
下手に騒ぎを起こしたくなかったので、近づいてきても無視していたのだが、会話の内容に眉を寄せる。いまいち、意味が分からない。
口を開こうとした時、ごつごつとした手がエリーサの顎をつかんで上向かせた。
ゾワッ…。
向けられた下心や邪な思いで触れられたことに、エリーサの全身に悪寒が走った。
反射的に力いっぱい振り払った手が、高い音を立てる。
「あ…?」
男達の眉がつり上がり、不快気にこめかみが波打つ。
「客引きで立ってたんだろうが」
「生意気だな。客を選べる立場かよ」
ここまで来て、エリーサはようやく男達の言葉の意味を理解する。
カッと頭に血が昇る。
「違うっ!私はただ立っていただけだ!」
強い否定と拒絶を向けても、苛立った男達はエリーサの腕をつかんで引きずっていこうとする。
「んな言い訳、通用すると思ってんのかよ」
「金はちゃんとやるから、大人しく…ガッ」
唐突に、鈍い音を立てて男の一人が倒れる。
その背後に、剣(鞘に入ったまま)を掲げた青年が呆れた表情で立っていた。
「…ひとまず、その子の腕、離した方が良いぞ?」
「あ?誰だ、てめぇ……」
「通りすがり。関係ないけど、助けた方がいいかと思って」
「けっ、偽善者がっ」
「あ、酷いな。俺は、あんたらを助けようとして来たのに」
「はぁ?」
馬鹿にしたように笑う男達から、青年はエリーサに視線を移す。
「……悪いことじゃないが、一人で出歩くのは感心しませんね。それに、さっさと身分を明かせば事を納められたし、俺は出てこなくて良かった」
青年の咎めるような言葉に、自分が誰かを知っていると理解した。
見覚えのない人物が自分のことを知っているのは不安を駆り立てるが、言っていることは尤もなので、エリーサは押し黙る。
「ご身分を明かされよ。嫌ならば、俺がこいつらを叩きのめす」
民を傷つけられるのが嫌ならば自らの身をさらせ、と脅しのような言い回しだが、エリーサには選択の余地も反論の余地もない。
懐に忍ばせていた懐中時計を取り出し、紋章を男達に見せるようにして掲げる。
号外の時に、領主の紋章を記載していたので誰もが知っている。
図案にするならば山吹の花冠に太陽。懐中時計は、金の細工と橄欖石。
シュヴスの民には広く知らしめた。
腐敗の一掃とともに。
しばらく、懐中時計を睨むように見ていた男達は、さっと青ざめた。
自分達が、誰に何をしようとしていたのかを理解して。
ひっ、とひきつった悲鳴を上げて転がるようにして逃げ出す。
「………せめて、謝っていくべきだろう」
どこかのんきな呟きをこぼした青年に、エリーサは何とも言えない表情を浮かべた。
長身の青年をその表情で見上げ、何をどう問うべきか迷っていると先手を打たれた。
「これ、どうします?」
示された先には、青年が殴り倒した男が一人。
「……別に、どうもしない。このまま放っておく」
衝かれたように溜息をついたエリーサに、青年は瞳を細めてふぅんと呟く。
馬鹿にしているようにも見える表情に眉を寄せると、青年は作り物めいた笑顔を浮かべた。
「ところで、領主様」
「……何か?」
「俺、今、貴方を助けましたよね?」
「……礼が遅れた。ありがとう」
「どういたしまして。で、感謝してくれるんだったら……」
ふいに視線を市場の方に向ける。つられて、エリーサも市を見る。
そろそろ、店じまいをする時間になって来た。
惣菜などを提供するような屋台はまだ営業を続けるだろうが。
「何か、おごってくれません?実は有り金全部すられて、すっからかんでして……」
ぐぅ~……。
タイミング良く、肯定するように腹が鳴った。
恥ずかしがる様子もなく笑っている青年を見上げて、エリーサは数秒ぽかんと呆ける。
わずかに感じていた不快感と不安が、吹き飛んだ。
我に返ったエリーサは、盛大に吹きだした。
※※※
惣菜をつめて蒸したパンを買って、広場に置かれたベンチに並んで座る。
(これ、ベレニセに見られたら説教コースだろうな……)
警戒心が足りない、と言われるかもしれない。
それを想像してちょっと暗くなりながら、隣の青年を横目で盗み見る。
美味しそうにパンを食べている青年は、すでに三個目だ。その手には紙袋が抱えられ、中にはまだ三つほど入っている。ちなみに、エリーサはまだ一個目、というか自分用に買ったのは一個だけ。
エリーサが一個食べ終わる頃、青年は最後の一つにかぶりついていた。
瞬く間になくなるそれに、男女の違いか、職業の違いか、戸惑いつつも感心する。
エリーサの周囲には、豪快に食べる男性はいなかった。イウリア達と食事を共にすることはまずないし、ガルビオン子爵家の従兄達ぐらいしか記憶にはない。位は低くとも侯爵家出身の母を持つ彼らは、非常に洗練された作法を身につけている。
青年が普通なのだろうが、エリーサにとっては珍しかった。
「久々に腹いっぱいになった。ありがとう」
「…いや、助けてもらったお礼だし、というか、大したものじゃないし…」
最初は敬語だった青年だが、街中であることを考慮したのかここに落ち着いてからは砕けた口調だ。
二人が食べていたのは、下町の子供が買って食べるようなものだ。安くて量もある、大衆料理だ。
七個買っただけでは懐は痛まない。というか、エリーサ個人に割り当てられた年間予算で見れば、使ったうちに入らない。
「聞きたいことがある……」
一呼吸の間をおいて、エリーサは青年を見上げて話を切り出した。
和んでいた空気が、瞬間的に張り詰める。
「なんだ?」
「何故、私のことが分かった?」
号外には、領主の姿を載せていない。特徴すら描写していない。
まず、一目でわかるはずがない。ただ一つの場合を除いて。
「いくつかあるけど、まず、無防備にあんなとこに立っといて、『商売じゃない』と言うところ、かな?」
「街の通りに立っていただけだ。それが……」
「時間帯も問題。そろそろ、花街が開く準備を始めている頃だ。それに合わせて、商売女が動き始める」
「………は…?」
「認可を受けている店で商売をする花女を、公娼と言う。それに対して、通りに立って客引きをして下町の裏宿(そういうこと専門に部屋を提供する宿)で仕事をする花女を、私娼と言う。つまり、法の認可を受けていない違法娼婦、それだと思われたんだよ。あんた」
エリーサが、絶句して固まる。
それに気付きながら、青年は笑みを絶やさないままに続ける。
「首から足首まで覆う外套も特徴。夏場に薄手とはいえ、体全体を覆うようにしているのは、商売のために華美で露出の多い衣服を身につけているからだ。……で、男達は間違えた、と。まぁ、あんたの雰囲気と顔立ちからいって、そうじゃないとまず思うだろうけど、あいつらは欲望が先行したんだろう」
「………雰囲気と顔立ち?」
ようやく反応が来たかと思えば、妙なところに疑問を持ったらしい。
青年とエリーサの視線が交わり、エリーサが本気で分かっていないことを知ると呆れたように溜息をついた。
「……公娼の花女は、花娼とも呼ぶ。花娼は、上になれば貴族の娘並の教養と作法を身につけている。それに、外見が整っていなくてはやっていけない。あんた、どう見ても下町の娘には見えない。よくて、地主とか富裕層の娘だ。だから、花娼と思われはしても、私娼……俗に言う娼婦だとは思われにくい」
自然に街の中を歩いていたり買い物をしたりしていたが、誰にも不審がられた事がなかったので、エリーサは驚いた。
服装は一般的な物にしたが、生まれた時から続けしみついた作法や振る舞いは、そう簡単に抜けはしない。
見る者が見れば、分かってしまうのだと、初めてそのことに気付いた。
眉をひそめて黙ったエリーサに、青年はわずかに口ごもってから続ける。
「つまり、顔立ちや雰囲気から娼婦には見えないけど、そうととれる行動…立ち位置と時間帯と服装をしているのに、『商売じゃない』と否定したことで、風俗に詳しくないお嬢様だ、と思った」
世間知らずのお姫様、と言われたも同然で、エリーサはちょっと落ち込む。
自分の認識不足にいらだっていたところを、ざっくりと斬られた気分だった。
「決定打は、その瞳」
「っ…!」
プリシラに教えられるまではエリーサも知らなかったこと。
王家の特徴であり、王族の血を引く証でもあるそれ。
「……市井では広く知られていないと聞いた」
そう、プリシラは貴族でも限られていると言っていた。
警戒するエリーサに、青年は金属板をかざす。
国によって微妙に形や施される意匠、記載情報は変わってくるが、それが示すものは同じだ。
記載されているのは名前と生年月日、出身国。裏には国の紋章と出身地の領主の紋章が刻まれている。
「ロイ=ベル=サヘイラス。サヘイラス伯爵家傍流の三男坊で、傭兵で稼ぎながら諸国漫遊中」
納得すると同時に、エリーサの頬がひきつった。
サヘイラス伯爵家は西の隣国、シェルドアース王国の貴族で、現国王の生母・王太后ジャネットの生家だ。公爵家よりも裕福で、当代……王太后の弟は有能な政治家で知られ、数年前、宰相に就任している。
確かに、それほどの家の出身なら知っていてもおかしくない。傍流の三男と言うのはいささか疑問だが。
というか、名門貴族出身でありながら傭兵稼業で生活し、財布をすられる、というのはどうなのか。
疑問に思いつつも、王女でありながら下町に出向いているエリーサは、人のことが言えない、と思いいたる。
「領主様」
思考に沈んでいたエリーサは、改まった呼びかけに意識をロイに向ける。
「一人で、うろつかない方が良い。あんたが思う以上に、この世の中は悪人だらけだ」
ぽんぽんと軽く頭を叩いて、ロイは立ち上がる。
「どうしても供をつけられないなら、『山猫亭』に来いよ。次の仕事が決まるまでは、護衛してやってもいい」
誰かに聞けば場所は分かる、と言って去っていくのを呆然と見送って、エリーサは唇をかむ。
無力に打ちひしがれているところに、追い打ちをかけられた気分だった。
何もできない何も知らない王女様はただ守られていろ、と。
蔑みさえふくんで、言外に突きつけられた気がした。
花女、花娼、裏宿、は勝手に作った言葉です。
・花女…花街の女。遊女、娼婦。公娼と私娼があるが、一般的には公娼のこと。
・花娼…文中通り、法で認められた花女。
・裏宿…店に所属していない私娼(娼婦)が使用する専門宿。
基本的に文中で説明してますが、一応……。




