第一話
ファミリーマートの茶色いレジ袋が、ベッドの上でカサリと音を立てた。
中身は、総カロリーにして約四千キロカロリー。
ずっしりと重い。
・ホイップてんこ盛りのメロンパン
・マヨネーズが波打つ大盛り焼きそばパン
・底上げされた上げ底のカルボナーラ
・ポテトチップス(関西だししょうゆ味)
・ファミリーパックの徳用チョコ
時計の針は、深夜の一時を回っている。
これが、私の「夜食」だ。
「いただきます」
声は出さない。
私は機械のように、メロンパンを掴んで口に押し込んだ。
味わってなんかいない。
頭の中のドロドロしたストレスを埋めるために、ひたすら咀嚼して、 嚥下するだけだ。
味がしなくなったら、カルボナーラを流し込む。
続いてポテトチップス。甘い、しょっぱい、油、炭水化物。苦しい。
お腹が、はち切れそうに痛い。でも、手は止まらない。
脳が「もっと詰め込め」と狂ったように命令してくる。
最後のチョコを飲み込んだとき、限界がきた。
「……う、く」
私は口を手で押さえ、音を立てないように素早くベッドから這い出た。
向かうのは、お風呂場だ。
トイレは家族に音が聞こえる。お風呂場なら、シャワーの音で誤魔化せるから。
ジャァァァ、と冷たいシャワーの音を響かせる。
排水口のカバーを外し、私はタイルの上に膝をついた。
慣れた手つきで、右手のひとさし指と中指を、喉の奥深くへ突き刺す。
──ウグッ。
涙と鼻水が同時に噴き出す。
胃が雑巾みたいにギューッと雑に絞られる感覚。
ドロドロとしたものが、さっき食べたばかりの原型を留めたまま、一気に口から溢れ出た。
「げほっ、ごほっ……!」
一度出れば、あとは早い。
胃の内容物を、一滴残らずリセットするために、何度も指を突っ込む。
胃液の酸っぱい匂いが鼻を突く。喉が焼けるように痛い。
……全部、出た。
シャワーでお風呂場を綺麗に洗い流し、口を濯ぐ。
鏡を見ると、目の周りが赤くなり、涙でぐしゃぐしゃになった醜い女が映っていた。
でも。
酷い自己嫌悪と一緒に、信じられないほどの「万能感」が身体を包む。
(大丈夫。今日も私は、何も食べていない。太っていない)
これさえすれば、私は「完璧な私」でいられる。
*
「おはよー、ひより! 今日もスタイル良すぎ、マジでモデルじゃん!」
「本当それ。何食べて生きてたらそんな細くなれるの? 分けてほしいわー」
翌朝。
教室に入った瞬間、いつものようにクラスの女子たちが私を取り囲む。
「あはは、そんなことないよ。普通に白米も食べてるよ?」
私は、鏡の前で何百回も練習した「完璧な笑顔」で嘘をつく。
私の名前は、如月ひより。
クラスでのポジションは「清楚で、優しくて、細くて可愛い、ちょっと高嶺の花」。
誰も知らない。 私の右手の拳の関節に、自分の歯が当たってできた「吐きダコ」があることも。
毎晩、深夜のコンビニで三千円分もの食料を買い漁っていることも。
知られてはいけない。もし、私が太ったら。もし、私が完璧じゃなくなったら。
お母さんも、友達も、みんな私に興味を失って、ゴミみたいに捨てるに決まっている。
私は、お人形じゃなきゃいけない。
中身が空っぽの、綺麗な、綺麗な、お人形。
キーンコーンカーンコーン──。
放課後を告げるチャイムが鳴る。
今日も一日、完璧に演じきった。
お腹がグーッと鳴る。強烈な飢餓感が襲ってくる。
(帰りに、ローソンとセブンをハシゴしよう。今日は、菓子パンじゃなくて、ホットスナックの油っこいお肉がいいな……)
脳内が、一瞬で食料のことで支配される。
私は足早に荷物をまとめ、クラスメイトたちに手を振って教室を出た。
*
我慢ができなかった。
家に帰るまで、持たなかった。
夕方の公園。
人気のない多目的トイレに、私は駆け込んでいた。
通学路の途中にあるコンビニで買った、チキンとLポテト、そして生クリーム大福を、今さっき個室の中で一気に胃に詰め込んだ。
「う……、げほっ……!」
狭い個室に、指を突き刺す。
ドボドボと、便器の中にさっきのチキンが落ちていく。
胃液が逆流して、涙がボロボロと溢れる。
大丈夫。すぐ終わる。これを流せば、また綺麗な私に──。
バチッ。
突然、トイレの個室の電気が消えた。
それと同時に、ガチャン、と重い音が響く。
「……え?」
私は指を口から抜き、パニックになって個室のドアノブを回した。
開かない。
外から、何かが引っ掛けられている。
「ちょっと! 誰かいます! 開けてください!」
ドアを激しく叩く。
すると、薄暗いドアの向こうから、聞き覚えのある「冷たい声」が聞こえた。
「如月さん。毎日大変だね」
心臓が、跳ね上がった。
クラスで一番目立たない、いつも死んだ魚のような目をしている男子生徒──蓮見くんの声だった。
「蓮見くん……? どうして……、開けて、お願い」
「開けないよ。だって、君のその声、スマホで全部録音しちゃったし」
頭の芯が、サーッと冷たくなっていく。
「学校の裏掲示板に流されたくなかったら、大人しくしてて。今、君がいつも何を買って、どうやって吐いてるか、全部まとめたスクショを目の前の壁に貼るからさ」
ドアの隙間から、カサリと一枚の紙が差し込まれる。
そこには、私が深夜、コンビニのレジでうつむきながら大量のパンを買っている姿が、鮮明に写っていた。
「綺麗だね、如月さん。いつも完璧な君が、中でゲロまみれになって泣いてるの、想像するだけでゾクゾクするよ」
終わった。
私の世界が、音を立てて崩れ去った。
「これから毎日、僕の言うこと聞いてくれる? そしたら、この秘密、誰にも言わないであげる」
暗闇の中、私は便器の前にへたり込んだ。
喉の奥に残った酸っぱい味が、ひどく苦かった。




