第十四話・闇夜の誓約
女官頭マリファ=ノゥダスは今年で四六歳。結婚して官吏を辞めたのは十八年前。
物心ついた頃には孤児院にいたマリファは、農場に就職したがその環境は劣悪だった。
そこから抜け出すために、仕事の合間を縫って勉学に励み、官吏になったのが二一歳の時。
現在のベレニセ同様に、女と言うだけで見下され、雑用を押し付けられる日々。唯一、対等に接したのが内務部副部長だったミルディオ=ノゥダス、後の夫だった。
ミルディオ自身も独学で勉強して官吏になったため、マリファとは息が合った。
七年で距離を縮めた二人は、結婚して夫婦となった。翌年には一人息子をもうけ、さらに翌年、ミルディオは内務部長になった。
息子が五歳になり、女官として勤めるようになってから、違和感が起こり始めた。
当時の代官とミルディオはそれに気付き、対策を講じようとしたが、その前にモーリス商団の動きが表面化し始めた。
そうこうしている内に、代官の任期(原則は十年、特例で変動する場合がある)を終えてしまい、ドナルドが代官として赴任してきた。
以降、悪化する行政に手を加えようとしたミルディオは、他の部署の上層部に疎まれて、抑え込まれるようになった。
発言権も実権も徐々に奪われ、最終的にミルディオは事故死を装って殺害されている。
他殺である証拠はどこにもないが、マリファはそう確信していた。
だが、女官でしかないマリファには何もできない。
女官頭として居住区と生活環境を一手に任されているとはいえ、政治には何も口を出せない。
時間が過ぎて、ドナルドの任期が終わる直前、直轄地が唐突に表れた王女の領地となる事になった。
その時、マリファは王女の安全とともに人格と能力を見定めることをしようと決めていた。
わずか二週間、マリファは自分に協力する女官や従僕などの協力を得て監視していた王女本人に呼び出された。
※※※
太陽が沈んで数時間。
月が中天から傾き始めた頃、エリーサは来訪者の気配を感じた。
自分の寝室、ベッドの上に胡坐をかいて座るエリーサは、扉の向こうにいる来訪者に声をかける。
「伝言は、ちゃんと届いたらしいな」
声を合図にして、扉が開いた。
女官服に身を包んだまま、相変わらずの冷ややかな無表情でそこに立っているマリファは、ただ無言で室内に入る。後ろ手に閉められた扉に、エリーサは焦らない。
「不用心でいらっしゃいますね。護衛もなく、こんな夜中に二人きりとは…」
「貴方は、私に危害を加えようとする意思があるのか?」
「……あるとはお考えにならなかったのですか」
「考えはしたが、可能性は低いと思った」
「何故でしょう」
「監視が分かりやすすぎる。危害を加える気があるのなら、もっと上手く隠れるだろう」
笑みを浮かべるエリーサに、マリファは瞳を細める。
暗闇の中、互いの表情は見えていない。だが、わずかな空気の動きや音には敏感になる。
マリファは、エリーサが笑っていることに気付いた。
「何故、笑っていられるのですか?監視されているのは気分のいい物ではないでしょう」
「まぁ、そうだな。でも、そこに敵意がなかった。害意が感じられなかった。だから、もしかしたら、これはただの監視ではなく、知ろうとしているんだと思ったから」
「…………」
「貴方は、気付いていたんじゃないか?シュヴスで起きていること、その元凶、成すべきことを」
「…………」
「でも、貴方には権限がなかった。官吏を辞めて、女官になったから、行政に関わる事が出来なかった」
「…………」
「だから、協力者を得た。たとえ、協力者達も行政に関わる事が出来ない立場とは言え、少しでも手立てが欲しかった」
「…………」
「根底にあるのは、御夫君が亡くなられたことか……」
「…………」
一切の、返答はない。
だが、最後の言葉に、マリファは両手を握りしめた。爪が食い込み、痛みが走っても、その表情は変化しなかった。ただ、その瞳が揺らいだ。
「内務に関わった貴方なら、成すべきことを正確に成してくれるだろうと思っている。協力者に、私も入れてもらえないか?」
「………協力しろ、と仰らないのですね」
「私よりも先に見ていたのは貴方だ。貴方が築いていきた今だ。それを、王女だからというだけで私が横取りするなんてできるはずがない」
「お聞きしたいことがございます。お答えいただけましょうか」
「答えられることならば」
「……財務のライアン=ザウ、法務のイウリア=ハーヴェイ、チェスティア商店のプリシラ=チェスティア、軍務のベレニセ=リュフュス。それぞれに精通した者達をお集めになられた。その理由は……」
問いに、エリーサは小さく首を傾げて困ったように眉を下げた。
監視していたのは居住区だけではなかったのか、もしくはそれ以外のつてによる情報収集か。
気にはなったが、今、知らなくてはならないことではないので脇によけておく。
「それに関しては、偶然だとしか言いようがない」
「偶然?」
「ああ。最初、愚痴っているライアンを見つけた。次に、正論を貫くイウリアを見つけた。全て、ぶらついていたら見つけただけで、意図したものはないんだ」
「…………」
「二人から話を聞いて、商業が独占されて独裁政治のようになっていることに気付いた。だから、商業を知るためにライアンの知り合いの商人に会いに行ったんだ。それがプリシラだった」
「…………」
「プリシラと話した後、イウリアの知人であるベレニセに会った。最終的に、軍部の協力は必須だから、そのために有能な人材に会っておきたかった。ただ、それだけなんだ」
「…………」
全ては偶然で、意図はない。
それはエリーサにとって真実で、事実だった。マリファはそっと息をつく。
官吏として過ごした七年、女官となってからの十年以上。
経験の下、洞察されるのはライアンとイウリアがエリーサに向けた信頼の強さ。
わずか数日でも、彼らの中で何らかの変化をもたらし、何かを与え、心を動かした。
何も知らない、世間知らずで、王族としての暮らしを知らない無防備な王女。
そんな思いで、監視をつけ、見定めようとしていた。なのに、気配を消して動き、監視や護衛の兵をまき、自らの足で街を歩く。王族としての暮らしを知らないにしても、王女がするような行動ではなかった。
監視者もマリファも意外に思った。
何より、最初の食事、毒が盛られたことに気付きながらも完食した強さに驚愕した。
にっこりと笑いながら、ためらうことなく食べ進める。その姿を、間近で見ていたマリファだから、エリーサが一口目に毒に気付いて動きを止めたことに気付いた。
これに気付けたから、マリファはエリーサを無力な存在とは思わなくなった。
注意深く監視を続け、その行動や出会っていく存在に、マリファも協力者達もエリーサに対する感情が変化し、次なる行動を待ち望むようになった。
マリファも有能と評価していたライアンとイウリアを見出したエリーサに、少しずつ期待という感情が募っていく。
彼らの信頼を得て、歩き始めた。
自らの意思と足で。誰に言われたわけでもなく。
「殿下」
「エリーサで構わない」
「では、エリーサ様。貴方にとって、民とは何でしょうか」
唐突な質問に、驚きを浮かべることなくエリーサは言い切る。
「命であり力」
きっぱりと放たれた言葉に、マリファは息をのむ。
「かけがえのない、無二の存在。替えのきく駒じゃない。取るに足らない存在じゃない。民こそが、何よりも尊く貴重な、国家の財産だ」
いつもと変わらない口調と声で、放たれた厳かな宣言。
マリファは深く息を吐いて力を抜く。緩やかに、口元に笑みが浮かぶ。
おもむろに、身じろいだ。
暗闇に慣れてきた目は、詳細はとらえることができなくとも輪郭と影を見ることはできる。だから、エリーサは驚愕に息をのむ。
ゆっくりと膝をついたマリファは、深く頭を垂れて礼を示していた。
「………王女殿下の気高きお言葉と御意志、お聞かせいただけて光栄に存じます。これよりは嘘偽りのない忠誠を持って王女殿下をお仕えいたします。何なりとご命令を、我が主」
宣誓に、エリーサは即座に返せない。
マリファの行動と問いかけがつながらずに混乱する。だが、唐突に気付いた。
自分は試され、民とは何か、という問いは最終問題だったのだと。
そして、自分なりの答えをマリファは認め、主として忠誠を捧げ仕えると誓ったのだと。
エリーサの心に、言葉にできない感情が浮かび上がる。
歓喜か、不安か。
どちらともとれるような感情の波が来て、わずか、エリーサは言葉を失った。
マリファは動かない。一礼した姿勢のまま、エリーサの言葉を待っている。
息を飲み込んで、エリーサはベッドから立ち上がった。
マリファの正面で立ち止まって、一度、深呼吸をする。
「………貴方の忠誠に感謝を。この地に平穏と安寧を築くため、どうか、共に戦ってほしい」
命令ではなく懇願。
それに小さく微笑みながら、マリファは瞳を伏せた。
「御意」
一言の頷きとともに、こぼれた熱い雫の存在をエリーサが知ることはない。




