第十一話・真実を悟る者 Ⅵ
基本、貴族の領地を守る軍は、その領地出身者が九割五分を占める。残りの五分は、貴族が私利私欲で軍を増強して内乱を招かないように見張るため、国軍から派遣された監査係だ。
対して、直轄地の軍は、国軍から派遣された軍人が七割を占める。
直轄地の利益はその半分を国家運営の財政、残り半分を王(もしくは王家)の私財として振り分けられる。その為、直轄地軍は王の私財を守る軍隊として厳しく制限される。
残り三割はベレニセのように地元から希望者を募って入ってきた者達だ。
地元出身者はある程度で出世を打ち止められ、警備兵としてほとんどが配属される。
それらの事情に、ベレニセは特に不満はなかった。
もともと、三割は地元愛と生活の安定のために軍に入ったものばかりだ。地元に密着できる警備任務を嫌がる者はいない。
だが、上層部である国軍から派遣された者達に見下され、使用人のように命令されるのは腹立たしかった。
「領地を守る軍より、国軍の方が上位にあるのは仕方ないことさ。領地だけを守ってりゃいいあたしらと違って、国と言う大きなものを守る義務と責任がある。それらは重いだろうさ。でもね、それを果たしもしない奴らに、とやかく言われんのが腹立つんだよ」
ベレニセの不満は、三割の兵の不満。そして、シュヴスに暮らす者達の不満だ。
「地位が高けりゃ何をしてもいいのかい?守ってやってるんだから文句を言うべきじゃないって?ふざけるんじゃない」
切れ長の瞳が苛烈な光を宿し、エリーサを通した『誰か』を見つめる。
それは軍の上層部か。腐敗した官吏か。独裁を貫く商業か。
もしくは、すべてか。
「地位が高ければ、比例して義務と責任は重くなる。それを果たしもせず、特権だけを振りかざす。そんなの許されていいわけがない」
現状は黙認と言う形で許されてしまっている。
「守るためにいる者が、守るべき者を苦しめる。何のためにいるんだ。何を守ってるってんだ。それに文句を言って、何でいけない」
平和な時、それを保ち守るために存在する軍が、守るべき民を虐げる現状がある。
「行政の悪化に伴って、そういった感情が高まるのは当然だ。ここだって、他の貴族領と何も変わらない。行政が腐敗しているから、軍が腐る。それをどうにかしたいと思う者が上に行けない現状があるから、何も変わらない。それをどうにかすべき領主が何も知らない、知ろうとしないから悪化する速度は速まっても止まらないままだ」
けして、今だけのことではない。
ベレニセが募らせてきた怒りは、シュヴスの民だけではなく、他の領地や直轄地に暮らす民のものでもある。
何世代にもわたって、改善されることなく放置され、諦められてまかり通って来た、『当たり前』。
それを覆すには、ベレニセのように現状を憂いている者は力がなさすぎた。覆すための絶対権限を持つ領主が、何もしないから知らないから、誰もが諦めてきた。
ベレニセは瞳を細める。
糾弾に似た言葉を、ただ静かに真摯な瞳を向けたまま受け止めているエリーサを見る。
国王や領主の存在は、市井の民にとってはあまりにも遠く、はっきり言えばどうでもよかった。
直接、自分達と触れ合うわけでもなく、言葉を交わすわけでもない。
そんな存在を身近に感じることはできないし、誰が王になろうが領主になろうが、民の生活は何も変わらない。
ただ、自分達の命を脅かしさえしなければ、平穏を崩しさえしなければ、どうでもよかった。
それでも、誰もが願ってきた。無意識下で、自分達と同じ目線で生きてくれる君主の存在を。
ベレニセは、それを知っている。変革を望み、それを叶えてくれる君主の存在を、自分が求めていると自覚していた。
エリーサがそんな存在となりえるのか。
イウリアが認めた、引き合わせたエリーサと言う存在に、ベレニセはわずかな期待を抱いている。
その根底にあるのは、イウリアへの信頼。無自覚かもしれないが。
「あたしに言えるのは、七割の兵の横暴はここ数年で悪化し続けているってことだけさ。結果、兵が起こす犯罪が増え、それを司法が裁けない状態が続いている。だから、さらに悪化する」
悪循環を繰り返してきた数年。それを止めようと、ベレニセが動いても何も変わらなかった。
「……もしも」
沈黙していたエリーサが、強い視線でベレニセを射抜き、おもむろに口を開いた。
「軍の編成に手を出せる権限が与えられれば、貴方はどうする?」
エリーサの問いかけに、ベレニセは眉をよせてしばし考える。
「………それは、どこまでの権限だ」
「国軍から派遣された兵、地元出身の兵、軍部上層、すべてに対して関わる事の出来る権限だ」
「なら、軍部上層を一斉摘発して国軍からの奴らを追い出すね」
「それで、改善されると?」
「思ってないさ。でも、治療するためには、まず、傷口の周りを洗うだろう?あいつらは傷口を広げようとしている病原菌だ。それを洗い流すってだけさ」
「まずは手始め、か。その後は?確実に兵力が減り、治安維持が十分に行えなくなる」
「新たに募る。それしかないだろう」
「集まらなかったら?」
「なら、各街で自警団を設立することを義務付ける」
「義務付けるには軍部を掌握するだけではできない」
打てば響くような応答。
だが、エリーサの指摘にベレニセは笑みを浮かべて黙った。
意地悪げな笑みを浮かべるベレニセに、エリーサは苦笑して瞳を伏せた。
「イウリアだけじゃないんだろう。あんたが目を付けたのは」
問いかけではなく確認。
「領法を改正して義務付けるしかない。その為には、法務部の協力が必要。イウリアがいるからその辺はどうにかなるが、自警団を維持するための費用は財務部の協力が必要。なら、最低でもあと一人、財務部の人間があんたの仲間にいるはずだ」
「ご明察」
短い肯定に、ベレニセは頬杖をつく。
「…あんた、すでに考えてたんだろう?あたしが言わなくても、すでに組み立てられてたんじゃないのかい?」
「ああ。一応は」
「なら、なんであたしに言わせた?」
「私は、政治に携わったことがない。軍事もだ。勉強はしてきたが、マニュアル通りに進むことなんてこの世には何一つとしてない。だから、実際に携わってきた者の考えを聞きたかった。自分の考えが、実現可能なことか知りたかった」
エリーサの表情から苦笑が消える。
開かれた瞳は、強い光を宿して決意をたたえ、苦笑の代わりに浮かぶのは、微笑み。
それに、ベレニセは何かを感じた。言葉にできない感情が、わずかに浮かんで消えた。
姿を見せない感情に、わずかに戸惑う。
「ベレニセ=リュフュス、協力してほしい。私は、このシュヴスに平穏を作りたい。それが、自分の平穏につながるから」
戸惑う心を隠して、ベレニセは笑みを深める。
「良いだろう。協力してやるよ。あんたが作る平穏が、あたし達の平穏になるのなら、ね」
言葉による確約をもらい、エリーサは内心で深い安堵の息をつく。
「あとは、内務、か……」
「内務?」
思わず呟いた声は、小さかったがベレニセに届いたようだった。
予想外な反応だったが、エリーサは頷いた。
「内政に携わり、行政に深くかかわるのは内務官だ。人事に関わる事も。だから、情報を知っている者が欲しいが……」
「いるだろう。あんたのそばに」
「………は?」
「確か結婚前まで内務官をしていたはずだ。子育てが一段落してからは女官として勤めている。今と昔では差があるだろうが、夫は前内務部長だ。九年前に事故死しているから、行政悪化の最初の情報は把握しているだろうし、時期が時期だから色々と調べているかもしれないな。官吏時代に人脈を築いているだろうから」
ベレニセの言葉に、思い浮かぶのはただ一人。
エリーサのそばにいる、元官吏の女官。さらに、ベレニセの言う通りならそれなりの年齢だ。
「今は、女官頭をしている」
決定的な言葉に、エリーサは脳裏に冷たい眼差しを向ける無表情な顔を思い浮かべた。
瞬間、エリーサは、内心で父への罵倒を繰り返した。
まるで、用意されたかのように有能な人材がいる。
父の思惑の上、踊らされているような気がした。
決められた道筋を歩くようにして示された『真実』。
だが、そこから何を悟り、何を成すのかはエリーサ次第。
エリーサはようやく、自分が成すべきことの全容、その輪郭を悟った。
だから、今は妥協することに決める。
父の思惑通りに進んでいるような今が、どうしようもなく腹立たしくとも…。
その先にあるだろう平穏のために……。




