第十九話・かつての終わり Ⅱ
夫を奪われたマリファと父を奪われたダニエルにとって、待ち望んだ断罪。
体を震わせながら視線を向けてくる存在に、エリーサは表情を崩さず、頬杖をつく。
「で、何が違うんだ?聞かせてくれ」
「わ、私ではありません!私は命じられただけでっ、ただ言われたとおりにしただけでっ、私はっ!」
「…内務部長、必死なところ悪いが、私には貴殿が何を言っているのか分からない」
「……は?」
「私は、九年前、と言っただけだが?」
ゆっくりと告げられた言葉に、ヴィドは頬を引きつらせた。
太りたるみきった頬を引きつらせる姿は、醜悪でしかない。だが、エリーサは眉一つ動かさず、言葉をつなぐ。
「九年前、貴殿が関わった何かがあったのか?命じられ、その通りに動いて、何かが起こった、と?それは何だ?何があった?……誰に、何をした?」
一段、低くなった問いかけに、ヴィドは理解した。
何もかも知られているのだと。分かったうえで、知ったうえで、問いかけている。
逃げ出したいほどの恐怖に、唇がひきつって声が出せない。
「言わないのか?なら、私から言おうか?」
わずか、声が柔らかくなった。
瞬間、体を拘束しているかのように重かった空気が軽くなる。もちろん、それは錯覚だったが、ヴィドは体の自由を取り戻したことに安堵し、本能に従って逃げようとした。
部下達の列をかき分けて、扉に飛びつこうとするよりも早く、扉が開いた。
「どこに行かれるおつもりです?内務部長」
冷ややかな、憎悪と殺意のこもった声に、前列に近い内務官が震え、ヴィドは数歩後ずさった。
後ろ手に扉を閉めたマリファが、殺意に満ちた眼差しでヴィドを見すえる。
「さぁ、元の場所にお戻りください。殿下のお話は終わっておりません」
言いながら、ヴィドの喉元に突きつけられたのは短剣の切っ先。それは、マリファが護身用に、そして、夫を殺した者を逃がさないために、常に持ち歩いていたものだ。
九年に及ぶその思いを知っているから、エリーサは一度瞬きをした。
一瞬、浮かんだ憐れみと悲しみを隠すために。
「退室の許可を出した覚えはない。戻れ、内務部長」
正面から向けられる殺意の眼差しと、背中に突き刺さるような鋭い声。
逃げ場はないと悟ったのか、ガタガタと大きく震えながら元の位置に戻る。だが、もう顔を上げることはない。上げられないのだろう。
「……私が知っている話は、推測と伝聞だ。だが、きっと、間違ってはいないのだろう」
貴殿の反応が証拠だ、と言い放たれてヴィドは呼吸すらまともにできなくなった。
「九年前、前内務部長ミルディオ=ノゥダスは、災害地区の視察中に二次災害に会って死亡した。だが、それが不思議だった。内務の長が、行く理由がないだろう?土地に縁もないのに」
誰も何も言わない。ただ、マリファの瞳が、背後に戻って来たダニエルの気配が、エリーサの声に全神経を傾けていた。
「考えたのは、何者かに呼び出されたかもしれない、という可能性。危険な場所に呼び出されれば誰もが警戒する。まして、彼は三十代前半で内務部長になった有能な官吏。罠だと判断できただろう。だが、彼は赴いた。理由は、呼び出された内容だろう」
プリシラは息をのむ。
自分とともに推測したことだ。だが、詳細までは分からない。
その詳細を告げようとするエリーサに、どうして知ったのか、という疑問が浮かぶが、告げられた内容に怒りが思考を支配した。
「一人息子の命、最愛の妻の貞操と命。当時、実権をほぼ奪われていた彼にはその悪意を阻む術はなかっただろう。だから、呼び出しを受けるしかなかった。……だが、彼は本当に有能な人物だったらしい」
マリファの揺るがなかった視線がわずかに揺れて、唇をかみしめてうつむいたのを見て、ベレニセは眉を寄せる。背後、垂れ幕の向こう側からわずかに漏れる嗚咽に、腰裏で組んだ手に力を込めた。
彼にとって二人が最愛なら、二人にとっても彼は最愛だった。それを思って、ベレニセはやるせなさを感じた。
「彼は、港街の出身だ。父親は漁師で、自治領との交流もあった。自然、自治領に友人ができた。その中に、現領主がいた」
ナティーシャから手紙がきた理由。
現領主はナティーシャの弟で、姉弟仲は非常に良かった。弟の友人であるミルディオと幾度か顔を合わせたことのあったナティーシャが、弟を経由して自分に託されたミルディオからの手紙を同封したのだ。
息子であるルービンスから、エリーサがファルドスに手紙を送ったこととその内容を知って、知らせるべきだと判断した。
不正の内容が詳細に記され、告発文で締めくくられた手紙。最後、数行の間をあけて、記されていたのは妻子を案じ思う言葉。
それを思い出して、エリーサの瞳が深い怒りを宿して煌く。
「不正の告発をした手紙を受け取った領主は、それを王の妾妃となっていた姉に渡した。直轄地に自治領の領主が口出しはできない。それは妾妃も同じことではあったが、王のそばにある分、問題が浮き彫りになった時に知らせやすいと考えたからだろう。今回、ようやく表に出た」
『貴方の成そうとすることの、一助になる事を願って』
ナティーシャからの手紙に書かれていた一文。
純粋な心配と応援を感じさせる。ナティーシャらしい、シンプルな言葉だと懐かしさがわく。
「ミルディオ=ノゥダスは事故死ではなく他殺だ。では、彼を呼びだしたのは誰だ?…当時、内務部長補佐をしていた貴殿ならば、知っているのだろう?ヴィド=ベンハミン」
答えられない。
それこそが答えだった。
「……貴殿が欲したのは、内務部長の地位か?それとも不正を告発されることを恐れたか?」
「ち、違います……私はっ」
「まぁ、どちらでも良い。状況から見て、実行したのは貴殿と貴殿の部下だろう」
ヴィドの後ろに立つ数人がビクッと大きく反応するが、黙殺する。
「誰に命じられたか、は別に言わなくとも良い。大体の予想はついている。だが………」
区切られた言葉の、先に何を言われるのか。
恐怖に震える数人に、エリーサは断罪の言葉を叩きつけた。
「私利私欲で人一人の人生を奪ったのは事実。貴殿……いや、お前達にはその罰を受ける義務がある。穢れにまみれたその魂、長らえることができるとは思わぬことだ」
すなわち、償いは命をもって。
助命などはあり得ない。
自身で犯した罪は自身の命でしか、贖えない。
突きつけられた自分の愚かさと罪に、ヴィドと他数人が崩れ落ちた。
それらから視線を外し、向けられた先には青ざめている細長い体躯の男。
「…ノーマン=ニール財務部長。次は、貴殿に話を聞きたい」
かつての断罪を終えて、次は、かつてから今に至るまでを。
容赦なく、躊躇いなく、振り下ろされる裁きに、誰もが身構えた。




