第十五話・いつかのために
馬屋の近くには、庭師や馬屋番が休憩所として使っている東屋がある。
そこに、いつも通り休憩に来ていたダニエルは、現状に多少混乱していた。
いつも一緒に休憩している馬屋番の老人や青年は、いない。馬屋に入って特に必要もないのに作業している。
理由は、ダニエルの混乱の原因であり、目の前に座って笑っている存在だ。
「………何か、御用でしょうか?殿下」
楽しそうな笑みを浮かべているエリーサは、軽い動作で頷く。
伝言を頼んだのは三日前。それから今日まで、エリーサはダニエルに近づこうともしなかった。
逆に、観察されているような視線をダニエルは感じていたが。
「頼みがある」
「……はぁ」
「来年、試験を受けて官吏になってほしい」
「…………………………はい?」
「人手が足りないんだ。財務、法務、軍務、商業とそろっているんだが、内務がいない。で、ダニエルに穴を埋めてほしい」
「いや、あの……」
「というか、何故庭師なんだ?官吏じゃなく?」
「え、それは……」
「親が親だから引け目があったのか?まぁ、分からなくもないが」
「で、殿下……」
「まぁ、ダニエルを推薦したのはマリファだからな。引け目を感じる必要もないだろう」
「母さんっ?!」
思わず立ち上がって叫んだダニエルに、エリーサは目を丸くする。
数秒後、自分が失態を犯したことに気付いたダニエルは、ゆっくりと座りながらうつむいてエリーサの視線を避ける。
「……いつ、気付かれました?」
「来て五日目くらいかな?」
「………さようですか」
「まぁ、似てるしな。マリファに」
「あまり嬉しくないんですが………」
「母親が嫌いか?」
「いえ、そうではなく。母に似ているということは、女顔だと言うことで……」
「あぁ、なるほど。別に女顔だとは思わないが?間違えられたことがあるのか?」
「ありませんが……」
「なら、良いじゃないか。親に似るのは当然なのだから、気にするな」
「はぁ、まぁ、そうですね……」
納得してから、ダニエルはなんかずれてないかと首を傾げる。
「で、話は元に戻るが、人手が足りないから官吏になってくれ」
ああそうだった、と若干の現実逃避を含めて思い、ダニエルは大きなため息をつく。
「別に、人手が足りないわけではないでしょう。内務以外がそろっているのなら、十分に補えるはずです」
「普通ならな」
「?どういう……っ」
顔をあげて問おうとしたダニエルは、ふいに気付いた。
一切、逸らされることのないエリーサの瞳が、その表情とは裏腹に笑っていないことに。
正面から見て、ダニエルは息をのんだ。
恐怖すら感じるほどに真剣な眼差しに、無意識に深く息を吸い込んだ。
込められた意思と考えを悟る。
「本気ですか?それが本当に可能だと思うんですか」
「できると思うからするんだ。そのために、ダニエルにいてほしい」
「……っ」
「試験に受かったからと言って、すぐに上にあげてやることはできない。でも、受かっていてくれたら、その先を望める。私が望み描いた平穏の姿を」
「…そこに、僕が必要だ、と」
「そうだ。そこに、ダニエルがいてくれたら完成する」
「…………殿下」
「なんだ?」
「母から、推薦されたとしても、よく知らない者を用いる気になったのは何故です?」
問いに、エリーサは小さく首を傾げる。
「……私は、マリファを信頼した。だからだ」
「?あの、どういう……」
「私はマリファを信頼し、マリファも私を信頼した。そして、マリファがダニエルを信頼して私に推薦した。マリファは親子の情で道理を曲げるような人ではないだろう?だから、私はダニエルを信頼する」
「………」
「用いる気はない。ダニエルは人間で、意思があるのだから、道具のように扱う気はない。自分の意思で動いて、最善と思われることを必要な時に行ってくれれば良い」
「………」
「その判断と行動を私は求める。求めていることを知ったうえで、マリファが推した。なら、信頼できる存在だろうとそう思った」
「……なるほど」
頷いて、感じた恐怖や緊張が消えて行くのが分かった。
(ある意味、恐ろしい人だ。ここまでの信頼を、ひたむきに向けられるなんて……)
少し臆病な人間だったら、この場から逃げ出しているだろう。
それほどに真剣で本気な声と言葉だ。
ダニエルがそれに対して得た感情の中には、確かに恐怖があった。だが、それ以上にあるのは、心地良い安堵だった。
「……母に言われ、庭師として勤めていました。監視するには好都合でしたので」
「だろうな」
女官や従僕が行政区に立ち入ることは許可がない限りはあり得ない。清掃係は立ち入れるが、その分、行動は厳しく管理される。
官吏が居住区に立ち入ることは同じように許可がいる。
その点、庭師なら庭伝いに居住区から行政区へと行き来ができる。
都合が良いのだ。どちらも監視するのには。
「ですが、いつかは父のように官吏になりたいと思って勉学は今でも怠っておりません」
一拍置いて、深く息を吸う。
瞳に力をこめて、見据えた先で笑うエリーサの瞳が、わずかに変化していく。
「ご期待にこたえ、必ず、来年試験に受かってみせます」
「……あぁ、待っている」
力の抜けた声に、ダニエルはようやく理解する。
エリーサは極度の緊張とともにそこにいたのだと。
拒絶を考慮して、それを覚悟しながらも、恐れていたのだと。
なら、命令すればいいのに、とダニエルは思う。
だが、もしも命令されていたのなら従いはせず、話を聞こうともしなかっただろう。
まして、そんな人であったなら、母が信頼し忠誠を誓うことなどない、と分かっている。
立ち上がり、笑みを残して去っていく主の背を見送る。
ダニエル=ノゥダス、今年十七歳になる少年は、母とともに仕えると定めた主に苦笑をこぼす。
君主などにはけして見えない、だが、誰よりもその資質を持っている。
何より、本人がそれを望まず、ただひたすらに平穏を望んでいる。
無欲で無自覚で不器用な主の小さな背中に、ダニエルは深く頭を下げて一礼した。
※※※
自室に戻ったエリーサは、金箔で縁を飾った高級紙に数行書き込み、封筒に押し込む。
王家の紋を封蝋に押し、壁際に控えていたルリアに渡す。
「出しておいてくれ」
「かしこまりました……っ」
宛名を見た瞬間、ルリアが小さく息をのんだ。それに、エリーサは気付かないふりをして一冊の本を手にとってテラスに出る。
読書態勢に入ったエリーサに一礼してから、退室したルリアは表情を一変させる。
おっとりとした穏やかな雰囲気は消えて、優しげな瞳には冷徹な光が宿る。
手紙を胸に抱くようにして、ルリアは唇をかみしめた。
テラスで、本で口元を隠したエリーサが、小さく笑っていることに気付いた者はいない。
様々な思惑をはらんだ策謀が、終結へ向けて加速しだした。




