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第12話 壊れた進入

期末最終開催、4走目。

灯は、ノートの上に並んだ数字を見つめていた。

4着。

5着。

3着。

まだ、楽ではない。

初戦は4着で残した。

2走目は5着に沈んだ。

同日の2走目で3着を取り、沈みかけた流れを止めた。

けれど、余裕があるわけではなかった。

B1の線は、まだ近い。

近いまま、遠い。

1本残せば近づく。

1本落とせば遠のく。

その繰り返しの中に、灯はいた。

次の出走表を見た時、灯は5号艇の欄に自分の名前を見つけた。

1号艇、長瀬美優。B1。

2号艇、桐谷紗英。A2。

3号艇、椎名遥香。B1。

4号艇、倉科美波。A2。

5号艇、風見灯。B2。

6号艇、入江真白。A1。

灯は、6号艇の名前で手を止めた。

入江真白。

A1。

インの支配者。

外からでも、内を取りに行く人。

以前見た時も、その進入は独特だった。

無理やり奪うわけではない。

乱暴に押し込むわけでもない。

けれど、気がつくと内にいる。

そこが最初から自分の場所だったかのように、内へ入っている。

灯は、ノートに書いた。

入江真白。

6号艇。

外からでも内を取りに行く。

進入で水面を変える人。

書いてから、自分の欄を見る。

5号艇。

5コース想定。

本来なら、4号艇の倉科美波を見ながら走ることになる。

倉科はA2。

4カドから攻める力がある。

灯は5コースから、その攻めの外にいる。

倉科が握る。

3号艇が流れる。

2号艇が差す。

1号艇が残す。

その間にできる水面。

そこへ入れるか。

3着があるか。

悪くても4着を残せるか。

灯は、いつものように展開を書き始めた。

1、2、3。

4、5、6。

自分は5コース。

4号艇の攻めを見る。

5コースから外を残す。

3着を見る。

深ければ4着。

5着にはしない。

そこまで書いて、灯はペンを止めた。

本当に、その進入になるのか。

6号艇には入江真白がいる。

枠なりで大外にいるとは限らない。

灯は、ノートの端にもう一行足した。

入江さんが動けば、全部変わる。

その文字を見て、胸の奥が少し重くなった。

準備は大事だ。

でも、準備した水面がそのまま来るとは限らない。

期末の勝負駆けで怖いのはそこだった。

数字だけではない。

相手も、進入も、水面も、風も、全部がこちらの予定を壊してくる。

それでも、残さなければならない。

控室の向こうで、入江真白が静かに出走表を見ていた。

灯は、その横顔を見た。

入江は落ち着いていた。

柔らかい雰囲気すらある。

けれど、そこに隙はない。

外から内を取りに行く人。

その言葉だけなら強引な選手に聞こえる。

でも、入江真白は強引ではなかった。

自然に内へ入る。

相手に、そこへ来ることを分からせた上で、入る。

その怖さがある。

灯が見ていると、入江がふと顔を上げた。

目が合った。

灯は小さく頭を下げる。

入江も、軽く頷いた。

「5号艇ね」

「はい」

「私、6号艇」

入江はそう言って、少しだけ笑った。

その笑顔は穏やかだった。

けれど、灯の胸には緊張が走る。

「入江さんは……内へ行きますか」

聞いてから、少し直球すぎたと思った。

入江は、怒るでもなく、困るでもなく、静かに答えた。

「入れるなら」

短い答えだった。

「入れるなら、行くんですか」

「うん」

入江は出走表へ視線を戻した。

「そこが私の水面なら」

灯は、その言葉をすぐにノートへ書いた。

そこが私の水面なら、入る。

入江は、その様子を見て少しだけ目を細めた。

「書くんだ」

「はい。忘れるので」

「いいね」

入江は、静かに言った。

「でも、書いた水面だけが来るわけじゃないよ」

灯は顔を上げた。

入江は、もう一度穏やかに笑った。

「特に、進入は」

その言葉が、灯の中に残った。

展示航走の時間が近づいた。

灯は5号艇のカポックを手に取る。

5号艇。

本来なら5コース。

けれど、6号艇には入江真白。

予定した水面が、最初から揺れている。

6艇がピットを離れた。

1号艇、長瀬美優。

2号艇、桐谷紗英。

3号艇、椎名遥香。

4号艇、倉科美波。

5号艇、灯。

6号艇、入江真白。

ピット離れ。

入江が動いた。

灯は、すぐに分かった。

6号艇の入江が、ただ外へついていく動きではない。

内へ向かう。

強引ではない。

それでも、確実に内を狙っている。

1号艇の長瀬はインを譲らない。

当然だった。

けれど、その外へ、入江が入る。

2号艇の桐谷が少し引く。

3号艇の椎名の位置もずれる。

灯は、胸の奥が冷えるのを感じた。

想定していた進入が崩れていく。

1号艇、長瀬。

6号艇、入江。

2号艇、桐谷。

3号艇、椎名。

4号艇、倉科。

5号艇、灯。

1、6、2、3。

4、5。

灯は5号艇。

でも、実質、大外だった。

準備していた5コースの水面は消えた。

4号艇の攻めを見る。

5コースから外を残す。

その想定は、もうそのまま使えない。

入江真白が内へ入っただけで、レースの形が変わった。

灯は、大時計を見る前に息を吸った。

慌てるな。

進入が崩れた。

でも、レースはまだ始まっていないわけではない。

いや、もう始まっている。

灯は、入江の言葉を思い出す。

書いた水面だけが来るわけじゃない。

特に、進入は。

スリット。

展示STは0.17。

悪くない。

けれど、内が深い。

1号艇と6号艇が少し深くなり、隊形に重さがある。

1マーク。

長瀬が先に回る。

入江は2コースから差し構え。

桐谷は3コースの形になり、少し窮屈。

椎名が4コース相当から握る。

倉科はその外。

灯は大外。

見ていた水面と違う。

4号艇の攻めを見るつもりだった。

でも、内に入江がいる。

2号艇の位置が変わっている。

3号艇の動きも違う。

1マークの形が、まったく違う。

灯には、一瞬、どこへ艇を向ければいいのか分からなくなった。

外を回る。

出口を残す。

展示では、それだけで精一杯だった。

バックでは5番手付近。

2マーク。

倉科の出口が重い。

椎名も外に流れている。

灯には、4着へ上がる水面が見えた。

ただし、3着は遠い。

無理に追えば止まる。

展示を終えて戻ると、灯はすぐにノートを開いた。

5号艇。

5コース想定。

実際は進入が崩れた。

1、6、2、3。

4、5。

入江さん、6号艇から2コースへ。

予定していた水面が壊れた。

1マーク。

考えていた3着筋は消えた。

でも、4着の水面は残っている。

2マーク。

4号艇の内。

3号艇の出口。

5着に落とさない。

4着を取る。

灯は、書いた文字を見つめた。

予定していた水面が壊れた。

その一文が重い。

準備してきたものが、レース前に消える。

それは怖い。

でも、消えたからといって、何もできないわけではない。

4着の水面は残っている。

灯は、その言葉をもう一度書いた。

4着の水面は残っている。

そこへ入江が戻ってきた。

灯は顔を上げる。

入江は、特に何かをしたという顔ではなかった。

「入江さん」

「はい」

「進入って、あそこまで変わるんですね」

入江は少しだけ考えてから言った。

「変わるというより、変えるところからレースだから」

灯は、ペンを握る手を止めた。

「レースの前じゃなくて、ですか」

「うん」

入江は穏やかに言う。

「進入は、レースの前じゃない」

そして、はっきり続けた。

「もうレースの中」

灯は、その言葉をノートに書いた。

進入は、レースの前じゃない。

もうレースの中。

入江は灯の出走表を見る。

「5号艇は、予定が壊れたら大変だよね」

「はい」

「でも、外にいると全部見える」

灯は顔を上げた。

「全部、ですか」

「うん。壊れたところも、残っているところも」

入江は言った。

「さっき、4着の水面は見えてたでしょ」

灯は驚いた。

「見えていました」

「なら、そこ」

短い言葉だった。

「3着じゃなくても、そこが今の水面なら」

灯はノートを見る。

4着の水面は残っている。

期末の勝負駆け。

3着が欲しい。

できれば2着が欲しい。

1着なら一気に近づく。

でも、予定が壊れた水面で、遠い3着を追えば、5着に落ちる。

今必要なのは、残っている4着の水面を逃さないこと。

灯は頷いた。

「はい」

本番の時間が来た。

灯は5号艇に乗り込む。

ピット離れ前から、胸の中に緊張がある。

入江はまた動く。

きっと動く。

そう分かっているだけで、景色が変わって見える。

6艇がピットを離れた。

1号艇、長瀬。

2号艇、桐谷。

3号艇、椎名。

4号艇、倉科。

5号艇、灯。

6号艇、入江。

入江が動く。

展示と同じように内へ向かう。

長瀬はインを守る。

入江が2コースへ入る。

桐谷がその外。

椎名が続く。

倉科と灯はダッシュ。

進入は展示とほぼ同じ。

1、6、2、3。

4、5。

灯は大外。

5号艇で、実質6コース。

展示で壊れた水面が、本番でもそのまま来た。

ただし、今度は分かっている。

壊れていることを、分かっている。

そこから見る。

起こし。

大時計。

内が深い。

1号艇と6号艇の起こしが少し重い。

桐谷の位置も、枠なり想定より違う。

灯は線を見る。

そして、すぐに1マークを見る。

壊れた水面の中で、残っている場所を見る。

スリット。

STは0.16。

悪くない。

入江も遅れていない。

桐谷も踏み込んでいる。

大きなへこみはない。

1マーク。

長瀬が先に回る。

入江は2コースから差す。

差しの角度が深すぎない。

内へ入って、止まらない。

桐谷は3コースから、入江の外を見ながら攻める。

椎名が4コース相当から握る。

倉科が外からついていく。

灯は大外。

予定していた3着筋はない。

入江が内へ入ったことで、2号艇と3号艇の位置が変わった。

倉科の攻めも、想定より外になっている。

灯は一瞬、3着を見た。

桐谷の外。

椎名の内。

そこに入れば、あるかもしれない。

でも、深い。

波が重い。

外から入れば止まる。

倉科に絡まれ、後ろに落ちる。

灯は、3着を追わなかった。

4着の水面を見る。

椎名が外へ流れる。

倉科の出口が少し重くなる。

その内。

そこだ。

灯は艇を向けた。

深く入りすぎない。

でも、置かない。

倉科の内。

椎名の出口。

そこへ艇を入れる。

波を踏む。

艇が跳ねる。

外から来る水面は重い。

でも、出口は残している。

バックストレッチ。

1号艇の長瀬が先頭。

6号艇の入江が差して2番手。

2号艇の桐谷が3番手。

灯は4番手争いに入った。

倉科が外にいる。

椎名は少し重い。

5着ではない。

でも、4着をまだ完全には取っていない。

2マーク。

桐谷が3番手で回る。

入江は2番手を守る。

長瀬が先頭。

灯は4番手争い。

倉科が外から迫る。

椎名も内を探す。

灯には、倉科の内が見えた。

展示で見た水面。

ここで入る。

深く入りすぎない。

差し場を渡さない。

出口を残す。

灯は艇を向けた。

倉科の内へ入る。

椎名を後ろに置く。

波が艇を叩く。

それでも、灯は止めなかった。

バックへ出る。

4番手。

灯は4着の位置を取った。

3着の桐谷は遠い。

追えない距離ではない。

けれど、今無理に追えば、倉科に差し返される。

灯は、3着を見て、4着を守る判断をした。

2周1マーク。

長瀬が先頭。

入江が2番手。

桐谷が3番手。

灯が4番手。

倉科が5番手。

椎名が6番手。

灯は、桐谷の後ろを見る。

3着。

欲しい。

期末の勝負駆けで3着は大きい。

でも、今日の水面はそこではない。

予定が壊れた水面。

実質大外。

ここで4着を残す意味。

それを見失ってはいけない。

灯は出口を残す。

倉科に差し場を渡さない。

2周2マーク。

倉科が外から攻める。

灯は内を締めすぎない。

締めすぎれば出口が重くなる。

でも、渡しすぎれば4着を失う。

灯は水面を見る。

波の隙間。

倉科の艇先。

自分の出口。

全部を見る。

4着を守る。

3周目。

手に力が入る。

5着は痛い。

もう1本5着を重ねるわけにはいかない。

4着なら、苦しいけれど残る。

この4着を落としてはいけない。

最後の1マーク。

倉科が迫る。

灯はターンの出口を残す。

最後の2マーク。

椎名も内から来る。

灯は深く入らず、前へ向ける。

ゴールライン。

4着。

5号艇、風見灯。

ゴール。

1着、1号艇、長瀬美優。

2着、6号艇、入江真白。

3着、2号艇、桐谷紗英。

4着、5号艇、風見灯。

5着、4号艇、倉科美波。

6着、3号艇、椎名遥香。

灯は、モニターを見た。

5号艇。

風見灯。

4着。

3着には届かなかった。

でも、5着にはしなかった。

予定した進入は崩れた。

準備した水面は壊れた。

その中で、4着を残した。

控室に戻ると、灯はすぐにノートを開いた。

5号艇。

5コース想定。

実際は、1、6、2、3、4、5。

入江さん、6号艇から2コース。

予定していた水面が壊れた。

1マーク。

考えていた3着筋は消えた。

でも、4着の水面は残っていた。

2マーク。

倉科さんの内。

5着に落とさない。

4着。

3着には届かない。

でも、予定外の水面で4着を残した。

準備が壊れても、残す。

灯は、最後の行を見つめた。

準備が壊れても、残す。

その言葉は、今の灯に必要だった。

勝負駆けでは、準備通りの水面ばかり来ない。

それでも、残す。

そこへ、入江真白が戻ってきた。

2着。

6号艇から進入を動かし、2コースへ入り、きっちり2着を取った。

A1の走りだった。

灯は立ち上がる。

「ありがとうございました」

入江は軽く首を振った。

「こちらこそ」

灯は少し迷ってから聞いた。

「入江さんは、どうして外からでも内へ行くんですか」

入江は、少しだけ目を細めた。

「そこに入れるなら、そこが私の水面だから」

展示前にも似た言葉を聞いた。

でも、レースを終えたあとでは重さが違った。

「怖くないんですか」

灯が聞くと、入江は小さく笑った。

「外にいる方が怖い時もあるよ」

灯は息を呑んだ。

外にいる方が怖い。

轟朱音は、外を選ぶ人だった。

外から自分の水面を作る人。

入江真白は逆だった。

外にいても、内が自分の水面なら取りに行く。

怖さの置き場所が違う。

入江は続けた。

「進入で決まることもあるから」

「はい」

「だから、進入はレースの前じゃない」

灯は頷いた。

「もう、レースの中」

入江は、少しだけ微笑んだ。

「そう」

灯は、その言葉をノートに書き足した。

進入は、レースの前じゃない。

もうレースの中。

入江真白。

外から内へ。

自分の水面へ入る。

少し離れたところで、日向まどかが結果を見ていた。

「まあ、あれで4着なら上出来じゃない?」

灯は顔を上げる。

「上出来、ですか」

「予定狂ったら、普通もっと落とすよ」

まどかは軽い調子で言った。

「入江さんがあれやったら、外の選手は一回全部組み直しだから」

「全部、組み直し」

「そう。進入で想定が壊れる。そこで慌てて5着6着になる人、けっこういる」

灯は、ノートの文字を見る。

予定していた水面が壊れた。

でも、4着の水面は残っていた。

「じゃあ、今日の4着は……」

「地味だけど効くやつ」

まどかはそう言って笑った。

「今節、地味に効くの多いね」

灯は、少しだけ苦笑した。

「派手に勝ててないです」

「勝負駆けって、派手じゃない日をどうするかだから」

まどかの言葉は軽い。

けれど、いつも現実を突いてくる。

少しして、三島沙耶が灯のそばに来た。

沙耶も結果を見ていた。

「4着」

「はい」

「3着は遠かった?」

灯は頷いた。

「遠かったです」

「追えば?」

「5着になっていたと思います」

沙耶は短く頷いた。

「なら、今日の4着は正しい」

灯は、胸の奥が少しだけ緩むのを感じた。

「準備した水面が壊れました」

「うん」

「何を見ればいいか、一瞬分からなくなりました」

「それでも、4着の水面は見つけた」

沙耶は灯のノートを見た。

「準備が壊れた時に、何を残すか」

その言葉を、灯は書いた。

準備が壊れた時に、何を残すか。

沙耶は続ける。

「今日はそれが4着だった」

「はい」

「勝負駆けで、予定外の4着は大きいよ」

灯は、ノートの成績を見た。

4着。

5着。

3着。

4着。

楽ではない。

B1の線へ大きく近づいたわけではない。

でも、崩れてはいない。

5着のあとに3着。

進入が壊れた中で4着。

沈みかけた水面から、まだ残っている。

灯は、ノートの最後に書いた。

期末最終開催、4走目。

4着。

5着。

3着。

4着。

まだ楽ではない。

でも、崩れてはいない。

入江真白が進入で水面を壊した。

私は、その壊れた水面の中で4着を残した。

準備した水面が壊れても、残す水面はある。

それを見つけることも、B1へ届くための走り。

灯はペンを置いた。

進入は、レースの前ではない。

もうレースの中。

その言葉が、今日の水面を変えた。

B1の線はまだ近い。

けれど、簡単には届かない。

予定通りの水面だけを走れるわけではない。

壊された水面で、何を残すか。

その答えを、今日の灯は4着で書いた。

沈まず。

越えず。

届かせる。

その一行に、灯は新しい言葉を足した。

壊れても、残す。

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