第九話・真実を悟る者 Ⅳ
プリシラは、対面の空白を見つめたまま息を吐いた。
すでに、エリーサはいない。
プリシラが導き出した『元凶』の名を聞いた後、いくつかの話をして席を立った。その前、エリーサに入れた紅茶は空になっている。
「……貴方の仰ったとおり、侮ってはならない相手ですね」
誰かに向けた言葉は、その相手に届くことはない。
口元に苦笑を浮かべ、立ち上がる。
悠長に構えてはいられない。やるべきことがあり、エリーサと出会ったことで成すべきことが増えた。
執務用の机から銀箔で縁取りをした高級紙を取り出し、一筆走らせる。
書かれたのは一文。
どういう意味か理解できるのは、ただ受け取った相手だけだろう。
丁寧に封筒に入れ、封蝋にチェスティアの家紋を押す。
「アンネッ!」
鋭いプリシラの呼び声に、表の方から駆けてくる足音とともに、「はいっ」と慌てたような声が返る。
数十秒後、姿を現したのは受付の女性だ。
「これを、出しておいて」
「……よろしいのですか?家紋をつけたまま……」
家紋をつけた手紙は、差出人が容易にわかるだけでなく、重要文書であることを示す。
だからこそ、チェスティアを潰したいモーリスにとっては排除対象となる。内容がどうであれ、関係はない。
実際、他領の商人や人脈を伝って出した手紙は、ほとんど握りつぶされている。
商業文書は、速達扱いで通常の手紙よりも数日早く相手に届けられる。だが、モーリスの妨害によりチェスティアは通常の手紙扱いでしか出せないので、商業文書しか扱っていなかったプリシラ達はかなり歯がゆい思いをしていた。
チェスティアの家紋をつければ、商業文書として扱われるが、モーリスに潰される。
だからこその、アンネと呼ばれた受付女性の懸念だったが、プリシラは引出しから封のきられた手紙を取り出しつつあっさりと返す。
「明日、サイハラからの船が来るわ。船長に目通りして渡しておけば、問題ないでしょう」
「……なるほど、かしこまりました」
アンネは納得すると、一礼して下がっていった。
取り出した手紙を広げ、プリシラは瞳を細める。
ちなみに、郵便事業は商業ギルドが国家から承認を受けて担当している。
個人的に、人伝で行われたりもする。
今回は、サイハラからの定期通商の船が来ているからそれを利用しようとしていた。
シュヴスの船は領政府の管理のもとで商団が所有しているが、サイハラの船は全てガルビオン子爵家所有か貸出である。そのため、本来なら個人的な利用はできない。
「……『訪れし紫水晶を侮るなかれ。チェスティアの目にて、正統なる者を見定めよ』、か…。もう少し、分かりやすく書いてくださっても良いでしょう?ルクエラ様」
シュヴスの商業を掌握したモーリス商団にしても、まさか、チェスティア家がガルビオン子爵家と個人的なつながりがあるなど考えもつかなかったに違いない。
先々代、プリシラの祖父の代から関係があるガルビオン子爵家から、エリーサが領主として就任する前に届いた文書。
受け取った時、その内容の意味が分からなかった。
「……紫水晶、は王。正統なる者、は正しい王位継承者」
紫水晶はその瞳になぞらえて、王を示す隠語として用いられている。
つまり、正統なる王位継承者を侮るな、と内容は示している。
そこから示される一つの『事実』に、プリシラは息をつく。
重いものでも悩ましいものでもない。
これから起こるであろう変革に、期待を込めた吐息だった。
※※※
まいた護衛に見つからないように、エリーサは下町の食堂に来ていた。
夜になれば酒場となるそこは、昼を少し過ぎた時間帯で人はまばらだったが、エリーサの目的はそこにちゃんと存在した。
コートを着ていても、子供とわかる痩躯のエリーサに、客達は怪訝そうな視線を向ける。
目的の隣に立って、自分よりも背の高い横顔を見つめる。
カウンターの中にいる食堂の主人が視線を行ったり来たりさせているが、目的、長身の女性はエリーサを無視している。
それには頓着せず、エリーサは笑みを浮かべる。
「初めまして。少し、良いだろうか?」
「良くないね。子供はとっとと帰んな」
「まだ帰るには早い時間帯だ。それに、私には目的がある。その為に、貴方が最も適任だと言われたんだ」
「誰に何を言われたか知らないが、あたしは興味がないね」
「話だけでも聞いてほしい。………それと、伝言がある」
「伝言?」
女性が怪訝そうな表情でエリーサを見たのは、視界の端でエリーサの笑みがひきつったのを知ったからだろう。
そっけない態度には常に変わらない笑顔だったのに、伝言、と言ったとたんに表情がひきつったのだ。気になるだろう。
「……司法に詳しい不老の妖怪、から」
ガタタッ。
パリンッ。
ガシャッ。
ボタボタ。
エリーサのひそめた声の直後、店内の至る所から様々な破壊音が響いた。最後は主人がエリーサに出そうとした水をグラスからあふれさせた音だった。
ゆっくりと、エリーサが店内を見渡せば、客達が席から立ち上がって壁に張り付いている。心なしか、その表情は青白い。そして、視線を女性に戻せば、いつのまにかエリーサから距離を取っていた。
(………何があったのかは、聞かない方がいいんだろうな)
何をしたのか問いただしたくはなったが、聞いたら後悔しそうなので、エリーサは疑問を飲み込むことにした。
ひとまず、エリーサの表現は女性(含む客)に特定の人物を思い起こさせることに成功したらしい。本人に聞かれたら恐ろしいことになりそうだが、ここにはいないので安心しておく。
「……『話ぐらい聞け。突っぱねたらどうなるか、わかるよな?』、とのことだが」
「分かった話を聞く。店主、奥のスペースを借りるぞ」
語尾に重なるように女性は早口で了承を告げ、主人はこくこくと頷く。早く行ってくれ、と言わんばかりの反応に、エリーサは少し不安になる。
(本当に何をしたんだ、イウリア……)
不老の妖怪、こと、イウリアに内心でため息をつく。
仕切りを設けて会談場所のように造られたスペースで、エリーサと女性は向かい合って座る。
腕を組み不機嫌そうな表情で睨みつけてくる女性に、苦笑してフードを外す。
「改めて、初めまして。私はエリーサ=ラフィー=ルノワレス。応じてくれて感謝する」
「……王女殿下自ら足を運んでいただけるとは光栄だね」
まったくそう思っていない、吐き捨てるように言う女性の態度は、忌々しいと言わんばかりだ。
応じて、と言っても、ほとんど脅迫だった。女性はそう思っているし、伝えたエリーサ自身もそう思うのだから、機嫌が悪くなるのも仕方ない。
「で、話ってのはなんだい」
「…貴方の視点から、この街のことを聞きたい」
「なぜ、あたしに聞く。それこそあの若造りに聞けばいいだろう」
「……それぞれの視点から、話を聞きたくて…。それに、貴方の立場は彼とはまた違うから」
「ふぅん…」
随分な言いように、よっぽどのことがあったのだろうと想うが、ひとまず気にしないでおく。
内容に興味がなくはないが、何となく知らない方が良さそうなので。
「軍務部城下警備部隊所属ベレニセ=リュフュス。軍人としての視点から、貴方はこの街をどう思っているのだろうか?」
問いかけに、ベレニセが浮かべたのは嘲笑だった。




