第二六話・地下牢の誓約
諜報官。
敵情を探る官吏だが、存在は知られておらず、官吏としての籍もない。仕事柄、当然といえば当然だが。
司法取引によって元犯罪者がなる場合がある。その場合は、官吏ではなく密偵だが。
「……司法取引、ということですかな?」
「そうとってくれて構わない。ただ、二人の罪はさほど重い物ではないから、取引、というほどのことでもない」
だから、提案、という形をとった。
「…ルリアの罪も、ですか?」
暗殺未遂は軽い罪ではない。相手が王族であることを考えれば、死罪が妥当だ。
「私が訴えなければ問題はない」
あっさりと言い切った言葉は、ドナルドとルリアにとって信じられないものだ。
殺されかけたにもかかわらず、その罪を償わせようとしない。
あれほど、罪を犯して平然としていた官吏達を厳しく断罪しておきながら。
「実際、効果は出ていたがあの程度では死なない。それだけの耐性はある」
だから、別にかまわない。
二人は理解できなかった。
エリーサの言葉、何より、その感覚が。
二人を憎んでも、罵倒しても、おかしくない。それが当然だと言うのに。
憎しみも怒りも無いかのように、平然としている。
そして、官吏達を断罪した時を二人は思い出す。
エリーサが怒りをあらわにしたのは、民を苦しめたことに関してだけ。自身に向けられた者には一切触れず、毒を盛られた事実すらあっさりと流していた。
まさか、という思いが二人を支配する。
「罪状の確定している官吏達は、軍とともに王都に送られ、罰を受ける。あれらが犯したのは重罪だから、半数以上が死罪。軍人や内務は、終生労役だろう。だが、二人は明確な罪状がない。私の判断に一任すると父上から許可が下りた」
言いながら、エリーサは無造作に床に座る。
薄汚れた、地下牢の石床に。
「別に嫌ならそう言ってくれて構わない」
「……もし、拒否したら、わしらはどうなります?」
「罪人の刺青を彫って追放だな」
犯罪者は左肩から肘にかけて茨の刺青を施される。
追放や流罪になって命が助かったとしても、刺青がある限りはまともな家や仕事にありつけることはない。
ドナルド達は、それを恐れてはいない。
これまで、自分がしたこと、しなかったことを理解している。だから、罪を咎められた時に与えられる罰は甘んじて受けるつもりでいた。
刺青も追放も恐れない。
覚悟はしていた。
なのに、今、二人の覚悟が揺れた。
「わしらを諜報官にして、何を探らせようと思っていらっしゃる?誰を探ろうと?」
「別に。何も、誰も探ったりしない」
「では……」
「私は世間知らずだ。政治などしたことがない。司法も財務も軍事も商業も素人以前だ。だから、知っている者を集めた。だが、外のことまでは分からない」
「………外」
「他の直轄地、貴族領を私は知らない。だから、多くの土地を渡り歩き、知らせてほしい。どのような政策、制度、商業、産業が行われているのか」
「罪人の刺青を持つわしらに、それができると?」
「拒否した場合、のことだな。それは。受け入れてくれるのなら、刺青はしない」
「ずいぶんと甘い……」
「そうでもない」
エリーサは苦笑を浮かべ、少し考えるように瞳を伏せる。
「無罪放免にするわけじゃない。罪は罪として裁く。表向き、官吏や軍と王都に向かい、ドナルドは監督責任を問われて死罪になったことにする。ルリアは毒殺未遂で、だ。そうすれば、刺青をする必要はない。……お前達の戸籍は使えなくなるから、新たな、全くの別人として生きて行くことになる」
「別人……」
「チェスティ商店と契約している行商人、という立ち位置だ。プリシラには渋い顔をされたが、商人としては都合が良いんだろう。了承してくれた」
元凶はドナルド、と言い切ったプリシラにとったら、心の底から嫌だろう。だが、商人としての感覚からいえば都合がよく有益だと判断できた。
かなりの時間、熟考して渋々頷いたプリシラは、年相応の潔癖さと戦っていたのだろう。商人の理性が勝った結果に、しばらくぶつぶつと呟いていた。
暗雲を背負うプリシラに曖昧な笑みを向けて別れたエリーサは、ちょっと遠い目になった。
「長年、官吏として、代官として勤めたその手腕はけして伊達ではないだろう?そして、お前の手足となって暗躍していたルリアも、その実力は並大抵の物ではない。お前達なら、出来るだろう」
「お聞きしたい」
「何だ?」
「わしらが、そのまま行方をくらますとはお考えになられないのですか」
「考えた。考えて、その可能性は五分五分だと判断した」
「ならば、何故…」
「どちらでも良かった。これからチェスティアがシュヴスの商業を担っていくのだから、チェスティアの拡大とともに情報拠点を設ければ良い。お前達が絶対的に必要なわけじゃない」
「なおのこと、何故わしらにこんな話をなさる」
「政治を知っている者でなくては、政策も制度も把握はできない。結果、何が起きるのかも。正確に把握し、正確に理解できる者は、政治を知っている者だ。だが、私が声をかけた者達にはここでやってもらうことがある。それに、まだ若く経験が浅い。その点、ドナルドは心配がいらない。老人と孫娘の二人組なら、甘くみられるだろうしな」
ドナルドがうつむき、沈黙する。
わずかに緊張しながら、エリーサは反応を待った。
ルリアは、ドナルドを見つめている。その視線は、何かを決めているかのようだ。
「ふっ………」
ふいに、こぼれた声に、エリーサは首を傾げる。
徐々に震えた声がこぼれ、数秒後、高らかな笑い声が地下牢に響いた。
状況が分からず、エリーサは目を丸くしているが、ルリアは苦笑している。
「殿下」
数分して笑いがおさまったドナルドは、今までの好々爺とした笑みではなく老獪な笑みを浮かべた。
低い声で呼ばれ、エリーサは思わず背筋を伸ばす。
「貴方は賢い。そして、聡く、優しく、慈悲深く、行動力と決断力がある。だが、甘い」
褒めていながら、まるで断罪するように声は重く響く。
「貴方の言っている事には理がある。誰もが信じてみたくなるような正義と信念が。そして、それを現実にする力を持っている。足りなければ、補うために人を集める。自らが弱いことを知り、誰かに助けを求めることに躊躇わない。身分も家柄も血筋も、貴方の前には何の意味もない」
言葉だけなら、エリーサをたたえているかのように聞こえる。だが、その瞳はあまりにも厳しい光を宿し、エリーサを射抜く。
「だが、貴方はあまりに人を信じすぎている。人には悪意があり、下心がある。それは貴方自身がよく分かっているだろう。王族として生まれ、人の醜さは嫌というほど見てきただろう。なのに、貴方は人を信じている。信頼を向ける。それが当然とばかりに」
笑いが混じる。
嘲りではなく、困ったような、だが、どこか微笑ましげな笑いが。
未熟な孫を可愛がりながらも厳しく諭す祖父のような。
「貴方にとっての当然だ。それを貫かれると良い。だが、いずれ、貴方の当然と利用しようとする者が現れるだろう。その時、貴方は相手に向けた信頼を裏切られることになる。信頼に必ず信頼が返されるとは限らない。貴方は、それを分かっておられるか?」
「わかっている、つもりだ…」
苦笑交じりに、エリーサは頷いた。
「信頼は、与えれば返されるものではない。裏切られたその時は、きっと、私が信頼に値しなかっただけだ。だから、裏切る、というのとは違う。ただ、自分が人に信頼されるだけのことができなかったのだろうと思う。………でも、そうだな。お前の言う通りかもしれないな。私は、向けた信頼に同じだけの信頼を返されてきた。だから、理屈で分かっていても無意識に信じすぎていたのかもしれない。甘かったのかもしれない。お前が、忠告するほどに……」
はっきりと、向けられる耳に痛いほどの忠告。
そう、ドナルドはエリーサを諭していた。忠告を与えていた。
自分の甘さを突きつけられて、苦笑が自嘲に変わる。
「わかっておられるようで、よかった。では、分かっておられるな?」
再度の問いかけに、首を傾げる。
「わしのような、悪賢い腹黒な者が近くにあった方が良い。そう、貴方の、目や耳として」
数秒、エリーサはドナルドの言葉が理解できずに固まって、理解した瞬間、喜色を浮かべる。
「殿下。貴方の甘さや人を信じる心は、稀有な物。お忘れになられるな。貴方は貴方らしくあり続ければ良い。その先に、きっと、貴方が望む道がありましょう」
ゆっくりと、両手をついて平伏する。ルリアもドナルドに続いて、平伏した。
「我ら、今生、唯一の主と定めし御身が為、何時、如何なる時であろうとも御身の盾となり刃となりましょう」
「我ら、今生、唯一の主と定めし御身が為、何時、如何なる時であろうとも御身の目となり耳となりましょう」
「「御身の願いと望みこそが我が願いにして望み。終生の忠誠、お誓い申し上げる」」
「………貴方達の誓いに、相応しくなれるよう、精進をしよう。エリーサ=ラフィー=ルノワレスの名において誓おう。貴方達の信頼に、応えて見せる、と」
薄汚い地下牢。
二人の手足には鉄の枷。
誓いを掲げるのには不適切な場と姿。
だが、誰も入り込めない厳格で神聖な空気が満ちていた。
エリーサは知らない。
ドナルドとルリアが告げた誓いの言葉が、王への忠誠を誓う騎士の言葉だと言うことを。
二人は騎士ではない。
だが、この言葉こそが相応しいと思った。
誰に向けるよりも、エリーサにこそ、相応しいと思った。




