第14話
放課後。
「悪い、遅くなった」
部室にはすでに七海先輩と白羽が揃っていた。俺のほうは、ちょっとした用事で遅れてしまったのだ。
「ううん、大丈夫だよ。鴎ちゃんから聞いたよ。悠也君、職員室に呼ばれたんだって? 何かあったの?」
悠也君……? なら、俺だって。
「言い方が違いますよ、千晴先輩。職員室に呼ばれたんじゃなくて、頼み事をされたんです」
呼び方の変化に気づいたのか、白羽が『あんたは何と張り合ってんのよ』と言いたげな呆れ顔を向けてくる。
「頼み事?」
「ええ、実はですね……」
――少し、時間を巻き戻す。
一ヶ月後に控えた文化祭に向けて、うちのクラスでは学級委員を中心に実行委員会が立ち上がり、準備が進められていた。
ちなみに、俺の自己認識は極めて正確だ。こういうイベントでは表舞台に立つこともなければ深く関わることもない、客席でみんなと一緒に拍手を送るだけの「賑やかし担当」。
それが俺のポジションだ。
なのに、放課後、俺が部室に向かおうとしたその矢先、浅見に呼び止められた。
「俺に用? 手伝えることなんて何もないと思うけど……」
「いいから来なさい」
「えぇ……行きたくないなぁ……」
明らかに、俺の返答は彼女の気に障ったらしい。
浅見は「これ以上つべこべ言ったら殺す」と言わんばかりの表情を浮かべ、俺は大人しく従うしかなかった。
「お邪魔します」
「あ、来た来た」
ドアを開けると、宮本先生と学級委員長が中心になって、みんなで俺たちを待っていたようだった。
「鳴海くん」
「はいっ」
席に着いた途端に委員長から名前を呼ばれ、俺は思わず立ち上がってしまう。
「いいのいいの、座ったままで大丈夫だよ」
うちの委員長である星宮凛は、その強い責任感や優秀な能力もさることながら、何よりあの親しみやすさが素晴らしかった。
ただ性格が明るいだけでなく、俺のような、あるいはもっと内向的な人間でも、彼女となら自然と言葉を交わすことができる。
これは本当に稀有な才能だと思う。なにしろ、これまで俺が出会ってきた委員長連中は、どいつもこいつも偉そうな態度ばかりだったからな。
「鳴海くんが来るのが少し遅くなっちゃったから、説明するね。うちのクラスの文化祭の出し物、舞台劇に決まったんだ。それでね……」
まさか、悪役でもやらせようってんじゃないだろうな……全校生徒の前で衣装を着て演技をさせられるくらいなら、さっきの浅見に殺してもらったほうがマシだ。
「ありきたりな名作を演じるのはつまらないってみんなの意見が一致してね。だから、オリジナルの脚本を自分たちで書いて、上演しようってことになったの。鳴海くんの文章力は先生も大絶賛だし、さっき話をしていた時、小夢ちゃんが『鳴海は小説を書いてる』って教えてくれてね。だから、鳴海くんに脚本を書いてもらえないかなって思ったんだけど、どうかな?」
ちょっと待て――俺!?
確かに、一瞬だけ「みんなの度肝を抜くような大絶賛の脚本を書いてやるか」という思いが脳裏をよぎった。だが……そういう自己顕示欲は……大嫌いだ。
脳裏に苦い過去の記憶がフラッシュバックし、自分の才能への自惚れと、二つ返事で引き受けそうになった衝動が、瞬時に急速冷却される。
「……舞台劇をやるなら、脚本は一番の要ですよね。脚本がなければ何も始まらないわけですし。ただ、俺が納得のいくクオリティまでブラッシュアップする時間を考えると、みんなの準備期間を圧迫してしまうんじゃないかと心配です。もし俺一人のせいで時間を浪費して、練習時間が足りなくなってしまったら……」
俺の言葉に、その場の全員が沈黙した。
俺にとっては体裁のいい言い訳に過ぎなかったが、突き詰めればそれも紛れもない事実だ。もし意味不明な脚本を書いてしまったら、もし俺の脚本のせいで劇が失敗に終わったら、その責任を俺は取れるのだろうか。
沈黙を破ったのは、宮本先生だった。
「鳴海の言う通りだな。よし、それなら脚本はコンペ形式にしよう。書きたい生徒は誰でも提出していい。ただし締め切りを厳守させて、練習や衣装、小道具の準備期間をしっかり確保する形にする」
星宮がそこに言葉を重ねる。
「それに、大きなお題となるテーマを一つ決めておけば、必要な衣装や小道具の最低限の準備は前倒しで進められますよね」
他の委員たちも次々と意見を出し合い、アイデアを膨らませていく。
俺は隣にいた浅見に、声を潜めて尋ねた。
「俺が小説書いてるって何故知って……」
「アンタが留守の時に、ひびきが見せてくれたのよ」
おい、妹よ!
活発な議論の末、大まかなテーマは「童話」に決定した。明日はキャストのオーディションと具体的な役割分担を決める予定だ。いやはや、いかにも文化祭らしい空気を肌で実感させられる。
「じゃあ、今日はここまで! みんなお疲れ様。鳴海くんも、ありがとうね」
星宮がわざわざ俺に向かって声をかけてくれたので、俺も慌てて言葉を返した。
「いえ、とんでもないです。俺もできる限りの力になりますから」
会合が解散となり、俺と浅見は荷物を取りに教室へと戻った。
「この後、料理部行くのか?」
「……行かない。帰る」
「どうしたんだ?」
「……別に」
なんだか浅見の様子がおかしい。いつもと違って、どうにも元気がなかった。
「鳴海は? 写真部行くの?」
「あぁ、生徒会長からちょっと頼まれごとがあってな」
「そっか……」
会話が途切れたまま教室に着き、俺は鞄を手に取って部室へ向かおうとした。
教室を出ようとしたその時、後ろから不意に浅見に服の裾を引かれた。
「どうした?」
「あのさ……ごめん、鳴海……」
唐突な謝罪に、俺は面食らう。
「え? 何が?」
「……劇をやるってなって、脚本が必要だって話が出た時、真っ先に鳴海の顔が浮かんだのよ。ひびきに昔鳴海が書いたやつ見せてもらって……内容はよく分かんない部分もあったけど、凄いって思ったから。だから、つい勢いで鳴海を引っ張り出しちゃって」
おお! 褒められた!
「でも、さっきのアンタの様子を見てハッとさせられたの。アンタって、こういうの嫌いだったよね……表舞台に引っ張り出されるの。ごめん……私、頭に血が上っちゃって、そこまで頭が回らなくて……」
頬を微かに赤らめ、少しうつむき加減の浅見小夢が俺の前に立っていた。普段の彼女からは想像もつかないような、どこか怯えるような声音。
彼女のその言葉は、まるでそよ風のように、俺の心に温もりを運んできた。
「ありがとな。でも大丈夫だよ。俺自身、文章を書くのは好きだし、人前に引っ張り出されたからって灰になって消えるわけじゃない。謝る必要なんてないさ、気にするな」
浅見は上目遣いに、どこか申し訳なさそうな視線を俺に向けてくる。
「本当……?」
おいおいおい、それは反則だろ! 今のこいつの破壊力抜群な表情を見せられたら、仮に本当に怒っていたとしても綺麗さっぱり吹き飛んでしまう。
――そのせいで、俺は少し調子に乗ってしまった。
「本当だよ。だから安心しろよ、小夢」
浅見の顔が、一瞬にして真っ赤に染まる。そして、次の瞬間に響き渡ったのは、聞き馴染みのあるあの怒声だった。
「だ……誰が名前で呼んでいいって言ったのよぉお――っ!」
やばい、完全に地雷を踏んだ。退散だ!
「鳴海ぃいい――っ!」
「待て待て! 冗談! ただの冗談だからぁあ――っ!」
浅見が繰り出した渾身の一撃を寸前でかわし、俺は文字通り脱兎のごとくその場から逃げ出した。




