第二一話・かつての終わり Ⅳ
一見すれば軍人にも見えそうな強面のロゲリウスに、エリーサは口元に浮かべた笑みを深くして、視線を移す。
視線を受けて、イウリアが笑い返す。悪そうな笑みを見て、ベレニセはトラウマを思い出しかけた。
「殿下、よろしいか」
問いかけではなく、押しつけるような言葉に、エリーサはゆったりと頷く。
「……さっきのような愚言でなければ、構わない。発言を許可しよう」
「ありがとうございます」
まったくもってそう思っていないだろうことが分かる声。
わずかも動かないエリーサの表情に、眉間にしわを刻みながらロゲリウスは口を開いた。
「殿下は、いささか勘違いをしておられるようです」
「ほぅ……」
「内務と財務の罪は明らか。調査事実からみても厳罰に処されるのは当然でございましょう。ですが、私どもは陛下の信任によって官吏となった身です。それを、殿下が自己裁量によって処罰することはできません」
ロゲリウスの発言に、絶望に浸っていた者達がはっとして顔を上げる。
国王直轄地の領主は、当然ながら国王だ。代官によって統治されているが、国王からの統治を委託されているだけで、代官が領主なのではない。
直轄地の官吏は、貴族領などの官吏と同じく地方試験を受けるが、任命は国王によってされる。代官に任命権はない。その為、直轄地の官吏は王の信任を得ているという自負を持ち、他の地方官吏を見下す傾向があった。
エリーサは、納得するように一つ頷いた。だが、次いで発したのは嘲りの言葉だった。
「やはり、お前も愚か者か」
ロゲリウスの頬がひきつり、鋭い眼光でエリーサを射抜く。
「どういう意味でしょう」
「愚問だな」
「……っ」
「あえて言ってやろう、愚か者。勘違いしているのはお前の方だ」
「勘違い……?」
「……裁く時に言ってやる。ハーヴェイ法務官」
「はい」
エリーサが呼んだ名前と応えた声に、法務官達はロゲリウスを除いて一斉に固まった。
それを見て、エリーサ、ベレニセ、ライアンは何とも言えない感情が湧いた。
イウリアは一体、法務官達に何をしたのだろう。表情の変わらない三人は、内心で同じ疑問を呟いた。
ライアンと同じところまで上り、目が合うとフッと笑ってから官吏達を見渡す。
子供を見守るかのような笑みを浮かべていたイウリアが、ロゲリウスと目があった瞬間に笑みを変えた。
妖艶。そう称するのが相応しいほどに綺麗な微笑み。
それを横目で見たライアンは、逃げ出したくなるのをこらえた。
「最初からど真ん中行かせてもらいますけど、八年前に制定された納税に関する申請制度ですが、これ、制定された事実がないですね」
法務の上層部とエリーサ達を除いて、誰もがキョトンとした。
「制定と施行を民に伝えれば、誰だってそういう法律があると信じます。ですが、その法律が制定された事実がない、ということは法律そのものが存在しないことになります。……迂闊でしたが、私も去年新しく発行された領法書を見るまで存在していると思っていました」
微笑みが、深くなる。
凄味を増した笑みを直視した者達が、今にも膝から崩れそうになる。
「陳情や訴えがあっても通らないはずです。それに適応した法律がないんですから。ここで、疑問が生まれます。……何故、存在しない法律をあると言う必要があったんでしょう。ねぇ?法務部長?」
法の制定は、法が必要と判断された事柄を取り上げ、法務が案を練って幹部会議に持ち込み、審議された結果で決められる。国法なら王が臨席する御前会議で決められる。
直轄地は王の領地なので、王の承認を得て初めて法は制定される。さすがに御前会議は開かれない。
制定されるまでの過程を考えれば、実に壮大な嘘をついたものだ。
「ま、答えなくてもいいですよ。分かってますから」
馬鹿にしたように鼻で笑うイウリアに、ロゲリウスは奥歯をかみしめる。歯ぎしりが聞こえそうなほど、凄まじい形相になっている。
「陳情は、経営危機だから出されるんです。つまり、金に困っている家が分かります。その情報を金貸しや商業ギルドに流す。そうなれば、借金をしたり、自分にとって有益な商会や商団に属する商家や農場が出てきます。官吏と金貸しなどの間にあるのは金の動き…賄賂をもらう事が出来るんですよね?陳情は適当な理由をつけて却下しておけばいい。……自分の懐を潤すためには、ちょうど良かったんですよね?向こうから情報を持ってきてくれるんですから。民はまさか、官吏が自分達をだますために偽りの法を触れまわったなんて思いませんから」
悪辣にすぎる。
民の信頼を利用して私腹を肥やそうとしたその行動は、あまりにも非道。
調べて、推論が当たっている事実を目のあたりにしたイウリアは、法務の上層部を殺してやりたくなった。
イウリアは、王や貴族、官吏を信頼していない。政治や法に関わる者は、民を見下している。それが当たり前の現状を、よく知っている。生まれはシュヴスではないどころか、ルックロワーズですらないからこそ、行政と言うのはどこの国も変わらないと認識していた。
ただ、エリーサと言う存在に出会うまでは。
「……あんた達は、どうして官吏になったんだ」
イウリアは笑みを消して睥睨する。
綺麗事を言うつもりはない。イウリア自身が、綺麗事が嫌いだから。
「民を騙し、法を捻じ曲げ、私腹を肥やすためか。民を苦しめ、命を奪い、尊厳を奪って優越に浸るためか。信頼を裏切り、願いを踏みつけ、涙を嘲笑うためか。…………答えろ!」
厳しい、斬りつけるような一喝に、誰もが顔をそらした。
中には、視線を逸らさないまま悔しそうに眉を寄せている者もいる。
けして、全員が悪事を働いたわけでも、加担していたわけでもない。
出来る範囲で良心に恥じる事がないように働いていた者も、確かにいる。
そう言った者は、目を逸らさない。イウリアの糾弾を、まっすぐに受け止めている。
「良心に、自身に恥じることがない、と。自身の行いに悔いはない、と。そう言える者であれば、しっかりと顔を上げていられるだろう」
淡々と、感情を感じさせないエリーサの言葉に、反応は返らない。
だが、ロゲリウスが一歩前に出る。
「…綺麗事で、政治は行えない。そんなことも分からないのか、イウリア=ハーヴェイ」
怒りのためかわずかに震える声に、イウリアは眉を寄せる。
「分かっている。そんなこと」
「ならば、何故、分からん。今回のことも、そういうことだと」
「その域を逸脱してんだよ。政治に必要な範囲の不正じゃねぇ。私利私欲のための腐敗だ」
「政治を行うには金がかかるのだ!仕方なかろう!」
「なら、どうして飢える民がいる。商売ができなくなって首を吊る者が出る。政治を行う為の金だってんなら、どうして苦しむ民が救われない?どうして親を失って悲しむ子供が増え続けるんだ?納得できる理由を言えっ!」
「十年先を見据えた政治のため、今、現在で出る犠牲は些末なことだ」
ガタン。
ロゲリウスの言葉に、イウリアだけではなく、ライアン、ベレニセ、マリファ、プリシラが思わず動こうとした。怒りのあまり、後先考えずに。
だが、それを止めるように音を立ててエリーサが立ち上がった。
自然と皆の視線がエリーサに向かう。
今まで、酷薄な笑みを浮かべていた美貌が、無情だった瞳が、きらめくほどの殺意と憎悪を宿してロゲリウスを見下ろした。
平然と相対していたロゲリウスが、初めて、気おされたようにして足を引いた。
「……バカげたことを言ったな、愚か者」
氷そのもののような声に、イウリア達ですら凍りついた。
誰もが、呼吸すら忘れたように固まる。
「ハーヴェイ法務官の調査報告は、事実。言外にそう認めていたな?法務部長」
確かに、否定の言葉は出なかった。
正当化しようとする言葉はいくつも出てきたが。
「自身の罪を肯定したんだ。もう、事実確認も証拠も必要ない」
一歩、進む。
誰も、何も言えないし動けない。
「まだ、裁くべき罪は残っているが、ひとまず、お前達を裁くとしよう」
裁かれる前だと言うのに、それは死刑宣告のように重く響いた。
反逆者達。
放たれた声に、イウリア達は思わず瞳を伏せた。
同情したわけではない。
憐れんだわけではない。
重い意味を持つ言葉に、それを言わなくてはならない主に、敬意を示して……。




