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第3話:一ノ瀬直也

 ――やはり来たか。


 麻里の口から「直也と並び立つポジションを公式に保証してほしい」という言葉が出た瞬間、オレは心の中で小さく息を吐いた。想定通りの展開だった。


 この数週間、表では亜紀さんや玲奈に調整を任せていたように見せながら、裏ではオレも独自に動いていた。麻里には言っていないが、麻里の頭越しに既にイーサンと水面下で合意を取ってあったのだ。


 DeepFuture AI――イーサンが率いるチームは、米国JVにもSPVにも深く関わる。技術的意思決定の場で彼らを外せば、GBCグループ全体との関係も揺らぐ。だからこそ、オレは正面からイーサンに話をした。


「DeepFutureが技術面の主導権を持つのは、オレも望むところだ。ただし、それはAACやGBCグループ、そしてグリゴラと協調する形であってほしい」


 そのために提案したのが、SPV直轄のステアリングコミッティ制度。

 AIアーキテクチャやインフラ仕様を決定する意思決定会議体をSPVに紐づけ、その技術セクションのリーダーポストを――イーサン自身に任せる。


 DeepFuture AIに加えて、AAC・GBC・グリゴラの高度で先進的な技術力。その両輪を噛み合わせる仕組みを作る。

 それがオレの狙いだった。


 イーサンは少し黙ってから、苦笑した。

「……つまり、麻里の“日本法人代表”としての立場を希薄化させることになる。それで彼女が納得するかどうかだな」


 オレは頷いた。そこが一番の懸念だった。

 だがイーサンは、最後にこう言った。

「直也。麻里が“個人的な願い”として差し障りない範囲で直也と並び立ちたいと言うなら、それは認めてやってくれ。……技術の場はオレがリードする。だが、対外広報の場では麻里を“顔”として扱う。それで彼女も納得するはずだ」


 こうして既に了解は得ていた。

 今日、麻里が口にした要求も、結局はそこに収斂するはずだと分かっていた。


※※※


 会議室。

 麻里の瞳がまっすぐこちらに向く。


 オレは一度、深く息を吸い込んだ。

「……麻里。技術面の主導権はDeepFuture AIにある。それはオレも全く異論はない。だが、その意思決定はSPV直轄のステアリングコミッティで行う。そのリーダーはイーサンに任せる――そういう枠組みで、もう合意を取ってある」


 亜紀さんと玲奈が同時に驚きの表情を見せた。

 麻里の瞳も大きく揺れた。


「……直也、あなた……イーサンとそこまで?」


「ああ。言っておくが君を外す意図じゃない。むしろ逆だ。イーサンが言っていた。“麻里の日本法人代表としての立場を最大限に尊重したい。だから直也、彼女の要求は差し障りのない範囲で認めてやれ”ってな」


 麻里は、息を呑むように沈黙した。

 その表情に、驚きと――少しの悔しさが混じっていた。


 オレは言葉を重ねる。

「だから、日本での対外広報では、君をプロジェクトの、特に技術面における“顔”として扱う。必要に応じて、オレと並んで出席する。それで納得してほしい。


技術はイーサンを中心に、DeepFuture AIのエンジニアリングチームが、AACやGBCグループ、そしてグリゴラと協調しつつリードし、実務的に対応してもらう。


だが、表の舞台では麻里――君に存在感を発揮してもらいたい。もちろん、オレも君も、そのステアリングコミッティの会議体には普通に出席するし、内容に関しては適宜君の観点から意見すればいい」


 会議室に沈黙が落ちた。

 麻里はゆっくりと視線を伏せ、やがて小さく笑った。


「……直也。相変わらず、ずるいわね。そうやって全部整えてから、私に差し出すんだから」


 彼女の声は苦みを帯びていたが、その瞳には確かな安堵が宿っていた。


(――これでいい。誰かを切り捨てるんじゃない。共に立たせる。それが一番の安定につながる)


 オレは心の中でそう呟き、麻里の表情を静かに見つめ返した。


 麻里は少しの間、黙っていた。

 やがて、ふっと柔らかい笑みを浮かべて――静かに頷いた。


「……分かったわ。技術的な最終意思決定はイーサン。プロジェクトの広報の場では私が顔を並べる。それで納得する」


 亜紀さんと玲奈が小さく安堵の息をつく。

 だが、麻里はそのまま言葉を続けた。


「ただ、一つだけ条件があるの」


 その声色は穏やかだったが、緊張が走る。

 オレも無意識に姿勢を正した。


「――月に一度くらいで構わない。直也の自宅で、あなたと一緒に夕食をいただく機会を作ってほしいの」


 会議室が一瞬にして凍りついた。


「なっ……!?」

 最初に声を上げたのは亜紀さんだった。

 椅子をきしませて身を乗り出す。

「そんなの、あり得ません! 直也くんのプライベートに踏み込むなんて、完全に筋違いです!」


 玲奈も険しい目を向ける。

「広報や理事会の話ならともかく……自宅で? それはもう“交渉”じゃなくて、あなたの個人的な要求でしょう」


 麻里は二人の反発を受けても、微笑を崩さなかった。

「私は直也の元カノ。そして今はプロジェクトのステークホルダー。どちらの立場から見ても、月に一度くらい、腹を割って話す時間があっても良いはずよ。そもそもDeepFuture AIの日本法人代表に求められている最大のミッションは、直也を最大の味方とする事。その為の方策が“夜の会食”という形式になるだけ。何も不自然じゃないでしょう?」


「不自然の塊よ!」

 亜紀さんの声が跳ね返るように響いた。

 玲奈も声を荒げる。

「あなたの“身勝手な要求”を正当化しているだけじゃないですか!」


 二人の激しい反応に、オレは静かに手を上げた。

「……麻里」


 その名を呼ぶと、彼女は静かにこちらを見返してきた。

 真剣な眼差し。けれどその奥に、どこか切実な響きも滲んでいるように感じた。


 オレは少しだけ考えてから、言った。

「分かった。ただし――義妹の保奈美が“いい”と言ったら、だ」


 亜紀さんと玲奈が同時に目を見開いた。

「直也くん!?」

「直也、それは……!」


 麻里は、一瞬驚いたように瞬きをした。

 だがすぐに、柔らかな微笑を取り戻し、静かに頷いた。


「ええ。それでいいわ。あなたの義妹に拒まれるような形で望むつもりはない。――月に一度程度、保奈美ちゃんの了承があるなら、それで十分」


 会議室の空気が、さらに複雑さを増して揺れ動いた。

 亜紀さんと玲奈の動揺。

 麻里の柔らかな笑顔。


(……また、厄介な約束を抱えることになったな)


 胸の奥でそう呟きながら、オレはただ静かに三人の表情を見渡した。


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